オーストラリア辞典
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Echuca

イーチューカ


ヴィクトリア中北部、メルボルンの北約206キロ、マリー川の辺に位置する。マレー川対岸のニューサウスウェールズの町モウアーマMoamaとは双子都市である。
人口:10,014 (1996)、7,943(1981)、4,137(1933)、4,789(1881)、1,649(1871)。


 地名はアボリジナルのヨタ・ヨタの言葉に由来し、川の合流点という意味だとされる。ヨーロッパ人による入植以前は、ヨタ・ヨタあるいはBaraba Barabaのアボリジナルの居住地であった。1838年にチャールズ・スタートがこの付近を通過した後、41年までには入植が始まり、45年までにはモウアーマにマリー川の渡し舟が誕生した。1851年に渡し舟の所有者で宿屋の経営者であったホップウッドHopwoodは、川の南岸に内陸港を作るべきだと提案した。1854年政府の測量官は、ホップウッドの選んだ位置をタウンの場所として承認し、イーチューカと名づけた。1855年に土地の販売が行われ、マリー川に舟橋がかけられた。1856年6月に始まる1年間に、少なくとも34,319頭の牛と、110,885頭の羊と1,710頭の馬がイーチューカでマリー川を渡った。

 イーチューカは内陸港として発展し、蒸気船の拠点になり、1858年にトマス・ミッチェルがイーチューカ・ホテルを、ホップウッドがブリッジ・ホテル(現存する)を建設した。商人や貿易業者が店を構え、ベンディゴウと電信で結ばれた。1864年にはベンディゴウとの鉄道が開通し、バラ(都市)となった。67年には警察署(現在の博物館)が建てられた。1875年に35隻の蒸気船と70隻の荷船の母港となったが、この時期が港としての繁栄の頂点であった。輸出は1878年、輸入は1880年にピークを打った。この頃にはオーストラリア最大の内陸港として、79軒のホテルがあり、港は3層の桟橋を備えていた。しかし、河川を利用した輸出は1901年までに消滅し、農業や農産物加工業が重要な産業になっていった。木材不足から1944年に桟橋の大部分が破壊されたが、73年から港の一部の修復が始まり、現在はこの地域の重要な観光スポットになっている。修復された港や外輪船によるマリー川のクルーズ、マリー川の生物を展示した水族館などは興味深い。現在、周辺地域では灌漑農業が行われており、町では観光とならんで食品加工業などが盛んである。

 藤川隆男0703