請ふ予輩をして、先づ國語問題につきて、次に外國語問題につきて、平素予輩の考ふる 所を述べさしめよ。
第一 我帝國には、未だ嚴格なる意味にていふ、國語といふ者現存せざるにはあらざ るか。而して其の所謂嚴格なる意味にていふ國語とは、之を口に語り、之を耳に聞く ときも、之を字に寫し、之を目もて讀むときも、共に同一の性質を有するものにして、か の文章上には使用すれども、談話上には毫も實用をなさず、談話上には使用すれども、 文章上には未だ其の資格を公認せられざるが如き、國語の事にはあらざるなり。更 にいひかふれば、言文一途の精神を維持し居る國語の事をいふなり。試に佛國語或 は獨國語等に於て之を見よ。正しく話したる佛語或は獨語は、筆記すれば其の儘正 しき佛文或は獨文となるにあらずや。而して又其の佛文或は獨文を朗讀すれば、同 時に正しき佛語或は獨語として耳よく之を理解するにあらずや。固より談話と文 章との間には、音と字との性質上より、多少直接間接に差違の存するは論ずるまでも 無き事なれども、同一の語氣を使用し、同一の文章法を遵奉するといふ點に於て、所謂 嚴格なる意味にていふ國語は、終始一貫の主義を有し居るものなり。あはれ之を我 國の小學校に於て見よ、之を我國の中學校に於て見よ、而して又之を師範學校に於て 見よ、何處に行きて如何なる教師の教ふる所を見ても、予輩は決して前陳せるが如き 國語の、認識せられ居るを發見し能はざるなり。
退いて現今の國語界に於ける文章はと問へば、(第一)はもの徒ぞやかの何こそ等の、所 謂係り結びの法則によりて、索縛せられ居るものあり。(第二)漢文歐文直譯體の如き、 右の法則を或は一部使用し、或は全く使用せざるものあり。(第三)全く今日の方言に よりたるものあり。而して最後には(第四)所謂侯文といへるものあり。此等の者の 中、いづれか果して國語の標準といふに近き者なるか、之を論じたる人は、決して尠き にあらざるべし。然れども一般國民の意識は、遂に未だ此等の點まで進み來らざり しなり。所謂國語の統一、文章の統一といふ事には、國民は猶ほ其必要を認むるだけ の、智識を有せざりしなり。甚しきは、國民の教育者を以て、自ら任ずる雋傑の大會す らが、第四の文を小學校生徒に課すべきや否やの問題をば、特別委員に附託するの鄭 重なる手段だに取らずして、無頓着に否決せりといふが如き次第にはあらずや。嗚 呼二十世紀も將に來らんとする東洋の形勢上、事々物々悉皆激烈の競爭場裡に立ち 至らんとする時に當り、我國民は果してかゝる複雑なる文體を始終使用せざるべか らざるか。我等國民は猶ほ忍ぶべし、しかれどもかゝる文體を以て、内地に來り居る 外國人、或は新に歸化する未來の我等同胞を、日本化せんと考ふるに至りては、予輩は 誠に其の考の健全なるや否やを疑ふものなり。況んや東西兩文明を融化せんと大 言壮語するも、如何にしてかゝる武器を有する國民に、これを決行すべきだけの權利 の存すべき。
しかり、此の文體は或は千年も萬年も生き残るべし。しかも世界統一の天命を帯び たる戰勝者の文體としては、今一層簡單なる文體の、國内に行はるべき日あらん事を 豫想せよ。
文章上の事はとまれかくまれ、談話上の言語の、いづれかの一體にて統括せられ居る 様なれば、そはまだしもの次第なれども、東京語とて、未だ全然日本の標準的談話語と 定まりたるにもあらず、九州人は九州語を話し、東北人は東北語を談じて、其の間に毫 も制裁なきことは、既に議會の議事筆記を見ても明瞭なる事實なり。いはゞ談話語 の上にも、國民は意識的に一の標準を是認するだけの學識と膽力とを有せざる也。 かくの如くにして、内地雑居の暁となりても、國民は猶ほ毫も自ら警醒することなく、 依然無學識と無膽力とを以て進みなば、學識ある、膽力ある、同時に亦金力ある國民は、 其の活溌なる整一なる言語を、我國中に繁殖せしむる事に、盡力すべき事をも豫想せ よ。
