これから少し、小兒の言語につき陳べようと存します。私は茲 に奥州地方の小児と、東京地方の小児と、中國地方の小児と、九州 地方の小児が、それ/\學齢に逹して、其地方の小學校に入學 すると假定致します。扨てこれらの小児は、其家の貧冨により、 貴賎により、其父母兄弟の教育あると教育なきとにより、其土地 の便不便開不開とにより、凡て其言葉を異に致します。それ故 其小兒の賢愚は暫く申しませずに、たゞその有つて居ります語 彙の多少を論じましても、又は其一々の語か小児の心裡に喚ひ 起します印象の淺深より論しましても、大抵ひとつとして同じ ものはありますまい。しかし、すべて此等の小児の言葉が、各地 方の方言か、又は其小児の家の言葉かである事と、猶それにして も、其地方の大人か話す言葉とは、同し趣きでない事とだけは、殆 と疑を容れませぬ。
かういふ風な小児か、いま小學校に入學すると致します。事實 國民の義務として、強迫教育制度の下に、必す入らねばならぬの であります。しかし此場合に其強迫教育を擔當して居る學校 と申すものては、果して如何様にこれらの小児の言葉を取扱ふ ものてありますか、これか一の問題であります。
私は各地方の小學校て、或は各地方の師範學校て、多少此等の調 査をせられ、實際にはそれ/\、便利なる方法を考へて居らるゝ 事と信じます。それは今より五六年前に私か宮城福島栃木埼 玉等の諸縣を巡回いたした事がありましたが其頃種々の場處 で見聞した事を思ひ出しましても、當時已に其地方の有意の人 々は、多少此上に配慮されて居つたかと思ひます、まして此五六 年をかけて、國語教育も漸々進み、普通教育も次第に盛大になりし ました事故、今日のかゝる調査か、實際でば余程其歩を進めたら うといふ事は歩しも疑ひませぬ。
よし、それは地方/\の教師の随意の方便に止るのて、しか も遇憾なから此等の人々が、皆國語學に通して居るとは申しか ぬるのてあります。そして此等の人々は、もと/\一地方に割 據して居るのて、各地方の特質を取纏め、これを一定の標準より 論定するなど申す事は到底出来ぬのであります。これを致し ますのは、取りも直さず此の東京の最高等の學校に居りまして、 國語教授の名譽な地位を有ちて居る諸先生の御仕事でありま す。しかるに此諸先生の、右の問題に就て抱懐せらるゝ御意見 は如何ありませうか、私は不幸にも、まだ其一端をもうかゝはぬ、 のであります。更にいひかへますと、(一)各地方の方言に就て、(二) 其方言と標準語との連絡に就て、國語專門の方々か、教育上御配 慮あるべきことを、いまだに御配慮ないといふ事であります。 かく申しますと、或人は答へられて、今日の處では一方に小學讀 本といふものがあつて此上にて文章上の言語を教へ、一方には 教師の言葉といふものがありて、此上にて談話上の言語を正し て行くと申されます。成程かく承れほ立派に其法が立ち居る 様に思はれますが、さらば今少し細かに、右のお言葉に就き私の 意見のある所を申述べて見ませうに、
第一 全國の小兒の言語を、小學讀本にある文章上の言語で、一 部取締ると申されますが、此文章上の言語で、其取締が出來るか 出來ないかといふ事が、一の疑ひであります。又取締が出來る に致せ、其上に無益の労働が伴ひはせぬか、どうかといふ事も均 しく疑であります。或は此文章上の言葉には、一定の語法があ ると申されます。それはあるに違ひはないものゝ、さりとて其 語法には、それ/\日本言語の時代に應じて、現はれて來た歴史 的体形が、まざり居るといふ事をも、同時に認めなければなりま せぬ。即ち上古は上古、中古は中古、近古は近古といふ様に、それ /\言葉の規則か別にあります。たとへはコソとか、ゾヤカノ 何とかいふ言葉のかゝり結ひは、今日の言葉にはまるでないの であります。しかし、今日の文章には、これか混同して居る事を は知らねばなりませぬ。