國語學研究法 橋本進吉

第一編 現代の國語の研究

  第五章 國語内の諸種の言語の研究


 現代の日本語の中にも種々の言語の相違がある事は既に述べた通りである。即ち、口語にも各地の方言、標準語の外に、年齢、階級、職業、性(男女の別)による相違があり、文語にも口語體、文章語體の相違があり、その各にも亦幾つかの種類がある。
 上に述べた音聲語彙文法及び文字に關する研究は、これ等の言語の一つ一つに就いてなさるべきであって、それによって、これ等の言語の内部構造を明かにする事が出來るのであるが、之と共に又一方に於てこれ等の言語を互に比較して、その相違が如何なる點にあるかを見て、その特徴を明かにすると共に、それらの言語が、いかなる種類の社會團體によって用ゐられるか、又、いかなる場合に用ゐられるかを明かにしなければならない。ことに方言は、或土地に行はれるものであるから、その方言が如何をる地域に行はれるかを調べなければならない。
 方言の異同を最精密に正確に知らうとするには、その方言を用ゐてゐる人々の判斷によるより、方法があるまいとおもはれる。それらの人々が自分等の言語と全く同じだと認める言語が同一の方言であり、それの行はれる範圍が、その方言の區域といふ事となる。
 かやうにして認められた方言は、全國に於ては甚多くの數に上り、之を互に比較すれば、甚よく類似したものもあり、又甚しく違ったものもあるであらう。さうして、概して、その行はれる地域の互に近いものは互に一致類同が多からうと思はれる。それ故、その主なる諸點の一致不一致によって、之を類別しておくが便利である。その場合に、如何なる點を重要なるものと認めるかは問題であるが、發音とか文法上の言ひ表はし方のやうなものが、注目せられる場合が多い。さうして、標準の取り方如何によって、大小さま%\の類用が出來る筈である。かやうにして、各地の方言をまとめて、何地方の方言といふやうにして、その特徴を考へ、その行はるゝ地域を明かにしておけば、全國の方言に就いて大觀するに便宜である。但し、これは、かなり抽象的のものであって、大きな方言の行はれる地域を明瞭な境界線を以て區劃する事が出來ない場合もあるであらうし、又標準の取り方によって、大なる方言及びその地域がいろ/\に考へられる事もあるであらう。
 もっと正確な方言の分布を知らうとするには、方言地圖を作ることが必要である。それは、同一の事物を表はす單語、又は、同じ場合に用ゐる文法上の言ひ表はし方(過去をいふ言ひ方、「……けれども」の意味を表はす言ひ方など)が、どうなってゐるかを一々の土地について調べて、地圖の上に記入して行き、同一の事物をあらはす話(又は同じ意味をあらはす文法上の言ひ方)が、方言によって如何に違ひ、その各の違った形が如何なる地域に行はれてゐるかを一枚の圖上に明かにするのである。多くの語及び文法上の言ひ表はし方の一つ一つについて、同樣に調査して一々地圖を作る。音聲に就いては、特別に採録せずとも、單語を發音通りに採集しておけば、單語の分布地圖から容易に音の分布地圖を作る事が出來る。
 かやうな地圖は方言の分布状態を最具體的に示したもので、現代國語の方言の状態を知るに必要なのみならず、また過去の國語の状態や歴史を推知するにも基礎となるものである。


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