「エム、オーピッツ」嘗て佛語に對する獨逸語の獨立を論じて曰く、 " Wir Verachten uns selbst und werden verachtet " M. OPitz 予輩は自ら已を卑しめて、しかる後他に卑しめらると。國民が自國語を尊敬するを 知らずして、外國人のために其國語の卑しめらるゝに至る、知るべきのみ。殷鑑は「オ ーピッツ」時代の獨逸語が、佛語に對せし上にても知らるべし。而して其國語といへる 者は、我等日本人に取りては、皇室の藩屏たり、國民の慈母たり、我等同胞の精神的血液 なり、我帝國の歴史的生命なり。しかるも猶ほ國民は一切此上に無頓着にして、一掬 の涙をも此上に濺がず、而して一方には揚言して日く、將に東西兩文明の融化者たら んと、これ豈自ら其帯を取りて、自身を空中に提上せんとする者の言に似たらずや。
第二 我帝國の文字の組織は果してよく國語の發達を補助すべきか、内地雑居後、日 本語が爲すべき發達を、助長せしむべき資格を有せりや。
抑も最も好く言語を發達せしむべきものは、最も好く其言語を代表し得べきものた らざるべからず。言語にして既に變遷の常理に従ふものならば、文字も亦従つて變 遷せざるべからざるなり。しかるに今日我國に行はるゝ文字の組織を見れば、 文字− フオノグラム −音字 イデオグラム −意字 フーキチツ貞 −聲音圭 シラピンク ー轡音ま 一音に蔓化あれば直に其の 音の字を作る 音に蔓化あれぽ其の音に関係」 あるだけのシラブルを作る 音一」變化ありても字 形を變ぜざるもの 一音一字のもの aiueo アイウエオ 合音一字のもの kakikukeko かきくけこ 一語一字のもの ヤマガハ …ヅツチ 山川水土 サン七ン ス』。・’ の如く、意字あり、綴音字あり、聲音字あり、三種盡く混合せり。加之、意字には隷楷行草 等の諸體あり。訓あり、漢音あり、呉音あり、宋元音あり、或は無暗矢鱈の如き宛字あり、 ケリ(鳧)カモ(鴨)イ(馬嘶)ブ(蜂聲)の如き戯字あり、而して同時に又訓にも數種ありて、假令 ば日曜日に於けるビ・月日に於けるビ・ヒ等の如き、全く慣習によりて判別すべきあり。 多少簡單なりといふ綴音字の上にても、片假字平假字の二種あり、平假字には變體假 字等も數多あるにあらずや。
かくの如き複雑極まる文字の組織は、世界上にて何處にゆくも、予輩は決して其比を 見ざるなり。嗚呼二十世紀も將に來らんとする東洋の形勢上、事々物々悉皆激烈の 競争場裏に立ち到らんとする時に至り、我國民は果してかゝる複雑なる文字の組織 を、始終使用せざるべからざるか。我等國民は猶ほ忍ぶべし、しかれどもかゝる文字 を以て内地に來り居る外國人、或は新に歸化する未來の我等同胞を、日本化せんと考 ふるに至りては、予輩は誠に其の考の健全なるや否やを疑ふものなり。況んや東西 兩文明を融化せんと大言壮語するも、如何にしてかゝる武器を有する國民に、これを 決行すべきだけの權利の存すべき。
しかり、此文字の組織は或は千年も萬年も生き残るべし、しかも世界統一の天命を帯 びたる戰勝者の文字としては、今一層簡單なる組織の文字の國内に行はるべき日あ らん事を豫想せよ。
試に左表を見よ。こは英の語學者グラツドストーン氏が、以太利獨逸英吉利三ケ國 に於ける兒重が、六七歳より始めて何時間を讀書科に費せば、普通の書を讀み得るか を對照せしものなり。
