オーストラリア辞典
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Innisfail

イニスフェイル


クィーンズランド北東部、ブリスベンの北1,629キロに位置する。
人口:8,987(1996)、7,933(1981)、6,649(1954)、2,621(1947)、266(1886)。


 町の名称は、古くは初期の入植者にちなんでニンズ・キャンプNind's Camp、1882年に砂糖産業のパイオニアであるトマス・フィッツジェラルドThomas FitzGeraldにちなんでジェラルトンGeraldtonと名づけられたが、西オーストラリアの同名の町と混同をさけるため、1911年にフィッツジェラルドの牧場Innisfallenから名をとってイニスフェイルに変更された。この前年に、ロシア船が西オーストラリアのジェラルトンと間違って、この町に到着するという事件があった。

 もともとこの地域は、ジアバールDyirbalアボリジナルの土地であった。1873年、ジョージ・ダルリンプルGeorge Dalrympleがこの地域を探検した。1880年、フィッツジェラルドは、ブリスベン司教とカルメル会修道女のために1万ヘクタールの土地を取得し、サトウキビ栽培を始めた。1882年、モリリャンMourilyan製糖工場とタウンが建てられた。1914年にはバビンダBabinda製糖工場が建てられるが、1924年に地域の砂糖栽培者らが工場を買収した。1915年に建てられたサウス・ジョンストンSouth Johnston工場は、官営であったが、1927年に同じく栽培者らが買い取った。

 1918年、死者28名を出したサイクロンの被害を受ける。鉄道は1924年に開通した。第2次世界大戦後、イタリア人移民が大挙流入し町は活気づき、1959年にはモリリャンMourilyanに巨大な砂糖ターミナルが建設された。

 現在、主要な産業となるのは製糖業だが、オーストラリアでは唯一の茶の商業プランテーションも存在し、バナナ、牛肉の生産地でもある。また、近年観光業も盛んである。町にはサトウキビ農園で働いた中国人のための寺院が再建されて残っている。また、サトウキビ農業の発展の原動力となったイタリア人たちのための記念像がジョンストン川岸に建造されている。

 志方光0902