國語學研究法 橋本進吉
第一編 現代の國語の研究
第三章 文法の研究
文法とはどんなものであるかについては、色々の説があって、まだ一定してゐない。こゝでは、意味を有する言語單位の構成法が即ち文法であると考へておきたい。この考へは十分學問的でないかも知れないが、實際の言語事實を取扱ふには、大した支障を生じないであらうとおもはれる。
文法の研究は、意味を有する種々の言語單位を見出すことからはじまる。言語は音と意味とが結合したものであるが、言語の音は之を分解すれば、音節や單音といふやうな種々の單位が見出されるが、かやうな單位は必ずしも常に意味を伴はない。文法が取扱ふもの、又關係するものは、意味をもつ單位であって、その一つ一つに一定の形(音)があり之に一定の意味を伴ふものである。
我々が言語を實際に用ゐた場合、即ち或事を他人に傳へようとして之を言語に言ひ表はした場合には、その言語は、意味に於ては、傳へようと欲する事柄の全部か、少くとも、その或一段だけを表はし盡してゐる、一つの完いものであり、外形に於ても或る一定の特徴をもってゐる(外形上の特徴としては、その前と後とに必ず音の切れ目があり、且つ最後には、特殊のイントネーションがある)。之を文と名づける。即ち言語は實際に用ゐられる場合には、必ず文の形を取るのである。さうして、文は言語活動によって實現せられた言語の最小さいものであって、一つの文で、傳へようと欲する事柄をことごとく表はし盡すことが出來ない事も多く、その場合には更に別の文を續けて言ひ表はすのであるが、しかし、いかに單純な事柄であっても、之を實際の言語に表現する場合には必ず一つの文の形を成すのである。
一つ一つの文の意味は千差萬別であるが、いかなる場合にもそれだげで纏まった完結したものであり、又その形も長短さまざまであるけれども、いつも前後に音の切れ目があり、終に特殊の音調が加はるといふ特別の標準があるとすれば、やはり一定の意味に一定の形を具へた言語上の單位(意味を有する單位)の一種と認むべきである。さうして、文は、言語活動によって、その場合その場合に實現せられる最具體的な言語の形であるから、これを出發點として研究を進めるのは最至當な方法と考へられる。
文は意味を有する言語單位としては最大きなものであって、之を分解すれば、もっと小さい種々の單位が見出される。
實際の文について見るに、初から終までいつも一續きに發音されて、どうしても中間に切れ目をつける事が出來ないものもある。これはその全文が一つの單位から出來てゐるのであって、それ以上分解出來ないものである(「おお」「來い」など)。然るに、多くの文は、中間に切れ目をつけてもよいのであって、その切れ目の前の部分も、後の部分も、それだけで一定の形(音)と意味とをもってゐる。かやうな文中の句ぎりをもとめて、實際の言語として、もはや句切り得べからざる最小單位を明かにするのである。この最短い一句切りをもとめるのは、他人の言語について研究する場合は多少困難がある。それは、實際に用ゐられた文に於ては、文の中間に切れ目があっても、必しも、それが最短い句切りをあらはさない事が多いからである。例へば、
お濠の櫻がもうさきました
の文に於ては「お濠の」「櫻が」「もう」「さきました」と四つに句切るのが、最小さい句切りやうであるが、實際の言語ではそんなに多くに句切って言ふことは極めて稀である。しかし、どこかに切れ目をつげた場合は、その句切りのどこかで切るのであってこれ以外では切らない。それ故、同じ文が、いろ/\の場合に句切って用ゐられた何を總合して、最小の一句切りを見出さなければならない。但し、これが自己の言語である場合は、容易に最小の句切りを見出す事が出來る。從って、他人の言語の場合にも、その言語を用ゐる人に問ひたゞせば比較的容易に知る事が出來るであらう。
かやうな一句切りは、實際の言語に於ては、必ずこれだけは一續きに發音しなければならないものであって、一定の形(音)を有し、且つそれ%\一定の意味を有するものである。之を私は假に文節と名づけてゐるが、これは、文を分解して直に見出される單位であって、文はかやうな文節から直接に構成せられてゐるのである。