以太利 (一年三百六十時間の割) 九百四十五時間
獨 逸 (全上) 千三百二時間
英吉利 (全上) 二千三百二十時間
されば入學後早くて二三年、晩くて四五年の後には、是等諸國の兒童は容易に凡ての
書籍を讀み得るなり。これを我帝國の、四十年も學問せねば一通りの字はよめぬと
いひし大學者、或は堂々たる大臣議員等にして、枚擧黽勉矛盾維谷等をだに讀み能は
ざるに比し、豈に又霄壞の差のみといはんや。現に予輩が嘗て教員檢定試驗委員た
りし經驗に徴するも、かの他日師範學校中學校に教諭たらんと自信する人にして、猶
ほ重箱をカサネバコ頭取をカシラトリとよみし人きへありしが如き次第なり。
國民にして早く此等の弊の因て起る大根本を改革せんと自覺するに非ずんば、一國 内の教育すらが、誠に覺束なき次第にはあらざるか。
憂國の諸君、以上列擧せるが如き問題は、果して國民が自ら解釋すべき問題にはあら ざるか。團體を作り、學者を糾合し、官に私に、大に決行を速斷すべき、價値を有する問 題にはあらざるか。知らず一方には英吉利語なり、佛蘭西語なり、獨逸語なり、露西亞 語なり、優勢なる外國語流行し初めて、其外國語が上流社會・學者社會・交際場裡の言語 となり、所謂「リングワ、フラン力」となり、所謂官話とならんとする趨勢なるにもかゝは らず、我等大和民族が三千年間の好伴侶たりし日本語は、下等社會或は田舎漢の俗語 として、堕落し了るも、これ固と優勝劣敗の理のみ。しかたがない、さうだツたかとの嘆 聲と共に、泣き寝入りをなすべきか。
速に國語を調査し、割愛すべきは割愛し、保存すべきは保存し、大改革をなすと同時に 特別保護を此上に加ふるにあらずんば、學理的に、美術的に、社交的に、數百年來培養せ られたりし外國語は、遂に我國に深く堅き根を有するに至るべし。見ずやローマの 「カートー」を。かれが八十の高齢を以て自國語のために希臘語を學びし熱心は、遂に ローマの言語を希臘の言語と併行し得るまで發達せしめたるにあらずや。又見ず や獨逸の猛將「ブリューヒャー」を。彼が「予は佛國人にあらず、獨逸語にて話したまへ」との 一言の下には、他日獨逸が佛國を蹂躙する元氣、既に業に顯はれ居るにあらずや。
文學に富まざる國民は、たとへ金力に富むも、又武力にとむも、人倫上禽獸に近き國民 たることを豫想せよ。かく論じ來りし後、予輩は予輩の意見を附記し置くべし。
第一 一日も早く東京語を標準語とし、此言語を嚴格なる意味にていふ國語とし、こ れが文法を作り、これが普通辭書を編み、廣く全國到る處の小學校にて使用せしめ、 之を以て同時に讀み・書き・話し・聞き・する際の唯一機關たらしめよ。如何なる人に も缺點あるが如く、如何なる方言にも缺點なき能はず。しかも我國民が伊藤侯山 縣侯を以て、日本國民の模範として英國露國に赴かしめしに比すれば、東京語を以 て日本帝國の模範語と決定し、諸外國語と併行せしむる事、又今更に拒みがたき所 ならむ。而して一度之を模範語として後に、保護せよ、彫琢せよ、國民はこれをして 國民の思ふまゝに發達せしむべきなり。
