オーストラリア辞典
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Geelong

ジロング 、ジーロング


ヴィクトリア中南部、メルボルンの南西72キロに位置し、コライオウ湾Corio Bayに面した大都市地域である。ジーロングと一般的に書かれるが、つづりのeeはアクセントを置いて、のばさないで発音するのが正しい。
人口:125,382(1996)、126,311(1991)、125,279(1981)、105,059(1966)、39,223(1933)、17,445(1891)、16,613(1861)、20,115(1854)、1,370(1846)。


 オーストラリア全体では11番目、ヴィクトリアでは2番目に大きな都市である。地名は、ワタワルング・アボリジナルの言葉で「白い海鳥」、「崖」あるいは「オーストラリアヅルが生息する沼沢地」を意味すると言われるjillongに由来するが、こうした意味はどれも確認されてはいない。

 工業化の進んだ港湾都市で、市内にはバーワン川Barwonが流れている。重要な産業としては、毛織物、自動車、石油製品やアルミニウムの製造が挙げられる。ジロングは、教育面でも中枢であり、ディーキン大学のメイン・キャンパスやジロング・グラマーなどがある。

 1824年に、探検家ウィリアム・ホヴェルとハミルトン・ヒュームがコライオウ湾にたどり着いた時、この地域はアボリジナルの土地であった。その土地をジョン・バットマンはアボリジナルから購入したと主張したが、イギリス政府はこれを認めなかった。1837年に来た最初の移民は、アレクサンダー・トンプソン、デイヴィッド・ステッドとJ.A.コーウィーであった。ジロングは1837年に測量され、翌年正式にタウンとなった。1910年にはシティになった。

 1840年代から50年代にかけて、スイスやドイツ移民によってワイン栽培が行われたが、それが定着することはなかった。1838年建設された税関は、1845年にジロング電信局となったが、現存するヴィクトリア最古の建物である。1841年最初のプレスビタリアン教会が建てられ、1843-47年にはクライストチャーチ・アングリカン教会が建てられた。これは現存するヴィクトリア最古のアングリカン教会である。また1840年創刊の『ジロング・アドヴァタイザー』は最古の地方紙の1つである。

 1850年代のゴールドラッシュはジロングでも建築ブームを起こし、タウン・ホールやコライオウ・ヴィラなど現存する多くの建物がこの時期に建てられた。メルボルンへの鉄道建設が53年に始まり、59年には開通した。また バララットとの鉄道も1862年に開通している。

 1840年代から工業は始まり、1856年にはジェームズ・ハリソンによってオーストラリア最初の製氷プラントが建設された。また最初の毛織物工場が建てられたのもここである。現在町の中心部にある羊毛博物館Wool Museumは重要な観光スポットになっている。第1次世界大戦以後には、機械工学や重化学工学も発展し、今やジロングは重要な工学都市である。ジロングの市域の拡大により、周辺のジロング・ウェスト、サウス・バーワン、バーラリーンBellarine及びコライオウ郡はジロングと統合され、1996年に大ジロング市City of Greater Geelongとなった。その人口は175,409人である。

 水野祥子・藤川隆男0203