あらゆる文について、かやうな文節を見出し、之を互に比較すれば、一つの文に於ける或文節が、同じ形同じ意味で、他の文に於てもその中の一つの文節として用ゐられてゐる事が見出される。さうして、どうしても分解する事が出來ない文は、只一つの文節から出來てゐる事を見出すのであって、文節は、あらゆる文を構成する要素である事が知られるのである。
次に種々のちがった文節を互に比較して見ると、文節の中には、或文節に、意味を有する或單位を加へたものがある事がわかるのであって、(例へば、「花は」は「花」に「は」を加へたもの)かやうにして、文節は、また更に小さな單位に分解する事が出來る。かやうにして見出された單位は單語(又は語)といはれるものである(文節は單語一つか、又は單語に助詞助動詞の類が加はって出來たものである)。
單語の中は、更に之を意味を有する單位に分解する事が出來るものがある。これも、種々のちがった單語を互に比較して、意味及び形の同じ部分を有するものをぬき出して來るのであって、たとへば、「ほんばこ」(本箱)を(本)及び「箱」と比較して「ほん」と「ばこ」の二つの部分にわかち、「お顔」「お姿」「お盃」などを互に比較して「お」といふ單位をみとめ、「はるかに」「はるばる」を比較して「はる」といふ單位を分ち出す類である。「お」のやうに決して獨立せずして、他の語に或附屬的の意味を添へるものを接辭といひ「はる」のやうに、獨立せずして語の中心たる意味をあらはすものを語根といふ。但し、かやうな語の分解は、その言語を用ゐる人々の意識を標準にしてなすべきであって、その人々が、かやうに分解せられる事を意識しないものは分解すべきでない(勿論これは現代語の状態を研究する場合の事であって、國語の歴史を研究する場合は別である)。
以上の如く、實際用ゐられる言語から出發して、意味を有する單位をもとめ、文、文節、語、接辭、語根などの大小種々の單位を見出すのである。
これ等の單位の中、大きな單位は、順次に小さな單位を材料として構成せられるものであるが、小さい單位から大きな單位を構成するには、一定の手段方法があるのであって、どんなものをどんなに用ゐても、大きな單位になるといふのではない。さうして、大きな單位の意味と形とは、これを構成する材料となった小さな單位の意味と形と、この小さな單位によって大きな單位を構成する手段方法とによって定まるのである。
意味を有するいろ/\の言語單位の内、意味及び外形に於て比較的固定したものは語(單語)である。單語は更に小さい單位に分解せられるものもあるけれども、あらゆる單語がさうなのではなく、單語は一つ一つそれ自身或きまった言語表象として人々の心の中に記億せられてゐるのである。さうして、どんな文節でも文でも、すべて、分解すれば必ず單語にまで到達するのである。それ故、どんな大きな單位であっても、直接間接に單語を材料として構成せられるのであって、それ等の單位の意味及び形は、之を構成する單語の意味及び形に依存してゐるのである。それ故、一つの言語に用ゐられるあらゆる單語(即ち語彙)を集めて、その意味と外形とを明かにした場合には、その言語に用ゐられる、單語よりも大きな言語單位は、すべて知られるやうに考へられるが、しかし單語は、大きな單位を構成する資料になるだけであって、どんな單語をどんなに用ゐても文や文節が出來るといふのでないから、かやうな小さい單位から大きな單位を作る方法手段を明かにするのでなければ、構成せられた單位の意味や形をすっかり明かにする事が出來ない。かやうな意味を有する單位を構成する手段方法が即ち、文法である。單語は、其の形も意味もそれ%\互に違ってをって、個々別々のものである。然るに單語によって文節を作り、文節によって文を作る場合には、その單語や文節の形や意味の相違にかかはらず、多くのものに通じて同樣の手段方法が用ゐられる。語彙の研究に於ては、單語を個々別々のものとして取扱ふのであるが、文法の研究に於ては、かやうな多くの場合に通ずる事實を見出して、その如何なるものであるかを明かにするのである。即ち、意味を有する言語單位の構成の通則、法式、乃至型を取扱ふのである(單語が更に小さい單位から出來てゐる時、その單位が單語を構成する方法手段の通則とすべきものは、やはり文法の範圍に屬する)。