第二 一日も早く聲音字を採用せよ。而して此聲音字は露西亞が露西亞國字を一 定したるが如く、日本語の爲に、日本人の爲に、日本人の作りたる聲音字たるべし。 かくして一方には最も多く固有の日本語を用ゐ、其方言的資格を標準的に高め、し かる後に同音異語の多き支那語を淘汰し、同時に在來の日本語にていひあらはし 得ざる歐米の外來語をば、其の儘に自由に輸入すべきなり。斯の如くする時は、文 章法は依然日本語の文章法にて止り、語彙は自國語及び外來語とより成立する事 となるなり。歐洲語の如き、支那語よりも其の性質日本語に近きものを、文字文章 のためとはいへ、一度支那字に翻譯して、しかる後にこれを邦文に輸入するが如き は、言語學的観察點より見れば、愚の最も甚しきものなり。予輩は此點に就きては、 切に世の文字論者に望む。支那字を生かさんが爲に日本語を殺すなからんこと を。日本言語は本なり、文字は其の如何なるを問はず、盡く末なる者なり。末の爲 に本を愆る、これ衣服の和洋を論じて、衞生の如何を問はざるが如し。此の文字の 問題にして決せらるゝの日は、予輩が不都合不條理極まる假名遣法、送假名法、字音 假名遣法、外國語轉寫法等に關する、一切の難問題を一掃し了るの秋と知るべし。
第三 是等の大問題を調査せしめんが爲に、宮内省或は文部省内に國語調査會を設 置し、帝室より、上下議院より、官公私の學者教育者より、其の委員を選任して、以て此 の國家的問題を解釋せしめ、然る後其の成案を發表して、廣く之を輿論に訴ふべし。 これ國家が此の上に爲すべき、最も合理的なる一方案なりとす。
以上は予輩が内地雑居後に於ける國語問題に就きて、懷抱する意見の一班に過ぎず。 勿論、此の事が雑居前に着手せらるれば、慶事中の慶事に屬すべきなれども、予輩の迂 遠なる、かゝる計畫が、一年二年の間に着手せらるべき、プロバビリティーあるを信ずる 能はざるなり。止みなむかな。
先づ第一に予輩の主張せんと欲する所は、國語を重んずると共に外國語を奨勵すべ きことなり。今日までの日本語學史を見るに、語學上に於ける日本國民の失敗は、何 時も自國語を愛育せずして、直に外國語を重んじ過ぎたるに基くものなり。これ固 と新奇を愛し、見聞を弘むるといふ普通の人情に基き、併せて現に他國の文明が、正し く自國の文明より進み居りし事實に基きし事には相違なきも、あまりに自己を棄て て模傚に過ぎ、爲に祖先來の歴史を重ぜざりし観あるは、後世識者の認めて疑はざる 所なり。試に儒教佛教の入り來りし以後の歴史を見よ。又降りて徳川氏時代に於 ける漢學の復興、或は明治年間に於ける洋學隆盛の状況を見よ。他國の言語文學制 度宗教慣習等のために、自國の言語文學制度宗教慣習等が其の發達を害せられ或は 大打撃を蒙りし事幾何ぞや。而して當時の流行社會は、彼にあらざれば人の人たる 所なしとまで誇稱迷信したるにあらずや。一度盲動熱の覺め來りし今日に於て、試 に沈思默考せよ。如何に予輩は人の眞似する猿よりも、其の猿の眞似する猿の如き 観に富めりしかを。見識ある大國民は、如何に他人種の混入し來るも、凡て自國語を 以て他國語を同化し、他國人に自國語を話さしめて、敢て容易に他の犯す所とならざ るなり。巴里に行くも、倫敦に行くも、伯林に行くも、此の気象は均しく此の氣象たる なり。喬木は大風に吹き折らるゝまでも、雑草のごとく靡き伏しはせざるなり。天 下を席巻する大風なれば、見事折れてこそ、喬木は喬木たるなれ。
内地雑居のあかつきとなりて、予輩日本國民が國民としての覺悟は、正にかくの如く ならざるべからず。國語の大權を侵す外國語は、一日も我帝國内に生存せしむべか らず。
然りと雖も、予輩豈に徒に外國語を蛇蝎視する偏僻なる和學者神主連の一輩ならん や。學術上よりいふも、外交上よりいふも、通商上よりいふも、而して最後に雑居後の 社交上よりいふも、予輩は愈々益々外國語の智識を我國民に普及せん事を所望する ものなり。明治三十一年以後の日本國民は決して十八世紀末の佛國國民の如く自 國熱にのみ浮かれ居るべきものにあらず。
