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Web版川西の遺跡

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タイトル:Web版川西の遺跡

川西市の遺跡紹介

下加茂遺跡(したがもいせき)

写真:弥生時代の方形周溝墓
弥生時代の方形周溝墓
西側に加茂の台地を望み、東には猪名川の流れにはさまれた平地に下加茂遺跡はあります。今はイチジク畑が一面に広がり、加茂遺跡が台地の北側に見とおせます。

下加茂遺跡で最も古い時代の資料は縄文晩期までさかのぼりますが、土器の出土のみです。弥生前期も同じような状況ですが、人々がこの時期に当地に入ってきたことは間違いないようです。弥生時代も中期になると、方形周溝墓2基が発見されています。まだ住居などは見つかっていませんが、一定の規模をもった集落であったと思われます。この時代は、地域的広がりとつながりが強まった時期です。拠点的な集落である加茂遺跡を中心として、栄根遺跡とともに地域社会を形成していたのではないでしょうか。
写真:古墳時代の竪穴住居
古墳時代の竪穴住居
古墳時代後期には、方形をした竪穴住居が6軒発見されています。一辺がそれぞれ5〜7mあります。この住居址の特徴は、造りつけのカマドをもつものが4軒あることです。カマドはいずれも一辺の中央に粘土でつくられており、住居と一体となったものです。このカマドでお米を炊いたり、おかずをつくったりしたもので、煙は住居の外側に出るように工夫されています。下加茂遺跡のカマド付きの住居は阪神間ではじめての確認例で、貴重な発見といえます。

鎌倉時代になると掘立柱の建物が見つかり、中世にも生活の場が広がっていることがわかっています。このように、下加茂遺跡は今ではイチジク畑ですが、古くは縄文から中・近世に至るまで人々が生活を営んでいたことがわかります。下加茂遺跡もここ数年の調査で、ほんの少し様子がわかってきました。広々としたイチジク畑の下に眠る古代の人々のくらしが明らかになる日もそう遠くではないでしょう。
川西能勢口駅前から阪急バス川西尼崎線加茂南口停留所下車

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