それを論者は委細かまはず、総べて一 くるめにして、文章上の言語とせられ、之を標準語となさるので ありますか。私は此點では、語彙を生徒に與へる外は、言語を教 授する要點は、まことにかくれて居ると思ひます、取りも直さず、 極めて壓制な故意的教授法だと思ひます。それは此文章法は、 餘程生徒の話す方言より隔絶して居ります故、其間の連絡が極 めてむづかしいからであります。私は小學校よりの教育を自 らうけました事故、此上の経験は、随分明確に御話致す事か出來 ると存じます。 成程見様見眞似で、この文章語流の文章を書く小児も、多くの中 にはないではない。しかしこれはごく少數で、昔通には教育を うけた割には、其語法に基いた文をかく人が少いのであります。 しかし、私は文章上の言語につき、意見を述ふる筈でありませぬ 故、猶申上けたい事はありますものゝ、今は假りに、此文章上の言 語は、全國一般同じ様な者がゆきわたつて居るとして、猶先に進 まうと存とます。
第二 は、則ち一方で使ふ教師のことばと申すものであります。
論者の言によれほ各地方の小児の言語は、此地方の教師となる
人の言語によりて、正されゆくと申されますが、しかし其教師全
躰の言語が、せめては文章上の言語位にまでなつて居ればよろ
しいのですが、それすらが甚た。如何はしいのであります。單に。
發音の上より申しましても、イと工、イとウ、シとヒ、シとス、カとク
ワ、ジとヂ、ヅとズなどの混同は、東西南北にありもしますし、また、
充分教育を受けた先生も、まぜて使はれて居ります。此亂雑に
なる事は、近來鐵道事業の發達と共にすゝみ、各地方の人々の往
來頻繁になりましたと共に、増したかとも思はれます。されば
ごくよく國語を話すといふ人の言葉でも、筆記して見ますと、随
分變なものになる事か往々あります。現にかく理屈は申しま
すものゝ、私なとの言葉も、まことに亂雑きはまつて居ります。
しかしどう亂れても、どう變になつても、此言葉でなければ現在
實地の教授は出來ませぬ。それはお互に悲しい、口惜しい。し
かし、今迄の事は最早申しても益がありませぬ故、せめてはたゞ
此前途に就て、其開拓と彫琢とに盡力するより外、手段はありま
せぬ。私は右の結果として、左に三個の問題を呈出いたします。
(一)全國の教師か話す言語は如何あるべきか、
(二)其談話語は如何に養成せらるべきか、
(三)其談話語と方言とは如何に連絡せらるべきか、
右の三問題に答ふる事は、則ち私が本日の問題を説明すること
であります。
第一 全國の教師か話す言語は、如何にあるべきかに就きまし ては、議論は大概二派に分るゝでありませう。所謂中央集權主 義達、地方分權主義との二であります。私は中央集權主義の論 者でありますが、其地方分擢主義の論者のいはれようといふ事 は、各地方は各地方で、各自の方言を愛する自由を有ちて居る、こ れは有ちて居るに相違ありませぬ、其方言は各自の住む地方の 山川とか、又は父母兄弟朋友とかと同じ様に、其人には離るゝ事 の出來ぬ可愛き尊き者である、それを捨てゝ、他の言語を用ゐる といふ事は、心よくない事である、殊に他の言語とて、其方言と同 じく、日本語であるものゆゑ、容易に優劣をつけて、自ら劣れりと する必要がないと説かれませう。此論の究極は、つまり九州と か、四國とか、中國とか、臭州とかいふ様に、大きな方言で全國の小 学教育を割據的に支配しようというのであります。これと同 じ論鋒は、ドイツなどの小國にはよくある事で、一應は尤もであり ますが、しかし私は此見解には賛成いたしかねます。私の主張 致します中央集權主義だとて、決して各地方の方言の自由を奪 ひ去り、これを撲滅してしまはうといふ趣旨ではありませぬ。 たゞ全國の言語を一統する事を目當とし、各地方の方言をば、此 一の中央語に何時でも近づける、又近づくときにはよくわかる といふ様にさせたいのであります。