歐米に於ける學術の進歩は、我等東洋人の決して今日に企及すべき所にあらず。鋭 意以て之が傳習に從事し、たとひ之を凌駕するまでには至らずとも、須臾も之に後れ ざらん事は急務中の急務とすべき所なり。而して歐米語學の智識なきもの、豈によ く此の大事業に當り得べけんや。
次に外交の事を見るに、日清戰爭以後、東洋に關する事、又いふに忍びざるものあり。 清國は正しく膺懲せられたれども、大韓國を〓[豈見]〓[兪見]する大國は、敢て爾來其望を絶ちた りといひ難きにあらずや。臺湾新に帝國の領土に入りたりとはいへ、一朝上海電報 に接すれば、國民擧りて溜息をつくに躊躇せざるにはあらずや。而して支那帝國の 命運はといへば、今や將に獨露佛英等の一投手の下に絶えなんとす。此際堂々たる 我日本帝國に、外交にたけたる英雄豪傑は彬々たらんなれども、猶ほ此の上にも歐米 諸國の言語に通じ、東亞諸國の言語に達したる、手腕に抱負に能く歐洲或は東亞にあ りて、檎縦自由の策を講じ得るもの濟々たらんには、予輩の心意を強うし得べきもの、 果して如何ならむ。陸軍の事未だ談ずるに足らず、海軍の急焉んぞ絶叫するを要せ む、東洋は笑つて東洋の平和を維持し得べきにあらずや。
次に又商業の上を見るも、歐米との交通はいふまでもなく、大清國の沿岸は皆我國民 を歓迎すべく、幾萬方里の支那帝國内地は、擧げて我國民の商権内に立たんとす。予 等同胞が第二十世紀に、歐米人に卒先して雄飛すべき天地は、太平洋にもあらず、南大 洋にもあらず、正しく此等大陸の天地にあらずや。而して通商の第一管鑰は言語な ることを忘るべからず。而して其の言語とは單に支那人の話す中國語のみにあら ずして、英語なり・佛語なり・獨逸語なり・露西亞語なり・凡て此等予輩の商敵たる國々の 國語を指すものたるを忘るべからず。
最後に又雑居後に於ける社交上を見るも、予輩は外來の第二同胞或は朋友をば極め て鄭重に接待せざるべからず。予輩は所謂大和民族なる者が、如何に高尚の感情を 有し、如何に卓絶なる智識を有するかを、彼等に示さゞるべからず。彼等の土地に慣 れず風習に暗くして、感ずる所の不自由をば、好んで助くる友情を缺くべからず。
此點に於ては、予輩は實に我國民が、猶ほ攘夷的の蠻行を繰り返さゞるやを懸念する ものなり、故に彼此交通の第一義として、外國語に通じ、外國人と交際して、能く我國 情を理解せしむべき、まことの大和男兒の續々輩出せんことは、予輩の切望する所に して、爲に外國語奨勵を特に主張する次第なりとす。
かくの如く見來るときは、外國語奨勵の事は、決して一日も忽にすべきにあらず。一 日怠れば一日國家に損失あるは、昭々乎として明なる事實なり。國民が外國語學校 を設立したるも、亦蓋し此の見に外ならざるべし。然り國民は進んで高等商業學校 附屬外國語學校よりも一層大なるものを設立せんとしたりしなり。
然れども、國語の智識に基かざる外國語教授は、極めて危険なることを忘るべからず。 此の如きは、一方には勞して功なき事と、他方には自國をいやしむ悪風とを養成する 傾向に富むことを記臆せよ。
