クィーンズランド中東部、ブリスベンの北534キロに位置する。
人口:26,415(1996)、22,083(1981)、12,426(1966)、7,181(1961)、5,244(1947)、215(1861)、224(1856)。
北オーストラリア植民地を提唱した植民地大臣で後の首相W.E.グラッドストンにちなんで名づけられた。南へ続くバスタード・ヘッドBustard Headは、1770年にジェームズ・クックに、ポート・カーティスPort Curtisは、1802年にマシュー・フリンダーズによって名づけられた。海岸はジョン・オクスリーにより、1823年に探検され、ポート・カーティスへの入り口は1848年に、ラトルスネーク号でオーウェン・スタンリーOwen Stanleyにより調査された。1847年に、陸軍中佐バーニの下で200人の流刑者により植民地(「グラッドストン植民地」と呼ばれた)が建設されたが、その後破棄された。1854年に、自由移民による新しい入植地として公認され、移民者に開かれた。ニューサウスウェールズの分離にあたって、この町をクィーンズランドの首都にする試みは失敗した。1855年に桟橋が建設され、97年にはブリズベンへの鉄道が開通した。しかし、その発展は緩慢で、1960年代中ごろから港の貨物取扱量と人口が非常に増大した。1967年にアルミナの精製工場がオープンし、その後何度も拡張され、範囲は80ヘクタール、毎年250万トンのアルミナを産出する。漁港としても栄えており、グレイト・バリア・リーフへの観光拠点としても重要である。現在、オーストラリア東海岸で第2の貨物取扱量を誇る港町であり、20万トン級の船の接岸が可能な港湾施設を持つ。アルミナ、アルミニウム、石炭、穀物、セメントなどが主要な輸出品である。
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マリーナから見たオークランド・ポイント | マリーナ | マリーナの背景に見える石炭輸出施設 |
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郵便局 | タウン・センターにある銀行 | タウン・センターにある市庁舎 |
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ラウンド・ヒルから見た町の中心部 | 世界最大のアルミニウム・プラント | アルミニウム工場の看板 |