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(書評)「佐立靖彦/他『宋元時代史の基本問題』」『歴史学研究』  1998年 月の一部

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この文章は、『歴史学研究』1998年に載せられた「佐立靖彦/他『宋元時代史の基本問題』」についての書評を、一部を改訂して掲載したものです。このウェッブサイトから見られる内容は、参考のためのオンライン用の改訂版であり、原文とは異なります。引用される場合には、必ず原文にあたり、出典を明記して下さい。このウェッブからの引用は、慎んでお断り申上げます。

 佐竹「総論」では、「内藤湖南にはじまり、宮崎市定氏によって全面的に確立された体系を受け継」ぐことが宣言され、「宮崎市定氏の業績の全面的継承とその上での新しい課題の追及という形で」、問題点が整理される。読者はここでギクッとさせられる。先学の全面的継承とは何か。我々は先学を乗り越えようと奮闘しているのではないか----。無論、佐竹氏の意図はかかる盲目的継承にあるのではない。評者の理解では、氏の意図はそれぞれの個別実証的論点にその場を得しむるような、全体的な歴史観構築を目指し、その為に最も拠るべき既存の理論として、氏自身は宮崎説を出発点として最大限に利用したい、ということなのだ。氏のこの真摯な熱意は、「総説」から、そして本シリーズの企画自体から十分に伝わってくる。しかし、当然と言っていいと思うが、これら研究の最先端の諸論文を通読したからと言って、すぐに現代版の「歴史学の全体性」の再構築が可能というものでもない。しかも、「己のことを棚に上げ人様の仕事をあれこれあげつらうのは、甚だ気の進まぬこと」(草野)、「人様の研究成果を集め、分析し、将来への展望を書いても、大抵はないものねだりの感想に終始するか、それならお前がやれと逆襲され」(梅原)などの心理が働いてか、動向紹介あり、細かい事実の実証あり、学説史整理ありで、様々なスタイルが混在している。総合的な批評も、至難の業だ。そこでこれら17編のうち、従来1970年代頃まで重視されていた時代区分論的な意識とは少し異なる分野の3,4の論文を中心に、研究の主眼を、素人なりに紹介したい。

 なお、強調しておきたいが、この数編の論文とても、あくまで紙幅の関係から、評者自信の研究範囲からして論評しやすかった数点を選んだもので、ここに取り上げなかった諸論文にも、鋭い切り口を持ったものが少なくない。

 まず北田論文は、明快な目的意識を持つ。本論文は、人口・エネルギー・環境という今日的な問題は、すべて人類社会と自然との問題であり、その反省のために過去の人間社会と自然との関係についての歴史学的検討が差し迫って必要であるとの認識に立つ。そして自然の側から人間の文化にアプローチする人類史の視点で、10〜14世紀を取り上げる。この時期、チンゲンサイとカブの交配・選別を経た白菜の品種としての固定化、油菜の油料成分の異変的増加と華中地域への栽培の拡大、橘の荊湖地域から洞庭山への長距離の移動と緑橘の栽培化などが相次いでおこっているが、その背景には人間がわざと、意図的に選別・移動などを行った「意識性」が見られると推定する。ところでこれらは中尾佐助氏の所謂地中海農耕文化基本複合あるいは照葉樹林文化複合に属しているが、決してそのような気候などの自然条件のみによって生み出されたものではなく、10〜14世紀中国大陸にあっては、人間の意識性の増大によって生み出されたものだとする。人間の自然への働きかけの増大および不調和化として農業社会の歴史を捉える視覚、我々の環境問題を歴史的に理解する視覚は、明清史で言えば上田信氏、その他工学的適応が増大すると考える農学者をはじめ、多くの研究者が共有するものであり、その緊急性は十分理解し得る。しかしその人間の働きかけの増大の原因を、本論文の様に階級分化に引付けて考えるか(重要な点なので更なる論証が期待される)、需要誘発論的に人口増など諸資源の相対価格変化から考えるか、あるいは他の発想をするかは、立場の分かれる所だろう。だがいずれにしても、本論文の冒頭に示された問題意識は、宋が近世か中世かなどといった議論から掛け離れ、むしろ地球環境という我々の生に直結する難問を歴史的に理解しようというものである。