即ち各地方の方言の自由 は、其範囲内にて立派に立ちて居るので、猶其上に少し注意すれ は、たれが聞いてもわかり、たれが話してもわかるといふ、標準語 の心得を教へたいと申すのであります。殊に唯今では日本は 最早封建的時代の日本でなく、世界の中の一人とも申すベき日 本であります故、小さき國を大きく見、小さき戦を大きくするは、 得策でありませぬ、從つて多少の譲合は致しても、永久の基礎を は立てねばならぬのであります。私は九州男児とか、東北男児 とかいふ、郷黨的差別は最早よしてしまいたいと思ひます。同 しく兄弟である、一家であるとの覺悟は、今日の日本に取りては 肝要な事でありませう。此點に於ても、日本人が數個の方言を 話ず事と、一箇の言語を話ず様に心懸けて行くことゝは、大した 影響があらうと存じます。それのみならず、教育者を養成する 上からも、大した影響があります。殊に東西とわかれ、南北と隔り ましても、原が大抵同じことばであります故、これを一致さする 事は、あまりむつかしくはないのであります。 それなれは、どうして其の教師の言語を一軌に出つる様にする かと申しますに、これに答へる事は、則ち第二の問に答へる事で、 私は此大事業をあげて、文科大學と、高等師範學校との國家建設 の二大教育所に 委任しようと思ひます。少くともこれを中心 點としようと思ひます。
何事をなすにも、其の始は教師養成にあります。確固な土臺を
以て同じ様に働くことの出來る人物を養成しませずば、何事も
好結果は望めませぬ。これは一寸見れば、盗賊を見て縄をよる
様な事に見えませうが、しかしこれか一番効果に冨む、一番手早
い方法であります。國語教授を盛大にしようと思ふに當りま
して、在來の國語の教師連に講釋をして聽かすのも、一方法には
違ひありませぬが、昔通教育のない、則ち同じ頭脳をもたぬ、同し
訓練をうけぬ人々では、到底一組織としての結果をは見ること
が出來ませぬ。それゆゑ一の事業には、必ず根本より磨きあげ
た、いひかへれば、凡ての點でわかりのよい、人物を要するのてあ
ります。されば右等の學校で、充分、充分とはゆきませずとも出
來るだけ、教育を受けた人々が、各地方の教師となつて行き、其又
弟子か全國小學校の教師となる曉に、全國の學校生徒が畫一に
近い言語を習ふ様になるのであります。試に大學と高等師範
學校とを三年とし、尋常師範學校と尋常中學校とを五年とし小
學校を八年として見ますと、唯今より三年後即ち明治三十一年
には、大學高等師範學校より其卒業生を出し、其卒業生が直に中
等教育に從事致しますと明治三十六年には其中等教育の卒業
生を出し、そして其卒業生か直に小學校教育に從事致しますと、
明治四十五六年頃には十四五の小児は、かなり奇麗な日本語を
使ふ様になりませう。しかし、これも全くかゝる方法を實行し
得るだけの、有力な教育家がありての事と、御承知を願ひます。
そして此教育界の言語か、日本全体の言語の上に、光大なる勢力
をもつ者と知ります時は、今より二十年ばかり後、即ち明治五十
年前後に、日本社會の言語が、數倍高尚に美麗になる筈でありま
ず。然し、さしあたりこの生徒養成法は如何ありませうか、私は
まづ
一 言語學一般
一 教育學一般
一 日本語の歴史并文法
一 日本語學史
一 日本文學史
一 発音學及能辨術
一 國語教授法
一 外國語(英漢獨仏の中)
等を眼目の課目とし、教へたらよからうと思ひます。文科大學
は申すまてもなく、高等師範學校なとは、皆大抵教育ある生徒の
入り來る所ゆゑ、こゝで右の様な特殊な教育を授けましたなら、
從前のとは違つた、善き教師の得らるゝ事でありませう。扨て
これらの人を階子の第一段として進みましたなら、未來に於け
る此學問の発達は、誠にたのしい事と考へます。
