國語學研究法 橋本進吉
第二篇 過去の國語の研究
第五章 音聲の史的研究
音聲の史的變遷を研究するには、まづ、前に述べた共時的研究の方法によって同一の言語の現代及び過去の各時代について、それ%\資料の許すかぎり、その音韻體系を調査して、それ%\の時代にいくつの違った音節を區別したかを明かにし、これを時代順に並べて互に比較すべきである。比較するにあたっては、違った時代を通じて存する同一の語の各時代に於ける音の形を比較して、その語を構成する一つ一つの音節が、前の時代ではその時代の音韻體系中のどの音節にあたり、次の時代ではどの音節にあたるかをしらべ、又他の語についても同樣な調査を試みて、一般に、前の時代のどの音節が次の時代のどの音節にあたるかを明かにするのである。かやうな調査は、必ずしも一々の音節の發音がわからなくとも、唯音を寫した文字の用法のみに基づいても出來るのであるが、その結果、前の時代に於ける二つの違った音節が後の時代には一つの音節となったものや、前の時代の一つの音節が後の時代には二つにわかれて別々の音節になったものや、又前の時代の一つの音節が、或場合には他の音節と一つになり或場合には之と區別せられてるるものが見出される。これは何れもその音に變化があったからで、もと違った音であったものが後に同音となり、又もと同音であったものが後に二つの違った音にわかれ、又もと同音であったものが、或場合にはもとの音を保ち或場合には變化して他の音節と同音となった爲であると考へられるが、それではどんな音がどう變化したのであるかはこれではわからない、又右のやうな變化なく、前の時代の或一つの音節が、後の時代に於てもやはり一つの音節として他の音節とは區別せられてゐるとしても、その實際の音ば必しも前後の時代を通じて同一であったとは定められない。
それでは、その實際の音と、音の變化を知るのはどうすればよいかといふに、まづ、その言語の後身と見られる現代の口語に於て、その音節がどんな音に當るかを見る。次に過去の文獻に於て、その音の性質を知るべき記載あるものをもとめる。これには、音曲(聲明や平曲、謡曲、浄瑠璃など)讀誦(佛教の諷誦や讀經など)漢語學(韻鏡其他)梵語學(悉曇)などに關したもの、外國人の書いた日本文典などに有力な資料が見出される事がある。又外國人が本國の文字で日本語を寫したもの(漢字、諺文、ローマ字などのものがある)も亦大切な資料であって、その當時の本國に於けるその文字の發音がわかれば、之でうつした日本語の發音も知られる。但し、これ等の資料を取扱ふにあたっては、その國の音と日本語の音と正しく符合しない爲、やむを得ず、近い發音の文字で寫したものもあり、又日本語を寫す爲に、本國では同音である二つの文字を區別して用ゐたなどの事がある。それ故、當時に於けるその外國語の音韻體系全體から考へて判斷を下す必要がある(例へば朝鮮ではh p phの音はあるけれども、f音がない故、日本語にfa fiの音があっても之を正しく寫す事が出來ずhua,phiなどの文字を用ゐる事もある筈である。又ポルトガル語には、チの濁音にあたる音がない故、本來はjiと同音であって日本語ではジにあたるgiの文字を以てヂを表はし、jiとgiを以てジとヂを區別した)。又支那のやうに方言の差の甚しい所では、どの地方の發音によって漢字を用ゐたかも考へなければならない。又、萬葉假名の中の字音の假名のやうに、日本人が支那の字音によって日本語を寫したものも、亦古代の支那の發音がわかれば大體その音を推測する事が出來る(この場合には、同じ音節をいろ/\違った漢字を以て表はしてゐるが、そのいろ/\の漢字の支那に於ける發音は必しも同一でないから、それらの種々の音が共に轉じ得るやうな一つの日本の音をもとむべきである。)
以上のやうな資料によって種々の時代に於けるその音節の發音を推定して之を時代の順にならべて、資料の及び得る最古の時代から現代までにその音が如何に變化したかを見るのである。
又、日本語から他の言語に入った語の中に問題の音節を含むものがあれば、それがその言語に於てどんな音になってゐるかを調査する。もし、この場合に、その語がその言語に入った時代が明かになれば、これも右の如き資料に加へる事が出來るが、さうでない場合は大體の参考にするにとゞめなければならない。さうして、かやうな場合にも、もしその音がその言語の音韻體系中に無かったならば、その語がその言語に入った最初から他の音に代ってゐたであらうから、その言語の音韻體系を考へて當時の發音を定めなければならない。