小なる單位が大なる單位を構成する場合に、只一つの單位で大なる單位を構成するものがある。その場合には如何なる種類のものが用ゐられるか、又それが大なる單位となるには如何なる條件が必要であるかを明かにしなければならない。又二つ以上の單位が集まって一つの大きな單位を構成する場合には、如何なる種類又は性質の單位が、どのやうに結合するかを明かにすべきである。さうして、二つ以上の單位が結合するのは、一の單位の有する意味が他の單位の意味に對して何等かの關係に立って兩者の意味が一つにまとまるのであるが、その關係はどんな方法で示されるかを明かにしなければならない。
かやうに文法を、意味を有する小さい言語單位から大なる言語單位が構成せられる方法手段であるとすれば、文法には、
(一)單語よりも小さい單位によって、單語が構成せられる方法手段−−語構成法
(二)單語によって文節が構成せられる方法手段−−文節構成法
(三)文節によって文が構成せられる方法手段−−文構成法
の三つの方面がある筈である(普通には、單語が直に文を構成するやうに考へられてゐるが、この考に隨へば、文節構成法は文構成法の一部分となる)。
語構成法の研究は、單語を構成してゐる單位を、他の單語、又は單語を構成せる單位と比較して、その意義及び外形の類同せるものを見出す事からはじまる。例へば「はなかご」(花籠)「はながた」(花形)「はなどき」(花時)「はなばなしい」(花々しい)「はなやか」等を互に比較し、又は單語「はな」(花)と比較して、「はな」といふ單位を見出すのである。
多くの語について、かやうないろ/\の單位を見出し、それが結合して一の語を構成する場合にどんなきまりがあるかを明かにするのである。即ち、いつも他の單位の前に來るとか後に來るとかいふ定まりがあるか、又は無いか、又、結合する場合にその單位の音又はアクセントが變化することがあるかどうか、あるとすればどんなに變化するかをしらべる。さうして、多くの單位を右のやうな諸點の異同によって分類する。さうして、右のやうな結合上の形の變化に應じて、結合上の意味の相違があるかどうかを調べるのである。
次に活用する語に就いては活用を研究しなければならない。活用する語といふのは、同じ語でいろいろ違った形をもってゐる語であるが、實際の言語に於ては、同じ語の種々の形が同時に並んであらはれるのではなく、或時にはこの形が、ある時には他の形があらはれるのである。それ故、他人の實際の言語について觀察する場合にはいろ/\の場合にあらはれる種々の形を集めて來なければならない。同じ語のあらゆる違った形をあつめて、その一々の形が、どんな意味をあらはしどんな場合に用ゐられるかを調べる。あらゆる語に就いて、かやうな調査をなした後、之を互に比較して、あらゆる活用する語を通じて、どんな意味とどんな用法とが常に同一の形によってあらはされ、どんな意味とどんな用法とは常に別の形であらはされるかを見、常に同一の形によってあらはされるいろ/\の意味用法を有する形を、諸語を通じて同じ活用形とする(その場合に、或語で違った形によってあらはされるいろ/\の意味用法は、たとひ他の語に於て同じ形であらはされる事があっても、之を別のものと認めて、別々の活用形として取扱ふのが普通である)。かやうにしてあらゆる活用する語は何れも或一定數の活用形を有するものとして取扱ふことが出來る。
右に、語の一々の形があらはす意味といったのは、一つの語の有するいろ/\の形を通じて常に同樣な意味、例へば「取ら」「取り」「取る」「取れ」等の形に共通な「取」といふ意味をいふのではない。一々の形に特有な意味、たとへば、終止するとか、用言のやうなものに續くとか、體言のやうなものに續くとか、命令をあらはすとかいふやうな附屬的の意味である。又用法といふのも、どんな助詞に續くとかどんな助動詞に續くとかいふやうなことである。さうして、かやうな意味や用法は、一々の語の意味の違ひにかゝはらず、活用する語全體に通じて同樣に見られる事實であって、活用といふのは、つまりかやうな種々の意味や用法を區別して示す爲の語形の變化である。
