(c)自治植民地時代

 米国カリフォルニアのゴールドラッシュは、1851年にオーストラリアにも広がりました。オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズの地形がカリフォルニアに似ていたために、金脈があるという噂が広まり、金脈を求めてヨーロッパを中心にアメリカや中国などからも大量の移民入植者がニュー・サウス・ウェールズに上陸しました。その後ヴィクトリアで大きな金脈が見つかり人々はヴィクトリアへと流れていきました。後に、ヴィクトリアで大きな金脈が見つかったので、人々はヴィクトリアへと流れていきました。ゴールドラッシュの終焉とともに、過酷な自然状態の内陸部から労働者層は都市に舞い戻り、東海岸の都市部への人口の集中が進んでいきました。
 1850年の植民地政府法の制定により、オーストラリア各植民地は植民地憲法を制定し、自治政府と内閣制度をもち、普通選挙の導入など、植民地ながら近代的政治システムを備え持つ社会となりました。
 
 1870年代からは、初等義務教育が無償で提供されるようになりました。そこでは、厳格な時間割に従って授業が進められたが、当初は農家の子どもは今までの自然の農耕時間から抜け出すことができませんでした。しかし、19世紀末になると、そのような子どもたちでさえ、時計に従い生活するようになっていきました。