オーストラリア辞典
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Goolwa

グールワ


南オーストラリア、アデレイドの南83キロ、マリー川河口近くに位置する。
人口:3,723(1996)、1,624(1981)、526(1954)、648(1911)、586(1901)、688(1881)。


 町の名前はナリンジェリーのアボリジナルの言葉で肘、もしくは海水と真水の混じるところを意味する言葉に由来する。1852年に小屋が建てられ、1850年代には夏の間、南オーストラリア政府によって庁舎に用いられていた。1852年に埠頭が建設され、翌年郵便局が開設された。1840年代にすでに測量が行われていたが、53年に新たな測量が行われて、土地が売却された。1854年には馬が引くオーストラリアで最初の鉄道が敷かれ、グールワの河川運輸と外港のポート・エリオットを結んだ。1853年にレディ・オーガスタ号のフランシス・カドルFrancis Cadellと、メアリー・アン号のウィリアム・ランドルが、グールワからダーリング川とマリー川の合流地点へとレースをして以来、マリー川の河川運輸は重要なものになった。1859年には警察署が、1867年には裁判所とイギリス国教会の教会が建てられるなど、1850年代から70年代にかけてグールワは河川運輸の重要な港であった。1878年にモーガンからアデレイドへの鉄道が敷かれ、その担う役割は小さくなった。

 1940年に700,000ドルの費用をかけて、町のすぐ下流にグールワ・ダムが完成した。これはアレクサンドリア湖とマリー川に海から塩水が流れ込むのを防ぐために造られた5つのダムのうちのひとつである。今日、この地方は主に羊毛と小麦と乳製品を生産している。

 ハインドマーシュ・アイランドHindmarsh Islandは、開発業者とナリンジェリーのアボリジナルの対立の焦点として浮上した。グールワから島への橋の建設計画に対し、アボリジナルの女性たちが聖地が侵犯されるとして法廷にその建設計画の撤回を求めた。

 水田哲朗・藤川隆男0203