(d)連邦の時代

 自治植民地となった後には、各植民地境界の存在がもたらす不都合さ、不便さ(郵便、交通、通信、鉄道等のインフラの不統一など)が次第に認識されるようになり、連邦政府の樹立の機運が高まってきました。そして、1901年1月1日、オーストラリア連邦が発足し、連邦運動の指導者であったエドモンド・バートンが初代首相に就任しました。最初の連邦議会は、非ヨーロッパ人の移民制限法に取り組みました。そして、非ヨーロッパ人の移民が完全に排除され、白豪主義政策が確立しました。
 1902年には、連邦のすべての女性に選挙権だけでなく被選挙権も付与されました。そして1908年までには、すべての州で女性に参政権が認められるようになりました。これによって女性の地位が確保されたかのように思われますが、女性は家の中で男性に養われる存在だという考えがあったために、事実上は差別されていました。
 また1908年には、連邦によって老齢年金制度が、1910年には障害者年金が制度化されるなど社会保障制度も整備されていきました。第一次世界大戦では、イギリスを援助して、多数の兵員をヨーロッパに送り、多くの死傷者を出しました。このとき送られた軍隊がアンザック軍団と呼ばれ、オーストラリアのナショナル・シンボルになっています。大恐慌を経て、オーストラリアは第二次世界大戦にも参加し、今度は日本と交戦しました。