第七章 多文化主義

















【白豪主義から多文化主義へ】


R1955
年、オーストラリアは東南アジア条約機構(SEATO)に加盟。
1967年にはアボリジナルの基本的選挙権が認められる。さらに1976年、先住民土地権利法が連邦議会を通過し、ノーザンテリトリーにおいて、アボリジナルによる土地所有の制度が認められた。
1972年、白豪主義政策廃止。これにより、オーストラリアは白人に限られた移民の門戸を、アジア人やアフリカ人に対しても開放することとなった。





S1989
年には、第一回アジア太平洋経済協力会議(APEC)がキャンベラで開催され、2005年からは、ASEANとオーストラリア、ニュージーランド両国において自由貿易協定(FTA)の締結に向けた予備交渉が開始され、2015年までのFTA完成を目指している。







2000
年シドニーにおいて開催されたオリンピックでは、アボリジナルの女子陸上選手キャシー・フリードマンが最終聖火ランナーを務め、多文化主義国家としてのオーストラリアを世界にアピールした。

フリーマン選手は、このオリンピックで陸上の400メートル競走で優勝したんだ。その後のウィニングランで、彼女はオーストラリア国旗とアボリジナルの旗を結び合わせたものを持って走ったんだよ。

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