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学生担当論文の紹介 8章
8. Literate games: Roman urban society and game of alea NICHOLAS PURCELL
見上 英正
ゲームの歴史は古い。例えば、現在も世界中で親しまれているゲームの一つであるバックギャモンは、今から 5000 年以上前にエジプトで発明されたといわれ、その後ローマの拡大に伴って世界中に広まったとされている。また、その後、 7 世紀頃にバックギャモンは中国に伝えられ、同時に日本にも伝わることとなった。
さらに、ゲームが時の権力者を虜にする例も多くある。前述のバックギャモンについても、聖武天皇が好んで行ったといわれ、今も正倉院には聖武天皇が愛用したといわれる双六盤が残されている。
Nicholas Purcell の Literate games: Roman urban society and the game of alea は、 alea と呼ばれる古代ローマ時代に流行したゲームに関する論文である。 alea については数多くの資料が残されていたが、重要視されることは稀であった。その理由としては、 alea に関する資料(ゲーム盤、コマなど)が古物収集のコンテクストにおいてしか解釈されなかったことが挙げられる。例えば、現存している資料からゲームのルールについて考察し、解釈したとしてもそれ自体にはさほど意味が無い。ゲームのような娯楽を研究する際には、このような危険性が伴うのである。
しかし、 Purcell は、ゲームを社会史や文化史などのコンテクストで解釈することによって、この危険性を回避している。ゲームを様々な分野のコンテクストで解釈するという Purcell の試みは新しい視点であり、その結果如何に関わらず非常に価値があると思われる。
Purcell の論文は
T INTRODUCTION
U ALEA :THE CASE FOR THE PROSECUTION
V THE POPULARITY OF ALEA IN THE ROMAN CITY
W PLAYFUL WRITING: ALEA AS MIRROR OF ROMAN URBAN SOCIETY
の 4 節から成っており、ここからは 1 節ごとに解説と考察を加えていきたい。
T INTRODUCTION
INTRODUCTION では、論文の趣旨、論文の構成、 alea についての説明がされている。著者は、 alea と呼ばれるゲームを文化史、社会史に関連付け、それらのコンテクストにおいて解釈しようと試みている。前述のようにこれは非常に新しい試みであるといえる。例えば、優れたゲームは競技やギャンブルとしての側面を帯びることは、歴史的な事実からも明らかである。それにも関わらず、これまでの研究ではゲームを単なる娯楽として位置づけ、その社会的意義、文化的側面を無視している。資料が限定されている古代史において、ゲームを社会史、文化史に取り入れることで、新たな地平を開拓できる可能性も高いのである。今後は、ゲームを新たな分野( Purcell に拠れば文化史、教養史)に導入していくべきではないだろうか。
U ALEA :THE CASE FOR THE PROSECUTION
第 2 節では、 alea に対する非難を取り上げ、その観点から当時の社会を考察している。
alea は、そのゲーム性の高さからギャンブルと結び付けられ、特に堕落したエリートの典型的行動として非難された。ギャンブルが倫理、道徳と結び付けられることはどの時代についても言えることである。それは、ギャンブルが金銭に関わる行動であり、金銭欲は好ましいものとしてみなされないからである。また財力が地位の土台であり、階級移動能力を暗示していることも無関係ではないだろう。
第 2 節でさらに興味深いのは、道徳についての議論の関連として「時間」の概念が挙げられていることだろう。古代ローマでは、紀元前 2 世紀までに「時間の使い方」について道徳的な議論が行われるようになり、それに伴って時間の測定もより綿密に行われるようになった。その中で otium (余暇)が問題点になるようになり、余暇を過ごす手段としての alea が注目され、その是非を議論されることとなったのである。
「時間」と道徳との関連は、現代でもポピュラーな問題である。例えば、遅刻が多い人物は社会的に非難される。こういった批判は、時間に対する高い意識を表しているといえるだろう。
