オーストラリア辞典
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Hay

ヘイ


ニューサウスウェールズ中南部の町、シドニーの南西730キロに位置する。
人口:2,896(1996)、3,208(1971)、2,952(1966)、3,134(1961)、2,073(1881)、172(1861)。


 1850年代の植民地議会の議員であったジョン・ヘイJohn Hayにちなんで1859年に名づけられた。初期にはラングズ・クロッシングLang's Crossingと呼ばれた。以前は、ニュンバー・アボリジナルNgiyambaa Aboriginalの土地であった。1829年にはチャールズ・スタートがマランビジー川を下る探検の途中に町になる場所を通過した。これに続くように、1840年代にスクオッターが流入した。マランビジー川の家畜の渡河地が、クロッシングと呼ばれるようになり、1858年にはフランシス・カデルFranscis Cadellにより、ここに店が開かれた。1859年にはイリラワ牧場の南西の片隅で町が測量され、ヘイとして公示された。対岸のヘイ・サウスがマランビジーの放牧地域への港となった一方で、ヘイはラクラン放牧地域への港となった。1862年には馬車や家畜商人の途中下車地として、フィンチの酒場Finch's Public Houseが建てられた。この年から1896年まで、ヘイはコブ・アンド・コウのリヴェリーナとヴィクトリアの駅馬車網の本部となり、交通の要衝として栄えた。1872年にヘイは自治体になっている。旧刑務所が1879年に建てられ、1974年に閉鎖された。1882年には鉄道が開通し、1892年には裁判所が建てられた。1892年にはまたヘイ灌漑トラストが設立された。第2次世界大戦中には戦時抑留者と捕虜の収容所が置かれた。在豪日本人や日本人捕虜もここに抑留されていた。戦後、イタリア人移民が到来し、野菜栽培などを始めた。1982年にはヘイ・ダムが完成し、地域で最初のワイナリーが開かれた。周辺地域の主要産物は羊毛である。‘Hell, Hay and Booligal ’(「地獄のようだ。ヘイとブーリガルは」)という表現がヘイ地域の気温に関して使われるが、実際のヘイの平均気温範囲は冬が3.7-15.0℃(7月)、夏が17.32-33.1℃(1月)である。町で最古の建築物の聖アンドルー教会や、郵便局、郡庁舎など19世紀の建物が多く残っている。ヘイ監獄博物館Hay Gaol Museumやオーストラリア羊毛刈り博物館Australian Shearer's Hall of Fameなど見所も多い。

 見国裕也・藤川隆男0403