オーストラリア辞典
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Giblin,William Robert

ギブリン、ウィリアム・ロバート


1840-1887
ホバート・タウン、オーストラリア生まれ。
政治家、裁判官、タスマニア首相(1878, 1879-84)。


 ウィリアム・ロバート・ギブリンはホバート・タウンで、教会職員であった父と母マリオンの間に、1840年の11月4日に生まれた。彼はホバート中等学校で学んだが、13歳で中退し、オールポート・アンド・ロバーツ法律事務所で働いた。ギブリンは法律のみならず幅広い分野を勉強し、広く読書し、散文や韻文で自己の文学スタイルを発達させた。1864年に弁護士となり、父ウィリアムの兄弟でホバートの法廷弁護士である、ヘンリー・ドブソンのパートナーとなった。ギブリンはすぐに弁護士としての手腕を発揮し、1865年1月5日にエミリー・ジーンと結婚した。

 ギブリンは1864年に、ホバート・ワーキング・メンズ・クラブを設立し、1887年までその会長を務めた。会衆派の日曜学校を設立して、その教師となり、また、フットボールチーム設立なども援助した。さらにホバートとロンセストン間の鉄道の建設を主張した。これらの活動がその評価を高め、他方、1869年下院選挙で当選した。その後は財務大臣や司法長官、最高裁判所長官など政治、司法の分野で活躍した。また、1878年には首相に就任し、1879年から1884年までは連立政権を率いた。首相としてギブリンは、植民地の財政を再建し、民衆に公平な税制を採用し、積極的な公共事業計画に着手した。1885年には植民地最高裁判所判事となったが、1887年1月17日に死亡した。アルフレッド・ディーキンによれば「彼の植民地には大きすぎるほどの人物」であった。

 西海孝龍0901