自國語の上に智識皆無の教師は、全く一個の外國人と擇む所なくして、以て子弟の教 育を初に托するに足らず。見よ自國語を話すことすら出來ぬ教師、自國語にては文 章の書けぬ、其の兩親にすら外國語で手紙をやるといふ様な教師が、自國語の智識よ り外は持たぬ生徒を、能く教授し得べき事萬々あるべきや。かゝる教師なればこそ、 生徒は何も眞に會得することはなくて、數年間の教授も誠に徒労に屬するなれ。よ し又其の生徒の中に、抜群の秀才ありて、其の教師の如く、外國語をマスターし得る者 ありとするも、其の生徒は從つて其の教師の如く、外國語崇拜者となるは、十に八九ま で皆然り。勿論自國語の教育を同時に受け得らるゝ生徒なれば、此の上もなき事な れども、先づかゝる者は云ふべくして見るべからざる者ならむ。されば大體を以て 論ずるに、自國語の智識なき教師は、如何に他國語に秀づるとしても、傭人としては知 らず、國家教育の機關たる教育者としては、決して採用すべき者にあらずと覺悟せざ るべからず。
これと同時に外國語教授法も、初は國語を以てせざるべからず(一)音韻の組織に於て、 (二)語彙の統計に於て、(三)文法の構造に於て、外國語教授を掌る所の者は、能く彼我の異 同に精通するを要す。我等は固より此の比較を、分析的にのみ對照せよとはいはず。 初學の輩にありては、不知不識の中に其異同を知らしめ、晩學の徒にありては分析的 法を採るも、総合的法を採るも、適宜に斟酌して可ならむと信ずるものなり。而して 其の實地練習の時にありては、必ず口と耳との練習より始め、決して目の方に偏せざ る様注意せざるべからず。我國の外國語學界は今日の處、猶ほ全く中古以降の漢學 毒に中り居れりといふべし。眞の言語の智識とは、之を口にし・之を耳にし・之を聞く も・之を書くも・之を讀むも・何時にても其用を便じ得る底のものならざるべからず。 かくの如くあらざる以上は、外國語の智識は不具の智識なり、死したる智識なり、内地 雑居の後にありても實用に供しかぬる智識なり、一朝東洋に事ありとも其時に役に 立ちかぬる智識なりと知るべし。
予輩は今や此論を終らんとするに望み、一言内地雑居後に於ける外國教師の事に及 び置くべし。むかし予輩の如きは、水兵なりしといふ人より、英語を習ひし事あり。 又ある所の學校にては、あやしき獨逸人が英語の教師たるを見受けし事あり。其他 本國に於て小學校教師たるの免許状すらを有せざる、所謂エタイの知れぬ先生が、現 に二百圓三百圓などいふ大枚の日本貨幣を頂戴し居る向もあり。外國人なれば何 んでもよし、赤髯碧眼の君様なれば何の方でもといふ時代は、已に業に經過せる事な りと思ひしに、現にかゝる様なる處を以て見れば、内地雑居後の教師任選問題は、隨分 おもしろく且つやかましからんと想像せらるゝなり。熊や八が某國へ渡りて、日本 語の教師となれりと聞かば、予輩は熊や八の爲に、其の名譽を名譽なりとするに關は らず、某國のためには、一度は笑ひ、一度は悲み、而して最後に日本帝國の學問のために、 其の神聖の犯されたることを嘆ぜずんばあらず。同胞人と雖も、失當の事あるに當 りては、正にかくあるべき筈なり。況んや同胞人が、かゝる失當の人より教授せらる るといふに至りては、極めて慷慨すべきにあらずや。
予輩は信ず、英國語の爲には必ず英人を傭ひ、獨逸語のためには必ず獨逸人を聘すべ し、あやしき方言などを話す外國人は決して未來に於ける外國語教師たるの資格な しと。
予輩は又信ず、内地雑居後にありては、文部省に検定委員を設けて、外國人にして外國 語教師たらんとする者の試驗を擧行すべし。而して其各學校に於ける給料は、官公 私の學校の性質によりて、支出の法に相違あるべきも、帝國教育の爲に一定の時期間 從事したる者には、國庫より恩給を下附すべしと。かくの如くして始めて、宣教師的 に宗教上の影響を生徒に及ばさしむる事なく、我國の國家教育に、幾多の貢献をなし 得べき有爲の外國人來りて、我國の教師たるに至るべし。而して後我國に於ける外 國語教授の事始めて新面目を呈すべし。
(明治三十三年一月稿)