第二章 ヨーロッパ人来たる

【ヨーロッパ人がやってくるまで】

Bヨーロッパにおいて、オーストラリア大陸が認識されていたのは中世末期であった。しかし、それは想像上の大陸であり、ヨーロッパとアジアという北半球の重さのバランスを取るとして、テラ・アウストラリスと名付けられていた。



Cヨーロッパ人が真にオーストラリア大陸を確認したのはその300年後だった。15世紀初頭から、ポルトガル、スペイン、オランダが南太平洋に遠征隊を送り出し、そして1606年オーストラリアのヤンスがオーストラリアのヨーク岬と岬の西岸地域に到達した

どうしてヨーロッパ人は海外に出て行こうとしたのかな??



16世紀の大航海時代、羅針盤や船の改良など航海術の発達でヨーロッパは外に向けて出て行くが、それは主によその土地の人と商売をして香辛料などを手に入れること、「交易」が主な目標であった。例えば1492年のコロンブスのアメリカ到達や、1522年のマゼラン一行世界一周、などに見られる。17世紀、英国をはじめとするヨーロッパ各国に絶対主義が生まれ、産業革命がおこると、さらに海外への拡張活動は広がりを見せる。1600年にはイギリス東インド会社、1602年にはオランダ東インド会社が設立される。こうした動きの中でそれまでは「交易」中心であったものが、その土地を支配しようという方向に向かう。こうした動きを植民活動と呼ぶ。これは産業革命を契機に、国内で工場などものをたくさん作る仕組みができあがったのだが、そのためにその原料となる「資源」やできた商品を「売る場所=市場」が必要になったためなんだ。




D18世紀には、1770年イギリス人探検家キャプテン・クックが現シドニー郊外のボタニー湾に上陸し、東海岸を調査、1785年その一帯を「ニューサウスウェールズ」と名付け、同年8月、英国王室による領有宣言がされた。


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