 「中国」を一地域と見做すなら、従来の時代区分論では、税役制度などで明末を画期とするなど諸説あるものの、最大公約数的にはやはり宋〜清が一つの時代とされることが多かった。とすると宋代と明・清代の制度・社会は同じか否かという疑問は当然生じる。近年、宋代史研究者が明清を視野に収めた研究を行うことが多くなっているが、法制史の分野で比較的長い時間的射程の中で議論を展開するのが梅原論文である。そこでは『唐律』に規定のない懲戒の一種としての罰俸が、明には遂に律文に明記され、雍正以降には官僚の降級制度と結合して『大清律例』に体系化された事実が紹介される。律の歴史の中で、むしろ唐に律と距離があった罰俸が、「時代が下るにつれて逆に「律」の枠内に取り込まれ、整合化される傾向が強く、最終的には清代、それが達成される結果に進む」。なぜか。宋元に極めて細分化した罰俸の段階が、清代に七段階に整理された理由としては、銭納化に進んだ官僚の軽罪の刑罰と罰俸を「一本化する動きや、刑罰体系と懲戒制度その他の中国的整合の動きが、清朝に来て一つにまとまったためと」いうことを想定され、また全体的には旧中国の法制は「二千年にわたり、皇帝・官僚支配の重要な柱として、拡大、強化、そして細分化を続けてきた」と認識する点にカギがあるようだ。

 所謂社経史分野でも同様、マルクス経済学のかなり直接的な適用が頻見した時代とは様相を異にしつつ、宋と明清の差異に着目する新たな潮流が顕著になって来ている。マルクス経済学的が十分に論じ得なかった論点の一つは、人口論だろう。仮に人口が“生産力”の従属変数であったとしても、結果的に人口動態が果たす役割についての考察は、完全に立ち遅れていた。その欠を補う形で、ここ数年「宋代史」特に南宋社会史では人口論も含めた議論が多く、中国前近代史の社会史・法制史分野を中心に、以前には殆ど意識されなかった新たな共通認識が形成されている。それは、「漢から清まで、人口は漸増をつづけ、商業化は宋以後に密度を加えてゆくのに、県の総数は、統廃合を重ねながらも、つねに1300-1200前後の規模に固定していたという事実」(斯波論文)である。つまり、県当たりの人口は大きく増加しており、巨視的に見た場合、これが中国の行政の質の変化を齎した(1)。この事実を新法党的な制度運用への抵抗と、地域社会での公共財的な制度の創設・維持を主張した南宋の道学者の政策と結び付けて考える議論を斯波論文は紹介するが、江南における健訟の激化、訴訟社会化と、朱子学者による“地域社会”での礼の実践などを指摘する近藤論文や赤城論文をこの視点と関連づけて読むことはも可能ではないか。また階級アプローチを取る丹論文、草野論文も、従来の「世界史の基本法則」とは決別し、「中国」の独自性を明らかにする方向を取る。

 以上の諸研究は地域の内発的発展性を比較的重視しているが、世界史上唯一の、実体としての世界システムを歴史研究の対象とし、諸事象をその中で理解しようとする世界システム論的アプローチも可能だ。ウォーラーステインにとって唯一の世界システムは「近代世界システム」だが、最近では前近代から、モンゴル帝国とともに成立した世界システム、さらにメソポタミアに発した5000年の歴史を持つ世界システムが研究対象とされる例もある。かかるアプローチは現在欧米では世界史のグランド・セオリーとして最も有力なものの一つだ(2)。実は杉山論文は明らかにこのような動向と軌を一にしている。またモンゴル史の潜在的可能性を逐一指摘しつつ、中華中心的な中国史研究を鋭く批判しており、評者も自戒を込めてこれを読んだ。

 本書を通読して印象的なのは、たまたま10-14世紀中国大陸、という一点で共通性を持っているだけで、それ以外の共通の目的意識は意外なほど少ない。かつて「停滞論の克服」が自由や平和に直結していると考えられた時代、「宋元時代」の位置づけは我々の生にかかわる共通の切実な課題だった。だが今日ではそれはあり得ない。方法論的に1970年代頃まで前提とされていた、地域概念を意識しない「中国」という言説、どの地域も同様の発展経路をたどるという単系発展説、社会・経済・文化は関連しつつ全体として時代を構成するという反証不可能なヒストリシズム、等の思想が、現在では共有されていないからである。かわって現代社会においては、自然との共生が如何にバランスを崩して来たか、近代世界システムが如何に発生したか、開発独裁が主張する「アジア的価値」とは何か、といった問題が、我々の生に直結する切実なテーマとして、立ち現れはじめている。現代の研究パラダイムは、「宋元時代」史を「中国」史の中に位置づけようとした宮崎氏の時代の研究とは、すでに大きく異なっている。

(1)佐竹靖彦「作邑自箴----官箴と近世中国の地方行政制度」滋賀秀三編『中国法制史----基本資料の研究』東京大学出版会,1993も同様の視角に立つ。法制史との関連づけについては特に、Hugh T. Scogin, Jr. "Civil law : history and theory" in Kathryn Bernhardt and Philip C.C.Huang eds., Civil law in Qing and Republican China, Stanford University Press, 1994.

(2)Andre Gunder Frank "The 5000-year world system: an interdisciplinary introduction" in A.G.Frank and B.K.Gills eds.,The world system : five hundred years or five thousand?, Routledge, London and N.Y., 1993.にこの分野でのA.G. FrankやJanet Abu-Lughodの議論の適切な解説がある。

(以上、1行23字、198行(230字19.8枚)


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