オーストラリア辞典
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Lyne, William John

ライン、ウィリアム・ジョン


1844-1913
タスマニア生まれ。
政治家。


 ラインはタスマニアのアプスローンApslawnで生まれた。父親は政治家であった。家庭教師に教育を受け、タスマニアのロスにあるホートン・カレッジで学んだ。カーペンタリア湾の地域で過ごしたこともあった。1865年から1875年まで、タスマニアのグラモーガンGlamorganの市役所職員であったが、1875年にオールバリー近くで牧場主になった。ニューサウスウェールズで政界に入り、1880年から1901年まで立法議会の議員であった。この間、1899年から1901年に首相を務め、他にも様々な要職に就いた。総督ホウプトンHopetounは、連邦運動の強力な反対者であったラインに、オーストラリア連邦の初代首相になるよう正式に依頼した。しかしながらラインは、内閣を組織する事ができなかった。そのため代わりにバートンが首相になった。ラインは1901年から、死の直前である1913年の引退まで、連邦下院の議員であった。保護主義者の政府において内務大臣(1901-3)、貿易及び関税担当大臣(1903-4、1905-7)、大蔵大臣(1907-8)を務めた。ラインはその政治キャリアのほとんどの間、保護貿易主義者であった。

 見国裕也0701