さて、上に述べた如く、活用形を定める根據が確定したならば、各語について、各活用形がいかなる形(音)をとってをるかをしらベ、同一語の諸活用形を互に比較して、あらゆる活用形に共通せる(變化しない)部分と、互に違ってゐる(變化する)部分とを區別する。この互に違ってゐる部分が共通の部分に加はって同一語の形を種々にかへるのであって、この部分が、各活用形がそれ%\有する特別の意味や用法を表はすのであるが、かやうなものは國語では語の終の方に附く故、之を活用語尾といってゐる。各語について、各活用形が、いかなる語尾を有するかをしらべて、その異同によって類別して活用の種類を立てる。この場合に、或種の語では、他の語にある活用形を全然缺くものもあるが、それは又一の種類と語める。又語形の變化に從って、そのアクセントの型が變化するものもあるが、これも、多くの語に共通するものは明かにしておく必要がある。
文節は單語から構成せられる。これを研究するには、多くの文節を集めて、それがいくつの單語から出來てゐるかを見る。
只一つの單語から出來てゐるものは、それがいかなる種類の單語であるか、又活用する語である場合は、いかなる活用形の語であるかを考へる。又、それによって如何なる種類の文節が形づくられるかを考へる。
二つ以上の單語から成るものは、いかなる種類の單語といかなる種類の單語とから出來てゐるかを考へ(活用する語ならは活用形も考へる)それがどんな順序で結合するかを考へる。さうして、單話の種類によって、互に結合して文節を形づくる事が出來るものと出來ないものとの差かあるかどうかを明かにする。又單語が單獨で文節をなす場合と、他の語と共に文節をなす場合とでその音及びアクセントの上に差異があるかどうかを見、それが如何なる條件によるものであるかを考へる。
文、いろ/\の文節にいかなる種類があるか、それがその文節を構成する語の種類や活用形とどう關係するかを明かにする。
文は文節から構成せられる。文節が一つで又は二つ以上結合して文が出來るのであるが、その場合に、いかなる文節がどんな役目をするか、文節が結合するについて如何なるきまりがあるかを明かにしなければならない。
文の終は言ひ切りとなる筈であるが、その言ひきりをあらはすにどんな手段を以てするかを明かにする。又、文節が二つ以上結合する場合には、一方の意味が他に續くのであるが、そのつゞきやうを示すにどんな手段を用ゐるかを調べる。
かやうな事を表はす手段としては、
一、活用する語の活用形
二、特殊の語(助詞、接續詞など)
三、語順
四、イントネーション
などを用ゐるのが普通であるが、どんな活用形、どんな語、どんな語順、どんなイントネーションがどんな事を示す爲に用ゐられるがを一々明かにすべきである。
一つの文節が文を構成する場合には、どんな文節を用ゐるか、又これが文になるにはどんな條件が必要であるかを考へるべきである。二つ以上の文節が結合して之を構成するに當って、どんな文節でも結合するのではなく、結合するものと、しないものとの差別がある。これを明かにしなければならない。さうして結合するにしても、色々の文節を用ゐるに從って、その意味結合上の關係に相違を生ずる(主語、補語、修節語などいはれるものは、その結合上の關係を區別する名目と見る事が出來る)。その關係がどんな手段であらはされるかを明かにすべきである。
次に、一文中に於て、或特殊な語で出來てゐる文節は、或特別な文節を要求する場合がある。特別の副詞の呼應や係結のやうなものがこれである。かやうなきまりも、亦明かにしなければならない。
二つ以上の文節で文を構成する場合には、どんな文節が先に、どんな文節が後に來るかの順序がある。その順序も動かすべからざるものと、場合によっては動かしてよいものとある。これ等も調べなければならない。
一つの文の意味は、之を構成する單語や文節の意味、又、その結合方法だけによってきまらず、またイントネーションによってもきまるものである。それ故、文の上に於けるイントネーションをしらべ、意味の切れ續きや、文全體の意味にどう關係し、どんなきまりがあるかを委しくしらべなければならない。
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