このページではオーストラリアの歴史を、コアラの親子が簡単に紹介してくれます。
 第1話 先住民の時代(〜1788年)
 第2話 流刑時代(1788年〜1855年)
 第3話 自治植民地の時代(1851年〜1900年)
 第4話 連邦時代(1901年〜1945年)
 第5話 第2次世界大戦後(1945年〜)

 ※さらに詳しく知りたい人はオーストラリア辞典で詳しく調べてください。

第1話 先住民の時代(1788年〜)


赤ちゃんコアラ「おかあさん、おかあさん!人間がカヌーに乗って渡ってきたよ!」

お母さんコアラ「いまから約5万年前のことね。当時は氷河期で、海がいまより低かったから、たくさんの人間がオーストラリアに渡ってきたのよ。かれらはモンゴロイドの一派で、のちに『アボリジナル』と呼ばれる人たちだわ。」

赤「アボリジナルかぁ、聞いたことあるよ。かれらはどのように生活してたの?」

母「おもに狩猟・採取で暮らしていたの。本格的な農業はしなかったみたいね。でもかれらは、すごい芸術作品をたくさん残しているのよ。」

赤「見たい見たい!どんなのがあるの?」

母「世界遺産に登録されているカカドゥー国立公園に行ってごらんなさい。オーストラリアでも有数の岩絵がたくさんあるわよ。1万5000年ほど前の絵はカンガルーやワラビー、ブーメランなど、1万年前の絵にはニジヘビや雷男などが出てくるわ。カカドゥーの気候がサバンナから湿潤地帯に変わったから、描かれる絵も変わったのね。」

赤「あれ、そういえばあったかくなってきた。海もどんどん増えてきたよ。あ、おかあさん、オーストラリアが一人ぼっちになっちゃった!」

母「オーストラリア大陸になったのね。でもアボリジナルの人たちは大陸に閉じこもってばかりいたわけじゃないのよ。パプアニューギニアやインドネシアの人々と交流、米やタバコ、布やナイフなどを手に入れたの。」

赤「米なんかは自分であまりつくらないもんね。賢いなぁ。」

母「他にもアボリジナルの文化はいろいろあるわよ。例えば…、あ!ぼうや、急いで隠れなさい!」

赤「おかあさんどうしたの?あ、大きな船。白い人間がたくさん乗ってるよ。こっちにやってくる!」

第2話 流刑時代(1788年〜1855年)

お母さんコアラ「あれはジェイムズ・クックの探検船ね。1770年にクックはイギリス人としてはじめて、この大陸に降り立ったのよ。そして1788年、イギリスはニューサウスウェールズに囚人たちを送り込んで、流刑植民地としての歴史がはじまったのよ。」

赤ちゃんコアラ「るけいしょくみんち?

母「つまりオーストラリアは最初、人間のゴミ捨て場だったの。アメリカ独立戦争がはじまって、囚人を送り出す場所がなくなったので、新天地・オーストラリアが新たな送り場所になったわけ。どうせならそこで植民地つくりなさい、ってコト。」

赤「へぇー、じゃ、いまのオーストラリア人の先祖はイギリスの囚人なんだね。あ、もともと住んでいたアボリジナルたちは?彼らはどうしちゃったの?」

母「ヨーロッパ人たちがもってきた伝染病にかかって、いっぱい死んでしまったわ。しかもヨーロッパ人はかれらアボリジナルたちの弱った社会を、しだいに侵略していったのよ。入植がはじまってから約150年で、30万〜100万人いたアボリジナルの人口は、約7万人まで減ってしまったの。」

赤「おかあさん、ぼくらコアラでよかったねぇ。」

母「入植したヨーロッパ人たちは自給自足農業と、アザラシやクジラをとって暮らしていたわ。アザラシは毛皮や油、クジラは油や骨が使えたからよ。」

赤「おかあさん、ぼくらコアラでよかったねぇ。」

母「でもしだいに、牧羊がさかんになっていったの。羊の毛がイギリス本国で高く売れるから、そっちのほうが儲かったのね。」

赤「ほんとだ。たくさんの人がシドニーから出ていって、ひろーい土地で牧羊をはじめてるよ。しかもみんな、お金持ちになってるー。」

母「かれらは『スクオッター』と呼ばれて、オーストラリア社会の支配層を形成していったのよ。1840年代頃のことかしら。そしてこの頃、ニューサウスウェールズへの流刑がなくなって、代わりに自由移民がいっぱい渡ってくるようになるわ。自治植民地のはじまりね。」

