しかれども、言語は何人も知るごとく、實在上には決して一致し がたき者なれば、此上に一標準を規定すると云へば、畢竟抽象的 に其理想を談することゝ思はざるべからず。而して此事は、か の複雑極まる法律的生活の、萬般の顯象を規定する法典編纂の 事業と均しく、時世を共に其理想の變遷しゆく時には、従ひて又 其標準を轉移しゆくべきものとす。事實然るべきにもかゝは らず、猶此上に注意する人なき時は、次第次第に前世の標準語と、 後世の有力なる方言との間に衝突を生し来り、遂には文學上の 一大革命を見るに至るべし。そは歐洲なる有力の言語、即ち英 佛獨以等の國語の運命を、観察したまはゞ明瞭ならんと信ず。 如何にしてチヨーサー、シエークスピヤ等の言語が、英國の標準 語となりたりしか。如何にしてルーテル、ゲーテ等の言語が、獨 逸帝國の標準語とまで發達し來りしか。而してコルネーユ、モ リエール等の言語、ダンデ、ボツカシヨ等の言語が、數百年來かの 大勢力を育せる羅甸の舊標準語を排斥して、佛に以に皆發生 を爲すの止を得ざりしを見る時は、以上予が所謂時世に伴ふ理 想の變遷が、如何に言語の中心と文學の中心とを動すに力ある かに驚かざるを得ず。
然れども、一度理想の言語が固立したる曉には、そは實在に於け る如く非常の轉變をなす自由を有せさるものなれば、従ひて其 規則を確守し、其統一を實行しゆく上に、極めて勢力ある者なり。 よし假令多少轉變の免れかたき塲合にても、猶其進行を一層知 覺的に、一層秩序的になさしむるだけの限制力を有す。かくの 如くして此標準語は、言語發達上の一大要素たる保守力を代表 する者なり。
以上陳述したるが如く、標準語は理想的の者にはあれども、その初 に遡りて論ずれば、もとこれ一個の方言たりしものにて、其方言 が種々の人工的彫琢を蒙りて、遂に超絶的の地位に達し、仝時に 其信用と其尊敬とを高め來たりて、やうやく他の方言をも統括する程 の大勢力を得たるものなり。今日の獨乙の標準語の如き、尤も よき其例にして、此標準語は其初めシユワビヤ、オーストリヤ其 他の方言より合成したる、中央及南方獨乙國の諸宮廷諸官衙に 通用せる言語にして、通常人の「カンツライスプラーへ」と稱する 者なり。扨てこの「カンツライスプラーへ」は、漸々講處に行はれ ゆきて、十五世紀にはアウグスブルク、ニュルンベルク等の活版所こ れを採用し、次でマイセン、チューリンゲン、エヤフルト、ライブチ ツヒ、ウィツテムベルク等に及び、十六世紀の初にはフランクフル ト、マインツ、ウオルムス等にまで進みゆきぬ。かくて世界の警 醒者ルーテルは此間に生れいでゝ、聖書飜譯を决行し、宗教改革 を主張して以來、其使役に應しける右の「カンツライスプラーへ」 も、頓に其品位を高めて、遂に他日大帝國を糺合する一先導者と はなりぬ。かくして有力なる獨乙の標準語は定りぬ。爾來レ ツシング、ゲーテ、シルレル等の文豪出て、愈此標準語の光彩を増 し、諸般の學者これに從ひ、大小の學校これを採用して、遂に今日 の盛大あるに至れり。かくして世界の言語學上、尤名譽ある一 事案は、稍く其成功に達したり。
標準語の理想的のものたる事、しかも猶人工的に方言より發達 する者たる事等は、一應以上の陳述にて了解せられしことと信 ず。予はこれより其標準語が、鞏固なる地位を保ちゆく上に、忽 にすべからざる二大理要點ある事を説かむ。即ち第一には其實 際話さるゝ上の注意、第二にはその文章に用ゐらるゝ上の注 意等なり。
