Cowra


カウラ


ニューサウスウェールズ中央部、シドニーの南西約300キロに位置する。
人口:8,544(1996)、5,473(1945)、3,981(1901)、1,546(1891)、193(1861)。

 地名はアボリジナルに由来し、町を見下ろす花崗岩の露出している部分、あるいは岩を意味するとされる。この地域にはウィラージューリーのアボリジナルが居住していたが、1831年にヨーロッパ人入植者が到来し、1846年に村が設立された。翌年から村はカウラとして知られるようになり、49年に正式に公示された。1886年鉄道が通過し、88年に自治体となった。第2次世界大戦中には、軍事訓練施設と「戦時強制収容キャンプ12」が置かれた。1944年8月5日には収容されていた1,000人以上の日本人が集団で脱出を試み、監守4人を含む235人の犠牲者が出た。現在オーストラリアで唯一の日本人の戦時犠牲者の墓地がある町であり、日本庭園が両国の永続的な平和を願って建設されている。起伏に富んだ美しく、静かな町であり、多くの犠牲者を出したとは信じられないような穏やかな雰囲気がある。

橋の手前には観光局がある いくつか信号がある 橋の背後に見えるカトリック教会
ラクラン川にかかる橋から見たカウラ タウン・センター 聖ラファエル・カトリック教会
裁判所 アングリカン教会 警察署
裁判所 アングリカン教会 警察署
駅 中には鯉もいるぞ! 町の北東に位置する
日本庭園 日本人捕虜収容所跡
イタリア人捕虜も収容されていた 日本人捕虜収容所跡 カウラ暴動の犠牲者が眠る
日本人捕虜収容所跡 日本人捕虜収容所跡 日本人墓地