國語學研究法 橋本進吉
第二篇 過去の國語の研究
第一章 過去の言語研究の二方面
言語は時と共に轉變する。同一の言語でも、異る時代のものを比較すれば、その間に相違があるのが常である。しかしながら、或時に於ける一つの言語について見れば、或一定の音聲はいつも或きまった意味を表はしてゐるのであって、その言語は一定の状態を保ってゐる。しかるに、その言語を、時の流れに沿うて、各時代を通じて見れば、もと或意味を表はしてゐた音が、他の意味をあらはすやうになり、又、或音によってあらはされてゐた意味が、他の音によってあらはされるやうになって、音と意味との關係に時代による推移變遷が見られるのである。かやうに同一の言語でも、或一つの時期に於て見たものと、時代を通じて見たものとは、その趣を異にするのであるから、この二つの見方は區別して考へなければならない。近來の言語學では、前者を共時的(又は静態的)研究、後者を通時的(又は進化的)研究と名づけて之を區別する(この兩者をはじめて明瞭に分ったのはソシュールSaussureである。小林英夫氏譯、ソシュール言語學原論を見よ)。
共時的研究は、或一定の言語の或一つの時に於ける状態を明かにする事を目的とするものである。或一つの時に於ける一の言語は、それだけで十分言語としての用をなすもので、その言語が前の時代にどんな状態を呈したか、又同時に存存する地の種の言語がどんな状態に在るかに拘らないものであるからして、共時的研究は、國語内の種種の言語の各時期について、それ%\互に關係なくなし得べき筈である。然るに、通時的研究は、一の言語の各時代を通じて變遷の跡をたどるのであるからして、その現代の状態が明かであっても、過去の状態がわからなければその目的を達する事は出來ないのである。それ故、我々が現代の國語の研究を目的とする場合には、共時的研究だけが可能であるが、過去の國語については、その一つ一つの時期に於ける状態を明かにする共時的研究と、各時代を通じての變遷展開の歴史を研究する通時的研究(史的研究といってもよい)との二つがあり得べき筈である。(尤も、或特殊の方法によれば、現代語のみから過去の言語の状態が推定出來る場合もないではないが、その場合には現代語を研究の目的としたのではなく、之を資料として、過去の言語を明かにし、或は、それからして、過去から現在に及ぶ歴史を明かにするのである)。
前述の如く共時的研究と通時的研究とは互にその目的を異にし、決して混同してはならないものであるが、實際に於ては、共時的研究が最完全に行はれるのは現代語だけであって、過去の言語に於ては、之を知るべき資料が不足であり又は全く無い場合が多い爲に、その言語の状態をあらゆる時代に於てあらゆる方面に亙って明かにする事は到底望み得られない。それ故、各時代に於ける事實を時の順に並べて之を互に比較して、その史的展開を明かにするのが通時的研究の方法であるけれども、或中間の時代に於ける事實が明かでないやうな場合には、その前後の時代に於ける事實に基づいて、その變遷の經過を推定し、それからして中間の時代に於ける事實を考定しなければならないやうなこともあるのである。この場合には、通時的研究によって、共時的研究の及ばない所を補ふのである。かやうに過去の言語の研究に於ては、この兩種の研究は、相倚り相輔けるものである(現代語も、亦時の流れの上の一つの時期に於ける事實として通時的研究の一つの資料となる事は勿論であり、殊に現代語は、あらゆる事實が委しく且つ確實に知られる點で甚大切な資料であるが、しかし、これも通時的研究に對してはその資料となるだけであって、その目的ではない)。
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