國語學研究法 橋本進吉
第一編 現代の國語の研究
  第二章 語彙の研究
 或言語の語彙といふのは、その言語に用ひられる單話(又は語ともいふ)の總稱である。單語は、意味を有する言語單位の一つであって、時には一つで、多くは二つ以上結合して、更に大さな、意味を有する言語單位(文節とか文とか)を形づくる。又、それ自身、それよりも小い意味を有する言語單位(語根や接頭辭や接尾辭など)から構成せられてゐる事もある。
 單語は一定の外形と意義とをもってゐる。
 單語の外形は、即ち音の形であって、一定の音(普通の場合は音節)が一定の順序に結合して、その上に一定のアクセントが附いてゐるのである。その音はその言語の音韻體系をなす所の諸音の中のものであり、アクセントも亦その言語にあるアクセントの型の一つであって、これ等はその言語の音聲の研究によって明かにされたものである。かやうに單語の外形は一定したものであるが、時として他の單語と結合してもっと大さな單位を構成する場合に、その音の一部分がかはり、又アクセントがかはる事がある(「本」は、[hoN]であるが、「本も」の時は〔hommo〕となる。「花」はハナであるが、「花の」の時はハナノとなる)。しかしこれ等の場合も、その音の變化は、ぞの言語の音結合及びアクセントの規則に従ふものである。又、單語は之を文字で書く時も一定の文字を用ゐるのであって、文字にあらはれた形も一定してゐるのである(但し、文字の場合は、漢字で書く時と假名で書く時とは同じくないばかりでなく、漢字で書く場合も假名で書く場合も、いろ/\の書き方がある事かあるが、それ%\の書き方としては一定してゐるのである)。かやうに單語の形(音及び文字の)が一定してゐるといっても、これは言語表象としてのその語の音聲表象及び文字表象がいつも同じであるのであって、これが實際の場合に實現せられた現實の音、現實の文字は必しも何時も全く同一ではなく、かなりの違ひがある事があるが、之を用ゐる人々は之を同じものと考へるのである。
 次に單語の意味はその單語のさし示す事物の觀念であるが、一つの單語は一定の意味をもってゐる。しかし、これもその語の言語表象としての事物表象が同じであるだけであって、言語活動によって實際の言語に用ゐられた場合には、その語の指し示す所の事物は、決して何時も同じものではなく、相當の相違があることは既に述べた通りである。のみならず、その語の意義としての事物表象も、かなり漠然たるものがあって、十分明瞭に定義出來ないものが多い。辭書を見てもわかるやうに、同じ語にいくつもの意義があるものがあるが、これは、語の形が同じであれば、その意義が場合によっていろいろ違ってゐても、それ等の意義相關の間に連絡があり、相聯關したものと感ぜられるものは、すべて同語と認めるからである。
 語の意味を明かにするには、その語がさし示す實物の概念を明かにする事、その語が如何なる場合に用ゐられるかを知る事、殊に、實際の言語に用ゐられた場合の多くの實例を集めて、前後の關係やその場合の事情からしてその意味を明かにする事、その語の對義語(正反對の意味をあらはす語、「上」に對する「下」「前」に對する「後」など)をもとめる事、類義語(意味の類似した語)をもとめて、それとの意味の相違を明かにする事などが有力な方法である。現代の言語は、之を用ゐてゐる人々が現に存するから、語の意味についても、これ等の人々に問ひ糺して知り得る便宜がある。
 以上述べたのは、普通に語の意味と考へられてゐるものであるが、猶この外に、語には特別の感じが附いてゐる事がある。優しい感じのする語であるとか、ごつ/\した感じの語といふやうな類である。この感じには、全く個人的のもので、人によって異るものもあらうが、また社會一般にさう感ぜられるものもある。前の種類のものは、あまり問題とならないであらうが、後のものは、語の意味と共に考へねばならないのであって、之を明かにする必要がある。
 單語はもっと小さい部分に分つ事が出來るものがある。接頭辭や接尾辭の附いたものや、單語が合して一の單語になったもの(複合語)などである。かやうに幾つかの部分に分れる事をその言語を用ゐる人々が意識してゐるものは、その事を明かにしなければならない(もとかやうにして出來た語であっても、現代の人々がその事を忘れて、部分にわかれるものである事を意識しないものは、現代語の研究には單純なる一語として取扱ふべきである)。但し、右のやうな場合に見られる多くの語に通ずる規則といふやうなものは、文法の取扱ふもので、語彙研究には、その語だけに就いて見ればよい。
 單語は文法上の種々の職能をもつものであって、そのもつ職能の違ひによって數種にわかれる。文法上の品詞といふものが是である。又そのもつ種々の職能を區別してあらはす爲に語の形が變化するものがある。しかし、これ等の職能やその上から見た單語の種別や、語形の變化や語形變化の種類等は文法上の問題である。語彙研究には、その語がその如何なる種類に属するかを明かにすればよい。
 現代國語中の一種の言語でも、その單語はかなり多數に上る。その總數を巌密に定める事は出來ないであらう。同じ言語を用ゐる人々でも、個人個人の言語でその用ゐる單語の數は同じくなく、かなりの出入がある。さうして同じ人でも、自身が使用する單語と、他人の言語を聞いて理會し得る單語とは必しも同じでなく、前者は後者に比して少いのが常である。それ故、或言語の語彙を採集しようとすれば、一人や二人から採集したのでは不十分である。
 單語には、男又は女の言語、或階級の言語、或職業に屬する人々の言語、子供の言語、老人の言語等、特殊の言語にのみ用ゐられて、他の種の言語にあらはれない特別の單語がある。これ等の人々の言語でも、これ等以外の單語は、他の人々と同樣であるのが常である。かやうな特殊の語彙は、この種の人々の言語の語彙を他の人々の言語と比較して明にし得るのである。
