オーストラリア辞典
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Wollongong

ウロンゴング


ニューサウスウェールズ南東部の主要都市、シドニーの南81キロ、自動車で1時間ほどに位置する。
人口:219,761(1996)、208,651(1981)、131,754(1961)、18,116(1947)、4,725(1911)、501(1851)、831(1841)。


 地名はアボリジナルに由来し、ウロング・ゴング「海の音」という意味である。白人の入植以前はダラウィルDharawal(Tharawal)のアボリジナルの居住地であり、精錬所の近くに長くそのコミュニティーが存在した。1796年マシュー・フリンダーズとジョージ・バスが、トム・サム号でこの地域を探検し、イラワラ湖をトム・サム・ラグーンと名づける。1815年チャールズ・スロズビーとジェームズ・ミーアンMeehanがこの地域を探検し、牧童小屋を設ける。1816年土地の無償交付が行われた。1826年に駐屯軍が送られたのが、イラワラ入植の公式の始まりであり、イラワラの名が入植地に初めて用いられた。ウロンゴングは、1826年頃に木材の積み出し港になり、1829年にはここで石炭が初めて積み込まれた。1830年代にホテルが開設され、教会での礼拝も行われた。1834年トマス・ミッチェルが町の測量を行い、酪農と農業の中心として発展し、1839年には蒸気船でシドニーと結ばれた。1840年に聖フランシコ・ザヴィエル大聖堂と聖ミカエル教会の礎石が置かれた。

1844年と1868年に港が整備され、1849年にマウント・ケイラの炭鉱が開発され、ウロンゴングからこの石炭が積み出されるようになった。1855年監獄が設置され、1920年に廃止された。バラのカウンシルは1859年、アルバート・メモリアル・ホスピタルは1864年に開設された。1882年最初の製鉄が行われ、1883年ガスの街灯が灯った。1887年に鉄道が開通した。1889年ウロンゴング・ハーバー・トラストが誕生したが、外港のポート・ケンブラが港として有力となり、トラストは1895年に解散した。

1904年に電話交換署がオープンした。20世紀初めから、ポート・ケンブラで工業が発達するとともに、ウロンゴングは急速に発展し、1942年にシティとなる。さらに1947年には、郊外を含む大ウロンゴング・シティとなった。第2次世界大戦後多数の移民が定着し、1951年に工業大学が生まれ、1975年にウロンゴング大学となった。産業構造の転換による重工業の没落と炭鉱の閉鎖によって、1980年代から地域は衰退しつつある。その中で、観光産業は成長している。

 シドニーから快速電車で1時間ほどのところにあるウロンゴングの町では、駅の周囲は雑然としているが、海岸付近は静かで、シーフードなどがおいしい。町の美術館にはアボリジナルの絵画の展示があり、これは一見の価値がある。オーストラリアでは10番目の人口、ニューサウスウェールズでは3番目の人口を持つ町である。

 藤川隆男0103