以上は主として歴史的研究法によったものであるが、猶、そのほかに比較研究法をも用ゐる事が出来る。即ち、現代國語に於ける諸種の言語、ことに諸方言に於て、その音節がどんな音として存するかを調べるのである。この場合にも、その音節を含む語でこれ等の言語に通じて存すると認められるものの音の形を比較して、その音節の部分がどんな音になってゐるかを見るのである。もしその音節がこれ等の諸言語に於て皆同じ音であれば、これ等の言語が分れ出た根源となった言語に於ても今の音と同じであったかも知れないが、もし諸言語に於て違ってゐれば、根源の言語では同一であったが、これ等の言語が分れてからどこかに於て變化したものと認められる。この場合に、いかなるものが根源の形で、いかなるものがそれから變化した形であるかは一般的研究法によって、諸種の音聲變化の類型と、音聲變化の一般原則からして推定すべきであって、例へばtuとtsuならば、tuからtsuに變ずる事は實例多く、その發音法から考へても寸能であるが、逆にtsuからtuに變ずる事は殆どない故、tuが根源の形でtsuはそれから變じたものであらうと推定し、又fとhならば、fからhに變ずる事は違った言語に於ても實例が多く發音の原理から見て可能性が多いが、その逆の變化は、或特殊な場合(例へばu音の前)の外には殆ど例なく、可能性に乏しい故、多分fからhに變化したのであらうと推測する類である。右の如き比較研究には現代の諸方言のみならず、現代の謠物其他の音曲の如き、普通の口語とは違った發音を有するものも、亦資料とする事が出來、現代に存せぬ音の存在を過去の言語に想定しなければならないやうな場合には有力な根據となる。又當面の問題とする言語以外の別種の言語の過去の音聲に關する記載の如きも、歴史的研究法では直にその資料とする事が出來ないけれども、比較研究法による時は、その資料とすることが出來るのであって、間接に問題の解決に寄與する事がある。
以上のやうな種々の方法によって得た結果を綜合して、問題の音節に於ていかなる音がいかなる音に變化したかを知る事が出來るのであるが、更にこの音節を單音に分解して考へれば、いかなる單音が變化しいかなる單音が變化しないかを明かにする事が出來る。さうして變化した單音については、その音を實地に發する時の發音法、即ち發音器官の運動を考へて、その變化が如何なる部分の如何なる變化に基づくものであるかを究めて、その音聲變化の本質を明かにする事が出來る。
或音の發音法の變化は、普通は、その言語を用ゐてゐる人々自身にも心づかぬ間に徐々に進行して、年代を經る間に遂に著しくなるものである。ざうして或年代にはじまって或年代に完結するものである。これは如何なる言語に起り、いかなる時に起るかは豫め定める事は出來ない。しかし一旦その變化が起れば、その音はどんな場合にも一樣に變化するのであって、隨って、その音が用ゐられてゐるあらゆる語に於て、その音の部分は、すべて同じやうに變化する。それ故、同じ語の、變化した以前の形と以後の形とを比較すれば、いかなる語に於てもその音の部分はいつでも同樣の變化を示し、變化以前の音と以後の音とは規則正しき對應を示すのである。又、同じ言語から分裂した二つの言語に於て、一の言語には右のやうな音の變化が生じ、他の言語には變化が生じなかった場合には、一の言語に於けるその音は、いかなる語に於ても、他の言語に於ける之に對應する諸語に於てその變化した音としてあらはれ兩者の間に規則正しき對應をなすべき筈である。
又、もし右のやうな變化が全く起らなかったならば、一の言語の或時代に於けるその音は、いかなる語に於ても他の時代に於けるそれと同じ音に對應し、一の言語から分れた二つの言語に於ても、一方の言語のその音は、いかなる語に於ても、他方の言語の同じ音と對應する筈である。
右の如き、同じ言語の異る時代の間、又は、同じ言語から分れ出た違った言語の間における音の規則正しい對應を、言語學では音韻法則(又は音聲法則)と名づける。かやうな音韻法則が見出された場合に、さうして、その音が同一でなく、相違がある場合に、發音法の變化が行はれた事が知られるのである。この音韻法則は、前に見たやうに、歴史的研究法によっても、又比較研究法によっても見出される。さうして、歴史的研究法によっては比較的直接に右のやうな音變化が起った事が知られるのであるが、たとひ歴史的研究法の及ばない場合であっても、比較研究法によって、違った言語の間に右のやうな音韻法則が見出されたならば、それ等の言語の何れかに於て右の如き音變化の起った事が推測せられるのである。さうして、全然無關係な言語の間に右の如き視則正しい對應が存するとは考へる事が出來ないから、二つ以上の言語の間に音韻法則が見出されたならば、それ等の言語はもと同一の言語から分出したもの、即ち同系統の言語であると認めざるを得ないのである。