 或一つの言語の語彙を採集する爲には、方言採集簿のやうなものを使用するのが便利である。これは、大概分類體になってゐて、ありさうな事物の名や語を擧げてあるのであって、その事物をあらはす語を書さ込むやうになってゐる。つまり意味からその語をもとめる形式になってゐるのである。これは有益なものであって、語彙の主なるものを採集するには適當であるけれども、その言語に獨特な事物に關する語を逸する虞がある。かやうなものの代りに、國語の大辭書のやうなものを利用して、その書に集められた單語に相當する語を書さ込めば、脱漏を少くする事が出來るけれども、これでも完全なものを得る事は出來ない。十分注意して漏れたものを補はなければならない。
 かやうにして集め得た單語の一々について、その音と文字に書く形と意義用法とを明かにし、その結果を整理するのであるが、それは次のやうにすべきである。
 第一に發音を示すには個々の音を音聲を示す爲の文字を以て代表させ、これを音の順序の通りに連ね、之にアクセントの符號をつける。
 次にこの語を文字に書く時に如何なる文字を用ゐるかを示す。
 次に、意味を説明する。一語で種々の意味をもってゐるものはこれを分って、その一つ一つに就いて説明を加へる。意味の内容を説明しただけで理解しにくいものは、例を擧げる。又形のあるものは圖を以て説明する。又類義語を擧げてそれとの差異を説明し、又對義語を擧げるのも有益である。特殊の感じを起す語ならば、その事もことわるべきである。又特別の場合や特別の社會、階級、年齢、性(男女)に屬する人々の言語にしかあらはれない語ならば、その事も明かにしておくべきである。
 次にその話の文法上の性質(品詞別、活用の種類)をも擧げるべきである。これは自然に、その語がどんなに用ゐられるかを説明する事となる。但しその語にかぎって用法上特別のきまりあるものは、それを示すべきである。例へば、口語では「ある」(有)は助動詞「ない」に違らない(「あらない」とはいはない)などの類である。
 次に採集した單語をどういふ順で並べるかといふ問題がある。これには種々の方法がある。
(一)語の意味を標準とするもの。
 語の意味の似たもの又は互に關係あるものをまとめて擧げるもので、分類體と類語體がある。分類體は天文・地理・人倫以下の類を立て、或はその中を更にいくつかの部門に分って、語の意味に從ってその何れかの部類に収めるのであり、類語體は、意味の似た語、又は意味の互に關聯したと認められる諸語をあつめて、その中の一つを以てこの一群を代表せしめ、各群を代表した語を五十音順などに排列し、その語からして諸語をもとめるやうにしたものである。何れにしてもあらゆる語を一つも漏れなく、適當に収める事が出來るやうな方法はまだ確立されてゐない。
(二)語の音を標準とするもの。
 所謂發音引であって、あらゆる語を、之を構成する音の單位(音節又は單音)にわかち、その單位に或順位をきめておいて、語の最初の音單位が等しいものを集めて、其の單位の順序に排列し、最初の音單位が同一である語は第二の音單位によって排列し、第三第四以下同樣の方法で排列するのである。勿論音はそのまゝ取扱ふのは不便であるから、實際に於ては、その一つ一つの音單位を文字(假名、ローマ字、音聲文字など)で代表せしめ、語をその文字で書いたものを、その文字に適宜な順位をつけて排列するのが常である。
 右は最普通な方法であるが、場合によっては語の第一の音單位からはじめず、逆に最後の音單位からはじめる方法もある(押韻辭書など)。文、語を、全體の音節の數の多少によって排列する方法なども用ゐられた事がある(昔の辭書「節用集」の或ものなど)。
(三)語を表はす文字を標準とするもの。
 従來の假名引、ローマ字引、及び漢字辭書の多くに用ゐられてゐる方法である。これはまづ語の第一の文字の同じものを集め、第一の文字の同じものの中では第二の文字の同じものを集め、以下順次に最後の文字にいたるまで同樣に集めて、之を第一の文字からはじめて文字の順序に從って次第に排列するのが常である。文字の順序としては假名やローマ字などは數が少くて定まった順があるから(五十音や伊呂波やアルファベットなどヽ之に從ふのが普通であるが、漢字のやうにちがった文字の數が多いものには、いろ/\の順序の立て方が可能であった。即ち、偏、冠、構など、文字の一部分の同じものをあつめて、それの畫數の多少によって排列し、偏冠構などの同じものは、その残りの部分の畫數の多少によって排列するのが普通の方法であるが、また、全體の畫數の多少によって排列する所謂総畫引もあり、また、最初の書の方向によって、分類排列したものもある(例へば、中根珪の異體字辨は、起直、起横、起斜の三つに分けてゐる)。
 以上のやうな種々の排列法があるが、これは、之を用ゐる目的のちがふに從って適當な點と不適當な點とがあらはれて來るのであって、一概に優劣可否をいふべきではない。かやうな各種のものがあれば最も便利であらう。其他、特殊の目的の爲には、語のアクセントの型の異同によって分類したもの、品詞の違ひによって分類したものなど種々のものがあるべきである。
 語彙の研究に於ても、國語内の諸言語の語彙を互に對照比較する事も有益であって、これによって或種の言語にのみ存する特殊の語彙が見出される事は前にも述べたが、また一の言語と他の言語との間に意味が同じであるか又は類似してゐて音が違った語を見出し(その結果を整理したものは、對譯辭書のやうなものになる)、又音が同一であるか又は類似して、意味が違った語を見出すのであって、これは言語教育のやうな實際的の事業に參考となるばかりでなく、それらの諸言語間の系統上の關係を考定する基礎となり、史的研究の上に用立つことがある(後にのべる筈である)。
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