國語學研究法 橋本進吉

第一編 現代の國語の研究

  第四章 文字の研究


 文字は言語を代表する符號である。言語には音と意味とがあるが、文字による言語にはその外に文字にあらはれた形があって、その音は文字の「よみ」となり、意味は文字の意味となる。さうして、文字にも、その場合その場合に書かれる(又は印刷される)現實の文字と、人々の心の中に記憶せられる文字表象とがあり、文字表象は音聲表象及び意味表象と結合して言語表象をなしてゐる事は既に述べた通りである。
 文字が言語を代表する以上は、必ずその形と、音と意味とがある筈のものであるが、文字の種類によっては、必しもこの三つを具へない。
 漢字の如き、個々の文字が一定の意味を表はすものは、何れも以上の三つを具へてゐる。假名及びロ−マ字は形と音だけあって、意味を具へてゐない。しかし、これでも、實際の言語を表はす場合は、ある語の音を代表し、隨ってその語の意味をも示すのである。さうしてこの時はいくつかの文字が結合して或語を代表する場合が多い。
 一々の文字の形は、それ%\きまったものである。しかし、きまったといっても、人々の心の中にある文字表象として同じものと考へられてゐるのであって、之を實際用ゐた現實の文字は、人により場合によっていくらかの差異があるものである。
 文字を實地に用ゐる場合には、普通は手によって之を書くのであるが、之を書くには筆やペンのやうなものを用ゐ、手を動かさなければならない。これは言語の音を發する時、發音器官を動かさなければならないのと同樣である。この場合に文字の形を書く順序(運筆の順序)も、大體きまってゐるのであって、或部分からはじめて或部分に終るのである。
 文字の形には、いろ/\異った種類がある。漠字には楷書行書草書隷書篆書など、假名には片假名卒假名、ローマ字には、印刷體書寫體、其他がある。これらは同種のものではそれ%\一定の形をなしてゐるが、違った種類のものには、かなり相違がある。この各種の字形は、その用ゐる場合を異にするもの多く、同一種のものは相伴って用ゐられるのが常である(違った種類の字形を混用する事は無い)。又同種のものの中で、いくつかの違った形を用ゐるものがある。異體字、略字、變體假名などこれである。これは、或文字の代用として、之と同じ音同じ意味で用ゐられるものである。
 文字の字形の研究としては、個々の文字の形はどうであるか、その運筆法はどうであるか、その字の代用としていかなる形の文字が用ゐられるかをしらぶべきである。又、種々の違った字形がどんな場合に用ひられるかを明かにすべきである。又二つ以上の文字が用ゐられる場合に、その位置の關係はどうか(上下に縦書にするか、在右に横書にするか、左からはじめるか右からはじめるかなど)をしらベ、又どんな補助符號があって、それがどんな場合に用ゐられるか(句讀點など)をも明かにすべきである。
 次に、文字の用法についての研究が必要である。即ち文字が言語の音及び意味をどんなにあらはすかの問題である。これには二つの方法がある。一は文字を基礎にして、どんな音や意味をあらはすかを考へるのであり、一は、言語を基礎にして、どんな言語單位がどんな文字であらはされるかを考へるのである。これは、どちらも必要である。
 第一の研究法は、まづ個々の文字一つ一つについて、それがどんな音聲上の單位、又は意味を有する單位を表はすかを調べる。又二つ以上結合したものについても同樣に調査する。「きや」の二字でキャといふ一音節をあらはし、「百合」「春日」など、それ%\二字で「ゆり」「かすが」といふ單語を表はすなどの場合である(これは、個々の文字があらはすとは別のものを表はす場合である)。しかし、二つ以上の文字が合して一つの單位を表はす場合と、個々の文字が一つづゝ別々の單位を表はす場合とを、外形上種別出來ない事が多い。この區別は次に擧げる方法によって明かにする事が出來る。
 第二の研究法は、種々の言語單位を、どんな文字であらはすかを調べるのである。即ち、どんな單音、どんな音節、どんな語は、どんな文字で示されるかを明かにする。その際、假名やローマ字の如き、音の單位を示すのを特徴とする文字を以て、語のやうな、意味を有する單位を表はす場合をも考へなければならない。何となれば、それ等は、話の形を單音とか音節とかに分解してその一つ一つを表はすのが常であるけれども、なほ、假名遣のやうなきまりがあって、或語を示す形が全體としてきまってゐる場合があるからである。例へば、同じ「タイ」といふ音でも、「鯛」といふ語ならば「たひ」と書き、「隊」ならば「たい」と書くのであって、語によってその文字の形を異にする。
 文を文字で書く場合には、句讀點を用ゐるが、どんな所へどんな形のものを用ゐるかを、明かにしなければならない。又、漢字と假名とを交へて書く時に、如何なる部分を漢字で書き如何なる部分を假名で書くかといふ問題がある(送假名といはれてゐるものは、この問題の一部分であって、單語を書く場合の事である)。
 以上のやうな種々の點から、現代國語に於ける文字がどんな有樣であるかを研究するのである。もっとも、文字のつかひ方などは、社會的に十分一定しない所もあるであらう。又、言語の種類によって書き方の習慣がちがふのもあらう(例へば、普通文では「申し」「上げ」など書くのを、候文では「申上候」と假名を附けないで書くなど)。とにかく事實をありのまゝに明かにすべきである。
 以上のやうな研究の結果を總括して叙述する事が必要である。一つ一つの文字の發音や意味、一つ一つの語の書き方のやうなものは字毎、語毎に違ったものであるが、これを集めて整理すれば、辭書のやうなものになる。これは一定の順序に排列する事が必要であるが、文字を主としたものは、文字の順序は大抵きまりがあるから(「いろは」「五十音」「アルファベット」「畫引」など)、その順序にならべ、二字以上のものは、最初又は最後の字の所に収める。又語を主としたものは、語を意味・又は音によって排列して、それがどんな文字で書かれるかを明かにする。日本語は、普通、漢字でも假名でも書かれる故、同じ語でも、假名で書いた時の形と漢字で書いた形とを明かにすべきである。
 又、文字の用法に關しては、假名遣法の或部分や送假名法のやうな、多くの場合を通じてのきまりもあるが、これは別にまとめて叙述すべきである。


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