しかし、 otium と alea の関わりについては疑問な点もある。 alea が、 otium の問題と関連して非難されたかどうかは、厳密には判断できないのである。例えば、「余暇は、社会的、慈善的な活動をして過ごすべきである」という問題提起に対して、 alea のみが非難されたというのは考え難い。ゲーム以外の娯楽も同時に非難されたと考えるのが通常である。それにも関わらず alea のみが非難されたというのなら、それは otium の問題と関連して非難されたのではなく、 alea に備わっていた(とされる)悪行としての側面が単独で非難されたと考えるべきである。 otium の問題に関しては、 alea のみを非難の対象として挙げることは出来ないのである。
V THE POPULARITY OF ALEA IN THE ROMAN CITY
第 3 節では、下層階級における alea の位置付けについて考察されている。具体的には、 alea のエンターテイメントとしての側面、経済的側面について考察が加えられている。この節で重要視されているのが、現存する考古学的資料の寄与である。現存する alea のゲーム盤には、六文字×六語の文章が刻まれている。この銘刻が、古代ローマにおける民衆の価値観を如実に表しているのである。
この銘刻が伝えるゲームのメンタリティが、偶然性、運、経済的アクシデントである。経済的アクシデントは、ローマの経済の基本的特徴であった。都市の貧民の生存と進歩は、臨時収入に依存していたのである。従って、 alea における幸運の重要性は、古代ローマにおいて、他の社会よりも強調されるのである。この事実は、ユリウス・カエサルのルビコン川渡河における彼の台詞にも現れている。
第 3 節以降度々引用される銘刻であるが、その考古学的価値は大きいと思われる。一つ一つの銘刻が非常にユニークで特徴的であり、ローマの民衆の息遣いを情緒豊かに表している貴重な資料である。
W PLAYFUL WRITING: ALEA AS MIRROR OF ROMAN URBAN SOCIETY
第 4 節では、遊びとしての alea の考察と、 alea とリテラシーに対する考察がなされている。
この節で行われている、「遊び」の概念へのアプローチの考察の際に著者が挙げている先人が、 Johan Huizinga と Roger Caillois である。 Huizinga と Caillois は、「遊び」の概念について先駆的な仕事をした人物であるが、著者はここで Huizinga を批判し、 Caillois のアプローチを採用している。この論文では、著者が Caillois の考えに基づいて論を進めているのは明らかである。例えば、第 1 節に記述されている alea の基本的要素の分類は、 Caillois の「遊び」の活動の分類、「遊び」の原理の分類の影響を受けている。また、そもそも遊びが社会構造に埋め込まれた活動であることを主張したのが Caillois である。しかし、だからといって著者が、 Caillois の考えに引きずられているわけではない。著者の、社会史、文化史のコンテクストで解釈するという試みは成功しているように思われる。
だが、第 4 節の alea とリテラシーの関連については、十分に考察されていないと言わざるを得ない。この問題は非常に興味深く、かつ重要であると思われるが、第 4 節の後半は論を急ぎすぎており、特に alea と文字の関連については不十分である。ゲームとリテラシーという新しい観点が十分に述べられてないことは、非常に残念である。
何度も強調しているように、ゲームを社会史、文化史などのコンテクストで解釈するという試みは非常に新しく、それ自体評価できるものである。 Nicholas Purcell の論文‘ Literate games: Roman urban society and the game of alea ' も、一部強引な部分や論を急いでいる部分が見受けられるものの、その視点は新しく、論文全体を通して大きな破綻や矛盾点も無い、評価できるものだといえる。特に、論文中で示された、現存する alea のゲーム盤は、考古学的資料として高い価値を持っており、ローマ社会を理解するうえで非常に重要なものとなるだろう。
残念なのは、前述のように第 4 節の後半で論を急いでおり、 alea とリテラシーの関連が未消化のまま終わっていることである。教養とゲームを結びつけることも非常に意義がある試みである。豊富な文学的資料からも、更なる考察が必要だったのではないか。
ゲームと社会、文化、経済などとの関わりを考察することは、古代に限らずいかなる時代にあっても有用である。例えば中世などにおいても、ゲームを通して民衆と社会との関わりを見ることは、歴史における新たな視点となるのではないだろうか。
参考文献
増川宏一著、「ゲームの博物誌―世界各地にゲームのルーツを探る」 JICC 出版局、 1993 年