さて以上のやうな音變化は、全く無條件に、即ち、その音のあらはれるすべての場合に起る事がある。又時として一定の條件の下にのみ起る事がある(例へば古代のf音即ちハヒフヘホの最初の子音は、語の最初に來ない場合に限ってWとなった。カハ「河」タヒ「鯛」がカワ・タヰとなり、カヘル「歸」トホル「通」がカヱル・トヲルとなったに對して、ハラ「原」ヒト「人」のハヒは變化しなかった)。それ故、その條件を見出す事が必要である。それについて注意すべきは、一つはその前後の音との關係である。その前又は後に來る音の違ふに從って、音變化が起る事もあり起らぬ事もあり、又起っても、違った變化が起る事がある。語頭音語尾音等の場合も、その前又は後に他の音が無い場合であって、この中に含める事が出來る。猶一つはアクセントの關係であって、アクセントの違ひによって音變化に相違を生ずる事がある。かやうな條件を無視すると、音韻法則が立たない事があり、又は例外が多く出る事になる。
かやうに、十分の注意を加へて音韻法則を立てようとしても、實際に於ては、なほ若干の例外が出る事を免れない。それは、音韻の規則正しい變化を妨げるものがあるからである。それはどんなものかといふに、
(一) 感動詞及び擬聲語(ドンドン・カチカチ・ピイピイの類)
これ等の中には往々音韻體系以外の音を用ゐるものがある。それは、實際ある音を摸擬するためであって、いはば、その時その時に實際の音に基づいて新な語が作られるので、傳統的な語ではないのである。音變化は傳統的な音(前の時代から傳はって來た音)に生ずるものである故、これ等の語は必しも一般の音變化に從はず、音韻法則の例外となる事があるのである。
(二) 他國語又は他の種の言語から輸入した語。
他國から輸入せられて國語の中に用ゐられる語(即ち外來語)や國語中の他の種類の語、例へば他の方言や標準語から輸入せられた語には、音韻法則の例外となる事がある。これらは、一般的音聲變化が完成した後に輸入せられた爲に、その變化に從はないのである。又、外來語は、はじめは外國語である爲に、その音聲に特殊な所があるものと考へられ、爲に一般的に音聲變化があっても、これだけはその範圍外となった事もあり得べきである。これ等の内、國語中の他の言語から入ったものは、本來その言語中にあったものと區別し難い場合が少くない。音變化は、本來その言語に屬する語に起るのであるからして、かやうな他から入って來た語は除外しなければならない。しかし他から入ったものでも、久しく用ゐられて本來の語と等しくなったものは、その後に起った音變化を受けるのが普通である。
(三) 類推
複合語は一つの單語であるが、之を構成する個々の語が明かに意識せられる場合には、その個々の語が獨立して用ゐられた場合に類推して、音聲變化の規則に從はない事がある。例へばフ音は單語の最初以外の位置にあればu音となり、その前の母音aoと合してo-となるのが音韻法則であるが「芝生」「園生」は「シバフ」「ソノフ」となってその法則に從はないのは、「生」が「フ」と考へられて、「芝生」「園生」の場合にも、フの音を保存するのである。又「思ふ」「舞ふ」の終止形が、現代口語で「オモウ」「マウ」であって「オモー」「モー」とならないのも「オモイ」(思ひ)「オモハナイ」(思はない)「マイ」(舞ひ)「マワナイ」(舞はない)に於て、いつも「オモ」「マ」の部分があらはれて來るから、之に類推して「オモ」「マ」の音を存するからである。
(四) 文字による新な發音
ホは語の中ではオの音となるのが一般の音韻法則であるが、「思ほす」「思ほゆ」を「オモホス」「オモホユ」といって「オモオス」「オモオユ」といはないのはその例外となるが、これは、昔から傳はって來たものではなく、口語としては既に用ゐられなくなったのを、文字のまゝに「ほ」をホと讀むからである。
以上の外、猶いろ/\の場合があらうが、とにかく音韻法則に例外があったとしても、右のやうに、相當の理由によって音變化が妨げられたと説明し得るならば、その法則は成立し得るのであって、一般的に或音變化が行はれたと考へてよいのである。
