オーストラリア辞典
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Coolgardie

クールガーディー


西オーストラリア南部内陸部、パースの東558キロに位置する。
人口:1,258(1996)、891(1981)、963(1947)、650(1933)、4,920(1901)。


 名前はアボリジナルの言葉koolgoor-biddie、「谷間のマルガの木」に由来するといわれる。Bayley's Find、Fly Flat、Old Camp、Old Diggingsとも呼ばれた。かつては先住民のMalpaあるいはWangkathaaの居住地であった。

 1863年、H.M.レフロイLefroyがこの地域を通過した。C.C.ハントHuntが翌年から探検を始め、井戸などを設置し、80年代までに水の供給設備を整えるのに貢献した。1892年アーサー・ベイリーArthur Bayleyとウィリアム・フォードがフライ・フラットで金を発見し、ゴールドラッシュが始まった。タウンが測量され、クールガーディーの名がつけられたのは1893年であった。93年には自治体が設立されたが、1921年に解散した。1893年にはテントのみの町であったが、95年には郵便局が設置され、96年には鉄道が開通した。同年プールがオープンし、電気の供給も始まった。98年までに人口は1万5,000人に達し、23のホテル、7つの新聞、2つの証券取引所が生まれた。97年までにロンドンにおいて、この付近の金採掘のために700の会社が設立された。1902から04年に州立金鉱石破砕機が設置されたが、すでに衰退は始まっていた。

 水の供給の大部分は蒸留装置に依存していた。最大のプラントは日量45万リットルを供給できた。1903年からマンデアリングMundaringから水を引く、金鉱水供給計画が開始した。1930年代に再度ブームを迎えたが、第2次世界大戦中には停滞した。大きな鉱山は閉山されたが、1983年にもまだ小規模な採掘が続いていた。

 町には、1897年にここで死亡した探検家アーネスト・ジャイルズの墓地がある。町はゴーストタウンとしてプロモートされているが、実際はそうではない。ただし一時期人口が200人近くまで減少したことがある。ベイリー・ストリートの幅の広さは、町がラクダに輸送を依存していたころのなごりである。

 藤川隆男0203