オーストラリア辞典
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Bright

ブライト


ヴィクトリア北東部、メルボルンの北東312キロ、オヴンズ川上流に位置する。
人口:1,898(1996)、1,545(1981)、595(1933)、972(1911)、551(1871)。


 地名はイギリスの政治家ジョン・ブライトにちなんで、1862年名づけられた。それ以前は、モーセズ・クリークMorses Creekの金鉱として知られていた。白人の入植以前は先住民Jaitmatangの居住地であった。1824年のヒュームとホヴェルの探検の後、1830年代に入植が始まったが、アボリジナルとの衝突で入植は中断した。最初に砂金が発見されたのは、ポーレパンカPorepunkahの北にあるバックランド・リヴァーであり、1853年のことであった。モーセズ・クリーク金鉱は1856年から採掘が行われるようになった。1857年にはバックランド・リヴァーの反中国人暴動が起こっている。1859年から測量が始まり、町の土地売却が翌年から行われた。鉱山用の火薬庫(1861年)や裁判所(1861年)の建設、ワンガラタからの鉄道の開設(1890年)などの整備が進んだ。砂金の枯渇にともない、1899年から金の浚渫が行われ、1913年にはこの地域に38台の浚渫機があった。金の生産量が減少すると、林業が経済的に重要となっていた。植林は1916年頃から始まり、大恐慌以後には森林管理委員会が林業の基礎として大規模なマツの植林を行った。第2次世界大戦後、観光が町の主要な収入源となった。スノーウィー・マウンテンズへのスキー客の滞在地として、またリゾート地として多くの観光客が訪れている。町には古い建物が保存されており、裁判所や1884年築の旧メソジスト教会など美しい建物がある。

 藤川隆男0403