第一 讀者も已に知らるゝがごとく、標準語は各言方より正しく 超絶して、しかも其等の上にある各實在の心髄を蒐集採擇し、猶他 の研究をも加へてしかるのち右等方言の融和統一を固定すべき者 なれば、其者は必ず實地に話され得べき者ならざるべからず、否 必らず何處かに現在話され居る者たるを要す。さなくして 我日本の文章語のごとき、單に筆にのみ綴り得べく、日には毫も調子 づかぬものは、もとより死語に属するもの、決して實際には何の効 益もなさざるなり。猶かの羅甸語が、中世紀の間歐州の学者社 会の通用語たりしと仝じく、一部の人の用をば辨すべきも、到底 一般人民の採用すべきものにあらざるなり。されば独乙にあ りてはハノーブル、仏蘭西にありてはツール地方のごとき、皆其標 準語のまのあたり、話され居るによりて有名なる所なり。たゞ しかくいふにも、其地方の教育なきものは、格別の事なりと知る べし。
英吉利國にありては、標準語の運命は中等以上の教育ある人々 の手に掌握せられ居り、此等の人々の社交上に有する高尚なる 趣昧が、始終其言語の純粹を維持し行くものなり。此場合にて も、或は文人、或は武人人、或は商人、或は藝人と、それ/\職業により て、言語にも亦差異なきには相違なきも、唯一點に於て、即ち方言 の臭みを脱すると云ふ一點に於て皆一致する者なり。仏蘭西 にては、一方には、「テアターフランセ」の如き演戯場に附するに、 純粋の仏蘭西語を話す貴任を以てし、一方にては「アカデミ」の 如き碩學大家の集合場に高尚なる文學語學上の問題を討究せ しめ、かくして實地に又學理に、其標準語の訓練培養に手を盡し、 尊敬に尊敬を重ね居るなり。獨乙も亦此點に注目する事、決し て他國に劣らず、此處にては主として演戯場裡の言語に手を入 れて、これを標準語の活きたる場合とせんと務むるが如し。現 に発音を一定せしめんとて、尤も輓近の発達にかゝる「フォネチツ ク」の原理を應用し、かくて一方に躰形變化の亂雜を拒がんとす・ 其他俳優に、成るべく最大多數の聽衆に聽取りやすからんこと ばの撰擇を許すが如き、或は其撰擇をなすにも、猶美と品とを失 はざる様注意せしむるが如き、其用意尤も周到なりといふべし。 かく泰西の諸國は、其標準語のためには肺肝を盡しつゝあり、然 るも猶畫一の業、容易に其功を奏せず。然るを况んや、かゝる懸 念の毛頭もなき國々をや。苟も言語文章の爲に一臂の力を振 はんと欲するものは、決してあだに此點を看過すべからず。
第二 以上陳べたる點より離れて、更に一層標準語が其地位を 鞏固にする點は、その言語が文章上の言語となることなり。か く標準語が文章上の言語となる以上は、これを話す人より全く 獨立の地位を有し、啻にそのまゝ後世に残るよすがとなるのみ ならず、又現在傳播しゆく上の、速度をも増加するに至るなり。 偖かゝる標準語を、初めて文章上に寫出し、これを後世に傳へ、こ れを以て一代の文運を開基する人あらば、其人は所謂其言語其 文章の「マーターヤ」にして、正しく一個の愛國者たり、一世の救世 主たる名譽を得るに於て、容易に他の功業者の後に落ちざるも のなり。コロンブスの名譽重からざるにあらず、しかもダンテ の功滅すベきものかは。
されは此新文運を開く人が、其初めにあたりて、奮標準語を墨守 する種々の人より、殊に學者など稱せらるゝ人より、つまはぢき せらるゝは通例なり。こは如何なる事にても免れがたき物の 數なり。たゞ自已の良心を守り、自己の意見を尊び、一身を抛ち て事に當らば、大丈夫死して又怨む所なかるべし。