赤「なんで流刑がなくなったの?かわいそうになったから?」

母「いいえ、牧畜が発達して、自由経済が広まっていたニューサウスウェールズは、もう『流刑地』というよりも『移住地』って感じだったから。刑罰にならないでしょう?オーストラリア社会が成熟しはじめていた証拠ね。」

第3話 自治植民地の時代

赤ちゃんコアラ「あ、いいもんみっけ!おかあさん、ここで砂金を見つけたよ!」

お母さんコアラ「これはお母さんがあずかっておきます。」

赤「えー、おかあさん、いっつもそう言って……あれ?ほかにも金を掘ってる人がたくさんいるよ。テントをはって、シャベルや機械をつかって。みんなどうしたの?」

母「1850年代のゴールドラッシュね。1851年にエドワード・ハーグレイヴズという人がバサースト近郊で金を発見すると、おおくの人たちが一攫千金を夢みて、採掘地に押しかけたの。わざわざ外国から渡ってくる人もたくさんいたわ。ヨーロッパ人やアメリカ人に加えて、中国人は4万人以上も渡ってきたのよ。そしてこのゴールドラッシュがオーストラリアの社会をいろいろ変えていくの。」

赤「どんなふうに変わっていくの?」

母「まず、自由移民の流入によって人口がものすごく増えたわ。1851年には約43万人だったのが、1861年には115万人にもなったの。それにつられて都市やインフラも整備されて、メルボルンなどは有数のメトロポリスになったわ。また、かれら自由移民は都市部の中産階級を形成して、リベラル派政権の土台となりました。そしてなにより、金がいっぱい出てきたので経済が発展して、1860年代から1880年代にかけて長いあいだの経済成長を達成したのよ。」

赤「おいおい、いいことばっかりじゃねぇか、てやんでぇ。」

母「ぼうや、どうしたの!?」

赤「もっとドロドロした、こう、人間くさい出来事はないのかい?」

母「え?はい。おおくの中国人が移住してきたことで、白人による反中国人暴動が頻発しました。その流れに押されて、オーストラリア内の各植民地では中国人移民制限法が制定されていったのです。」

赤「そりゃ知ってるぞ。なんでも、そこから人種差別の思想が広まっていって、「オーストラリアは白人だけでつくろう!」ってな白豪主義ができてったんだろ?」

母「はい、よくご存知で。それに加えて、金融恐慌によって経済成長が終わり、資本家と労働者との対立もふかまると、連邦形成の気運が高まっていきます。」

赤「お、いよいよ6植民地がひとつになるのか。でも政治的な紆余曲折がやっぱりあったんだろう。そいで結果どうなった?」

母「1899年に連邦憲法草案が国民投票で承認されて、女性の参政権も認められて、1901年1月1日、オーストラリア連邦が誕生しました。」

赤「そいつはめでたい!いやちょいと待て、でも人種差別はそのまんま……。は!いまぼくヘンなこと言ってなかった?ジョンのやつ、出てくるなってあれほど言ったのに。」

母「ジョン!?」


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第4話 連邦時代(1901年〜1945年)

赤ちゃんコアラ「おかあさん、このビスケットおいしいね!『アンザック・ビスケット』っていうの?オーストラリア国旗がついてる。」

お母さんコアラ「(もうジョンじゃないわね。)それもアンザック神話のたまものよ。」

赤「『アンザック神話』?」

母「アンザックとは『オーストラリア・ニュージーランド軍団』のこと。第一次世界大戦中にガリポリ上陸作戦などを戦った兵士よ。アンザック神話というのは、かれらを真のオーストラリア人として国民の理想像にしたてあげたことを言うの。」

