第六章 第二次大戦

















【オーストラリア、日本とも交戦】

P1939年、第二次世界大戦において、イギリスの対独宣戦布告とともにオーストラリアも対独戦参戦。1941年の日本の真珠湾攻撃ののち、イギリス・アメリカに続き、オーストラリアも日本に対して宣戦布告する。
1942年、日本軍は南進作戦に伴い、オーストラリアのダーウィンを空襲する。この日の空襲で、人口5000人のダーウィンの街で243人が死亡、350人の負傷者を出した。


第二次世界大戦というと日本が戦ったのはアメリカと思っている人も多いんじゃないかな。実は日本はオーストラリアとも戦争をして、ダーウィンだけじゃなくブルームという町にも空襲を行ったんだよ。さらに19425月には、シドニーで日本軍の特殊潜水艦部隊がフェリーを撃沈したりしたんだ。



【戦後のオーストラリア】

Q日本の高度経済成長を支えた1957年の日豪通商協定などをきっかけに、オーストラリアにおいては1960年代、鉄鉱石やボーキサイト、ウランといった資源の生産が増大する。これに伴う経済の発展、国民生活水準の向上の結果、東ヨーロッパや中東からの移民が増加し、オーストラリアは次第に多民族国家へ移行してゆく。


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