其一度文章の上に現はれたる標準語を、最大多數の人に傳播し、 且つ開化の進歩につれて、それ/\必要の變化をなしゆかんと には、在來の文章法及ひ単語法の標準をそのまゝに保存し置き て、傍ら新しき語の創造と、古き語にて新しき観念の代表をなさ しむる事とに、或る一定の度までの自由を與ふべし。然るとき は、整頓せる進歩を望みて、決して失望する事あらざるべし。然 れども、現今の日本語の如き、前代の標準語中の文章法、あまりに 古代すぎて、現代の標準語猶未た一定せざるものにありては、予 は容易に此條の注意を有効ならしむる利益を認めず。
扱て以上の二要點をよく調和して、最大多數の人に、最も有効的 に標準語を使用せしむるは教育の力なり。然るを此標準語の ありやなしやをだに知らず、よし又知りは知りても、其理想に新 古の差あることだに識別せざる教育は、最もみすぼらしき教育 と云ふべくして、一國の國語を統合する上よりいへば、極めて無 謀なる處置と云はざるべからず。猶國語教育の事に付ては、語 るべき事多し、語るは則ち涙の種なり、敢て茲に云はす。
標準語の事を述べて、標準語の「ドゥワリテイ」、或は「コムプレキシ ティー」の事を一言なし措かざれぱ、踈漏の罪免れかたかるべし。 即ち「ドゥワリティー」とは標準語の二個連立ずる事にて、古き例は 希臓に於けるアチック語とラコニヤ語との如し。近くは瑞西の 獨乙語の如き、亦此例に外ならず。概してかゝる場合には、商業 上政治上文學上及び宗教上に、二個の獨立せる中樞ありと知る べし。之に反し「コムプレキシテイ」とは、二個或は二個以上の言 語が、其大要の上にては一標準を戴きながら、猶其範圍内に於て、 第二次的の標準語を制定し居る場合を云ふ。例へば英國語に 於ける、米國語の如きこれなり。
かくのごとく標準語につき陳述し來りし後、願はくは予をして新 に發達すべき日本の標準語につき、一言せしめたまへ。予は此 點に就ては、現今の東京語が他日其名譽を享有すべき資格を供 ふる者なりと確信す。たゝし、東京語といへば或る一部の人は、 直ちに東京の「ベランメー」言葉の様に思ふべけれども、決してさに あらず、予の云ふ東京語とは、教育ある東京人の話すことばと云 ふ義なり。且つ予は單に他日其名譽を享有すべき資絡を供ふ とのみいふ、決して現在名譽を享有すべきものといはず。そは一 國の標準語となるには、今少し彫琢を要すべければなり。され ど此一大帝國の首府の言語、殊に其中の教育をうけし者の言語 は、社交上にも学問上にも、軍術上にも商工上にも、其他文學とな く宗教となく、凡ての点において皆非常の伝播力を有するものな れば、この實力は即ち何にも勝る資格なりといふべきなり。
然らば其彫琢は如何なる點に於てせらるべきか。 これ予が吹 に答へんと欲する所なり。
其他教学上の、言語に就きては、前にも云ひし如く述ふべき事山 々あり、こは他日別に述べんと欲す。もしかの法庭の言語にい たりては、予が深く熟知せざる所、今又之を論ずる遑なし。
そは如何にまれ、以上列擧せるが如き言語は、皆標準語を制定す る上に大勢力を有するものにして、此等の言語が互に助けもし 助けられもして、秩序ある合理的なる共同的發達をなす時に、初 めて明治の大御世の標準語は固定せりと謂ふべきなり。而し て此際教育界の國語擔任者が、如何なる目覺しき運動をなすべ きかは、吾人の今日より瞰望する所なり。願はくは永くオデイブ スに出會せざる、「スフィンクス」たらしむることなかれ。