赤「なんでアンザックを神さまにしちゃったの?」

母「すんなり連邦国家になって、国民意識のうすいオーストラリア人に、ナショナリズムを感じてもらうためなの。国民的英雄としてアンザックを祭りあげれば、愛国意識も高まるでしょ。保守的な人たちを中心として、この神話化が連邦全体で進んでいったのよ。」

赤「それでみんな「自分はオーストラリア人だ」って自覚したんだね。戦争が終わってからは、みんなどんな生活をしてたの?」

母「鉄道が整備されたので、ゆたかな人たちは郊外に住むようになったわ。女性は専業主婦になって、買物を楽しんだの。でも1930年代には世界恐慌によって、おおくの人が失業や貧しさに苦しんだわ。」

赤「うわ、天国から地獄だね。ねぇねぇ、ところで、さっきからこのHPを見てる日本人の人がそろそろ退屈してるよ。日本との関係もすこし教えてよ。」

母「そうね。連邦成立以前から、日本人のなかにはオーストラリア北部に移住して、サトウキビをつくったり真珠をとるためダイバーをしたりしていた人もいたわ。でも日本が日露戦争に勝利すると、日本に対する恐怖心が高まったの。そして1941年末、太平洋戦争がはじまるわ。」

赤「また戦争?そういえばオーストラリアにとっては、2年前から第二次世界大戦がはじまってるんだ。またいっぱい死んだの?」

母「約3万4000人。大半が日本との戦闘による犠牲者よ。このころ連邦政府はみんなの生活や仕事を管理して、総動員で戦争したわ。婦人部隊もつくられたのよ。そしてオーストラリア本土の防衛はアメリカ軍に頼ったの。マッカーサーがやってくれたわ。」

赤「あのサングラスにパイプくわえたおじさんだね。」


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第5話 第2次世界大戦後(1945年〜)

お母さんコアラ「そして1945年、戦争が終わります。戦後のオーストラリアは、2つの変化をしたわ。ひとつは白豪主義→多文化主義、もうひとつはヨーロッパ国家→アジア・太平洋国家という変化よ。」
赤ちゃんコアラ「よくわかんないや。どういうこと?」

母「戦後、戦争や女性の社会進出で人口が少なくなる心配が出てきたので、移民さんいらっしゃい政策をして人口を増やしたの。いろいろな国の人が集まったのよ。でも最初はかれらに英語をむりやり話させたり、オーストラリア文化を強制したりしたの。」

赤「それが白豪主義だ。移民さんは不満プンプンだね。」

母「しかも人口が増えたおかげで経済成長を果していたから、白豪主義はもうミスマッチだったの。だんだん修正されていって、そして代わりに1970年代から、いろいろな言語を話していいですよ、政府も援助しますよ、っていう方針が出てきたのよ。」

赤「それが多文化主義なんだね。あ、アボリジナルの人たちは?かれらのことばや文化も認められたの?」

母「ええ。土地権回復運動などによって、社会のなかでの地位も上昇したわ。シドニーオリンピックでのキャシー・フリーマンの聖火点灯は、50年前じゃ考えられないことね。」

赤「それぼくも見てたよ!ところで、もうひとつの変化は?どういうこと?」

母「ひとつめの変化と関係してるんだけど、オーストラリアは連邦になってからもイギリスを頼っていたの。それが第二次大戦後、イギリスが頼りなくなったので、代わりにアメリカや日本と仲良くしようとしたの。1980年代になると、日本以外の東アジア諸国も経済発展してきたので、APECを提唱したりしているのよ。」

赤「それがアジアや太平洋地域を大事にするっていう変化なんだね。」

母「そう。アジアからの移民・難民も受け入れるようになって、オーストラリアは「アジアで生きる」姿勢を打ち出してきたの。ただ最近は、その反動もあって、多文化主義、アジア・太平洋国家化がちょっと立ちどまっているのが現状ね。」

赤「このさきどうなるんだろうね!おかあさん、勉強になりましたm(_ _)m」