オーストラリア辞典
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Wilkins, William

ウィルキンズ、ウィリアム


1827-92
ランベス、ロンドン生まれ。
教育者。


 ロンドンで校長を経験後シドニーに招かれ、モデル・スクールの校長を務める。教育改革に携わり、学校調査員や国民教育委員会長官、教育審議会長官、文部省次官などを歴任した。二重教育行政を批判し、統一システムによる教育行政の管理や教師の訓練強化を主唱し、後の教育改革に大きな影響を与えた。

 1827年1月16日、ロンドンの教区吏員の子供として生まれ、豊かとはいえない少年時代を過ごす。イングランドのバターシ教員訓練学校を卒業後、まずワイト島の少年院のアシスタント・ティーチャーとなる。そこでの業績を評価され、セント・トマス・ナショナル・スクールの校長となった。このころ、ニューサウスウェールズからはモデル・スクールを作る際の指導者派遣の要請があり、これにウィルキンズが抜擢された。

 1851年にウィルキンズはシドニーに渡り、フォート・ストリート・モデル・スクールの校長に就任した。ここでもウィルキンズは訓練学校で学んだ方法を取り入れ、年齢・能力・性別に基づくクラス分けや、モニター制に代わる一斉授業方式、新しい教科書の選定などの改革を行った。この改革での手腕を買われ、1854年には国民教育委員会Board of National Educationの調査員として、植民地内の学校を視察し、1855年に報告書をまとめた。この報告書では、公立学校と教派立学校に分裂した二重教育行政の弊害や、教員養成システムの改良の必要性、学校設備の拡充など、多岐にわたる問題点が指摘された。報告書の考え方は、教育改革に携わった政治家、ヘンリー・パークスに取り入れられることによって、1866年公立学校法、1880年公教育法などの基盤として採用され、大きな影響を与えた。

 この後ウィルキンズは教育行政の場に入り、1865年には国民教育委員会長官、1867年には教育審議会長官、1880年には文部省次官と要職を歴任した。この中でウィルキンズは、学校の実態調査とそれによる学校環境の改善に努めたり(調査員制度の導入)、教員養成システムの改良と教師の増員(トレーニング・スクールも作られた)など、教育改革に取り組み、自分自身を中心とした中央集権的教育行政を作り上げた。1884年には体調不良から次官の職を辞したが、その後も博覧会の責任者などの公的職務をになった。

 またウィルキンズは現場で実践される教育方法も重視し、自ら教壇に立ったり、教授法を本にまとめたり(1853年、Art of Teaching)、植民地の子供に合わせた教科書(1864年、The Geography of New South Wales)などを製作した。また、教育思想も雑誌にまとめるなど執筆活動も行い、教育面全体に大きな影響を残した人物である。

 山崎雅子0601