以上のやうな音變化によって、前にあった音が變化して別の音となる事があると共に、一つの音がニつにわかれて、新な音が加はる事がある。しかし、また、他の言語の影響によっても、新な音が出來る事や在來の音が他音に變ずる事があるのである。他の言語の影響によって新な音が出來る場合には、その音は他から輸入せられた語に於てまづあらはれるのが普通であるからして、さういふ點に注意すれば、多くの場合之を明らかにする事が出來ようが、他の言語の影響を受けて在來の音が他の音に變化した場合は、その言語内に於ける一般的音變化と區別し難い場合が少くない。しかしこれは言語が混合したのであって、初の間は在來の音と新しい音とが並び行はれ、平生常に用ゐるやうな語には在來の發音が保存せられてゐるであらうから、かやうな點に注意すべきであり、又、かやうな音變化は、同一言語内での一般的音變化と違って、一般言語學から見て、普通な音變化の實例及び原則に違ったやうな方向に變化する事があるから、かやうな點にも注意すべきである。
以上は、音節又單音が、その發音法を變じ、又は新な音が出來る場合で、この場合には特別の事情によってさまたげられたものの外、その音をもつあらゆる語に於て一樣に起る現象である。この外に、或る少數の語にのみ偶發する音變化がある。その重なものには、一語中にあって隣近した音又は音節の入れかはるもの(之を隣音轉換といふ。「茶釜」チャガマがチャマガ、「新」アラタシがアタラシ、「朔」ツゴモリがツモゴリとなる類)や、同語中の相隣る同じ音の一つが省略せられるもの(之を同音脱落といふ。「旅人」タビヒトがタビトとなり「盗人」ヌスミビトがヌスビトとなる類)などある。
以上、個々の音節又は單音の變化を、それだけとして考へたが、音の變化は、その前又は後の音の影響を受けて、前又は後の音の性質に同化せられ、又は逆に前又は後の音とは異る性質のものとなる事が多い故、他の音と聯關して考へる事を忘れてはならない。
次に音節の構成法の史的研究であるが、國語の音聲は、昔から之を寫した文字が音節文字である關係上、まづ音節を單位として研究するのが便利であるから、音韻體系も音節を主として取扱ったのであるが、その一々の音節の發音がわかれば、之を分解して單音を抽出すると共に單音からいかに音節が構成せられてゐるかも知ることが出來る。その單音の變化に從って音節も變化し、その構成も以前とはことなることがあるが、これも音節の變化をまづ研究すれば、之に從って知る事が出來る。次に音節からして單語や文節や文のやうな、意味を有する單位の形を構成する場合のきまりも、各時代に於ける一々の音節の發音が明かになれば、いかなる音節がいかに結合して種々の單位を作るかが明かになり、頭音尾音の規則も見出され、之を時代順に見れば、その變遷もわかるわけである。その際、言節の音變化が音節結合のきまりの上に如何なる影響を及ぼしたかを考へるべきである。又、太古には、或限られた音節では、或種の音節は常に一語の中に相伴ってあらはれるが、他の種の音節とは同語中に共に用ゐられる事が無いといふきまりがあったやうであるが、さやうな事が後世に無くなったのはどんな徑路によるものであるかも考ふべきである。頭音尾音の規則の變化の有無をもしらぶべきである。さやうなきまりが、外來語にのみあって本來の國語にないといふやうな場合は、それは外國語の影響によったもので、日本語には本來無かったものである事も推定せられる。
アクセントは、各時代の資料によって知り得るかぎり調べて、いくつの型があるかを見、又同じ語の各時代に於けるアクセントの變化をしらべて、その型の時代的變遷と、同じ型に屬する語の時代的變動とをしらべる。此は、言語の種類の異るものはそれ%\別々にしらぶべきである。又、各種の言語、殊に諸方言について、同語と認められるもののアクセントを比較し、一方言に於けるアクセントの型が他方言に於ける型といかに對應するかを見、種種の型に屬する語の諸方言に於ける異同を明かにし、之に基づき且つ前記の歴史的研究と對照して出來るかぎり古代日本語に於ける諸語のアクセントと、アクセントの型とを推定し、それより時代的變化を經て諸方言に於ける如き相違を生じた徑路を明かにすべきである。現代及び過去の謠物などに見られる節も、多くは古代の實際の言語のアクセントを基礎にしたものと思はれる故、有力な參考資料となる。
アクセントは、殊に方言的相違が多いものであるから、之を取扱ふに當っては、言語の種類の相違に常に留意しなければならない。又、アクセントは最變化しにくいものである爲に、他の言語の影響を受けた時も、すっかり變ることなく、語によって、もとよりのアクセントを用ゐるものと、新なアクセントを用ゐるものと混じる事があらうと思はれる。これ等の點にも注意してその變化を考察すべきである。
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