第三 其談話語と各地方の方言とは、如何に連絡せらるべきか。 以上の如くして養成した教師が、同一の、少くとも同一を心懸く る、談話語を以て各地方の教育に從事いたす曉が、始めてわれわ れの言語に對する責任ある處置を致す時であります。発音法 も知らず、文字遺も識らず、其上に日本語の歴史をも知らぬ人が、 此方言に就てかれこれ申すのは、悪い事ではないにしろ、誠に無 益な仕事であります。手をつけて改正しようとすれは、却つて 悪くなる事も往々あります。それ故、右の如き訓練をうけた人 が、要用であるのであります。
扨て、簡單より複雑、有實より無幻、知れ渡りたるものより知れ渡 らぬものへ進みゆくが、教育上の大方便であると致します時は、 此方言を能く利用してまいりませねば、到底教育上に大功を得 がたかろうと存じます。然る所、ある教師は方言をいやしめて 無理にそれを取除けようと致しますが、それは極めて不正な事 で、前々も申します通り、方言は、もとは兄弟の言葉で、左程径庭の あるべき者でないのみか、なにも知らぬ小児が、それを用ゐたか らとて、可愛想に子供の智識感情并に意思などは、此方言にばか り結ひ付て居りますのに、これを絶対的にいけぬといひ、をかし いと笑ひ、下品だといやしみます時は、小児は遂に手も足も出な くなつて仕舞ひます。これは唯今でも作文の上などにはよく あるので、無邪気に書かせれば、何の苦もなく書きますものを、和 文体或は漢文直訳体などいふ、むづかしい文章語でかけとせめ られます故、又さう書かねば文章でない様に教へ込まれて、生徒 自身もさう思ひ居ります故、とかく筆が鈍りて仕舞ひます。私 は十二三までの小児の文は、方言でもなにでもかまはぬ、其思ふ まゝを能く書上ぐるを以て主といたし、それか出来て後に、潤飾 法を教へゆく様にいたしたく存します。此機に応じて、実と文 との取合せを加減してまゐりますが、所謂教師の手段と申しま すもので、善き教師は、いつも其俗言其方言を土台として、それよ り無意識的に立派な言語、立派な文章を教へてまゐります。此 の方言を土台として、それより普通の言葉を覚えさす様致しま す上に、國民の思考力國民の感情を、養成する手段はあるのであ ります。
さういふ自由な、同時に又さういふ自然な、教授をいたさうと申 しますことは、どうしても方言の研究にも富み、又自己の標準と する言語の智識をも、しつかりと有ちて居る人でなければ出 来ませぬ。
教育者が此方言に注意せねばならぬといふことは言語學の發 達に伴ひまして此後半世紀間に獨逸で大部議論のあつた事で、 ハインリツヒ、ブルグワルト。ルドルフ、フォン、ラウマー。ヂー ステルウェツク。ミクェル。ヒルデブランド。ヒューゴ、ウュ ーベル等が、殊に種々の著書で意見を陳べて居ります。此運動 の事に就きましては又他日を期してお話を致しませう。
以上、私は談話語の上にばかり就いてお話いたしましたが、それ ならば其間文章語は如何様にあらうかと申しますに、其文章語 は、漸々勢力を増してまゐります右の談語語に引付られて談 話語の発達ともろともに体形を替へ、遂にはこれと一致いたし て仕舞ひませう、又一致させてしまわねばなりませぬ。即ちさ うなる時が、日本に真正の言語が出來る時で、同時に眞正の普通 教育が成立する時でもあります。さて其眞正の言語とは何で ありますかと申しますに、話すにも、読むにも、書くにも、一で用の たりる言語の事であります。
かく申すと共に、御注意いたす事か五個條程御座ります。
なにはしかれ、私が本日述べました所は、この生きて居る言語の 上に就き、充分の研究もされず、さうかといつて研究の方向も立 たずに居るは、誠に慨しい、私の意見であれは、せめてかやうかや う致したらよかろう、といふ事をざつと申したのであります。 (明治二十八年一月十二日大日本教育會に於て)