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Web版川西の遺跡

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タイトル:Web版川西の遺跡

川西市の遺跡紹介

鼓ヶ滝遺跡

写真:鼓ヶ滝遺跡の立地
鼓ヶ滝遺跡の立地
能勢電車を鼓ヶ滝駅で降りて線路沿に南へ歩くと、相当急な坂道になります。この坂道を登りきった山頂に鼓ヶ滝遺跡があります。 鼓ヶ滝遺跡は、この山頂を中心に東西約700m、南北約250m範囲で、現在の池田市と川西市にまたがっています。この遺跡については、弥生時代中・後期の集落跡という以外は不明で、これまでおこなった2回の発掘調査でも溝や小穴がみつかっただけで、住居跡や墓などの集落の構造を確認できる遺構はみつかっていません。また、遺物は弥生土器や石器が多数出土していますが、土器については細片が多く、形のわかるものはほとんどありません。その中で、地元の方の採集品の中に高さ8.2pの弥生時代後期の壺形土器が1個あり、当時の生活を知る唯一の手掛りとなっています。
写真:壺形土器
壺形土器
弥生時代中期から後期にかヶて、大阪湾沿岸から瀬戸内海沿岸にかけての地域では鼓ヶ滝遺跡と同じように標高100〜200mの山頂に集落をつくることが多くなり、これを高地性集落と呼びます。高地性集落は、高い山上に集落があるために稲作には適しません。

それでは、なぜ、このような所に集落をつくったのでしょうか。各地の高地性集落の調査例をみると、濠や土塁のようなものが集落の回りを巡っていたり、鉄のやじりや投弾と考えられる石器が出土しています。また、中国の歴史書の『後漢書』に「倭国大いに乱れ…」という記載があることから、1世紀から2世紀の倭人集団間の緊張関係の中で、軍事的な役割をもった集落が登場したとみる考えが有力です。逃げ込み・ノロシ台・みはり台などの機能を持っていたと思われます。

兵庫県では芦屋市の会下山遺跡が有名な高地性集落で、遺構などを現地で見学できるようになっています。 鼓ヶ滝遺跡周辺は現在でも但馬・丹後方面へ向かう交通の要衝です。弥生人達も山上から人々の通るのを眺めて危険がせまるとノロシを上げていたのでしょうか。
能勢電鉄鼓ヶ滝駅下車南へ徒歩10分

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