オーストラリア辞典
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Hartog, Dirck (Dirk)

ハートグ(ハルトフゾーン)、ダーク(ディルク)


 オランダ東インド会社の社員で、ヨーロッパ人で初めてオーストラリアを訪れたと言われている。アムステルダムの国立博物館に上陸の証拠が今でも保存されている。 1616年にエインドラハト号に乗り、オランダを出発し、バタヴィアまで喜望峰を越えて航海する途中、同年の10月に、彼は進路を北に変更する前に、オーストラリア北西部に着いた。インド洋を西から東へ直線的に横断する途中で、進路を北方に取り東インドへ至るという航路は、数年前に発見されたところだった。彼は、柱に打ち付けたシロメの皿にその到着を記録して、シャーク・ベイShark Bayの入り口にあった島の岩に添付しておいた。その島は、南緯約26度の所にあり、ダーク・ハートグDirk Hartog島と呼ばれるようになった。

 しばらくの間、船の名にちなんで、その土地はエインドラハトランド(友好の土地)と呼ばれた。ハートグの報告は、オランダ人航海士による探検を導くことになり、その中には、この場所を航海の目標としたエイバル・タズマンAbel Tasmanもいた。1697年にオランダ人航海士のウィレム・デ・フラミングWillem de Vlaminghがダーク・ハートグ島に立ち寄ったおりに、彼の訪問の証拠を付け加えて、シロメの皿を違うものと交換して、もとあった皿はオランダに戻した。19世紀初期にフランスの船がこの地点に立ち寄った際に、初期の記録を取り去って、その場所をインスクリプション岬Cape Inscriptionと名づけた。

 葛西修二00