○宝塚市の古墳
宝塚市の古墳は大きく分けて、武庫川と猪名川のあいだに挟まれた長尾山丘陵と、武庫川の南西部の段丘上に築かれた古墳、北部西谷地区の大原野周辺の古墳にわかれます。

単独墳(周囲にほかの古墳が築かれないもの)としては、長尾山丘陵に見られる万籟山(ばんらいさん)古墳、長尾山古墳、中山寺白鳥塚古墳、中山荘園古墳などがあります。これらはこの地域の豪族の中でも有力なものだと考えられています。


万籟山古墳の石室内部

一方で宝塚市の古墳の90パーセント以上を占めるのは、群集墳です。群集墳が最も多いのは長尾山丘陵で、雲雀丘から山本にかけて分布が密になっており、300近い古墳があったと考えられています。しかし昭和初年からの宅地開発などによって、数多くの古墳が破壊されてしまっています。

○西摂地域(猪名川流域)の古墳
地域の歴史の中では、川や山が重要な役割を果たします。山は豪族たちの勢力範囲を分割する一方、川が豪族たちを繋ぎ、物を運んでいきました。宝塚市と隣接する兵庫県川西市、大阪府池田市、豊中市は、北摂や丹波の山地から大阪湾へと注いでいく、猪名川の流域のグループとしてとらえることができ、これは古墳時代の地域の歴史をとらえるときの一つの単位となります。

右図:1.長尾山古墳、2.万らい山古墳、3.勝福寺古墳、4.娯三堂古墳、5.池田茶臼山古墳、6.鉢塚古墳、7.二子塚古墳、8.待兼山古墳、9.麻田御神山古墳、10.小石塚古墳、11.大石塚古墳、12.豊中大塚古墳、13.御獅子塚古墳、14.狐塚古墳、15.北天平塚古墳、16.南天平塚古墳、17.嫁廻塚古墳、18.女郎塚古墳(跡)、19.御願塚古墳、20.柏木古墳、21.園田大塚山古墳、22.南清水古墳、23.池田山古墳、24.御園古墳、25.伊居太古墳

猪名川流域の主要古墳の分布


左の図は、これらの古墳の地域ごとに時代順に並べた変遷図です。一般に前方後円墳などの首長の墓は一基単独であることは珍しく、2、3基の墳墓が代替りごとに同じ場所に営まれます。これを首長墓系譜、首長墳系譜(しゅちょうふんけいふ)と呼んでいます。同じ場所で有力な古墳が続く限り、そこを本拠地とする首長一族は政治的に安泰であったと考えられます。

変遷図を見て気づくことはありませんか? 古墳時代前期には豊中台地、待兼山丘陵、池田、長尾山丘陵で古墳が造られています。ところが中期になると豊中台地にしか首長墳が作られなくなります。しかし後期になると、豊中台地に古墳がなくなり、池田や長尾山丘陵に大きな前方後円墳が造られるようになります。これは偶然の出来事なのでしょうか?
《挿図出典》
宝塚市教育委員会1986『宝塚の古墳』宝塚市文化財資料
福永伸哉2004「畿内北部地域における前方後円墳の展開と消滅過程」『西日本における前方後円墳消滅過程の比較研究』大阪大学大学院文学研究科
長尾山古墳測量・発掘調査2007
長尾山古墳測量・発掘調査2007