七八、韻鏡開奩及び其の前の諸註


近世に於ける韻鏡研究は(一)韻鏡開奩(二)新増韻鏡易解大全(三)韻鑑古義標註(四)磨光韻鏡を代表とする四期に分けて述べて可からう。本書は近世を慶長八年よりとするが、其より開奩の出るまでの二十五年間には
 韻鏡 慶長十三年本 土師玄同秘學秘典四巻續集一巻 韻鏡 元和本 二種
 宗寛筆の韻鏡看抜集 住譽無絃の韻鏡切要鈔 自等庵宥朔の韻鏡開奩
の如く本圖が三囘、末書が四種出て居る。今、本圖に關する韻鏡考の記述を引くと
 慶長十三年本 享祿本に依る。按ずるに巻末には指微韻鑑と題す
 (補)春村按ずるに此本活字にて慶長戊申中春良日下洛 涸轍書院新栞と記せり。巻中三五所異同字あり。
 元和本二部(補)春村按ずるに此二本も卷尾に指微韻鑑巻終とありて跋記年號書肆の名字等をも記さず普通の本よりも横濶廣、一本は序例に界行あり、一本毎轉標韻に傍假字あり、填る所の諸字は凡そ享祿本に同じく只十七轉に行異なる二字あると三十九転に異同一字あるのみ。古板本を稽ふるに慶長元和の間の物は年號等を記さぬが多く且横廣の本まゝあり、是に依りて此二本を姑く元和本と推し決めつるなり。
と有る。又末書につきて管窺を記せば左の如し。
 韻學秘典は今内閣文庫に蔵せられる。慶長十一年藤原惺窩が木下長嘯子を訪ひて談、九弄反紐法に及んだ。たま/\惺窩は紀府の行が逼つたので九弄圖解を爲りて長嘯子に示した其の草稿によりて玄同が寫したものとの奥書が有るが、九弄圖解は本書の續集で有る。奥書のさし次に「反切歸納の附圖は予が新に増し幼學をして其の法に疑無からしむる所」とも有るから正の四卷は玄同の元和七年(二二八一)の撰だらう。四卷の(一)には假名反切秘傳(二)には名乗反切秘傳(三)には諸例秘釋(四)には調韻要訣を收めて韻學の用語等をも説いて居るが、韻鏡の圖には觸れす何時も「深秘に至りては須らく口傳耳授を受くべく筆墨の能く盡す所に非ず」と逃げて居る。たゞ調韻要訣の漢音呉音法で(標目は今加へたもの)
漢音イ段呉音ウ段 久キウク應イヨウウヲウ  漢音エ段呉音ア段 西セイサイ卦ケイカイ
同 イ段同 オ段 血キョクコク 同ダ行同ナ行内ダイナイ農トウナウ
囘 ア段同 イ段 客カク錯キャク 同エ段同ウ段元ゲングヮン鶴カククヮク
同 ウ段同 エ段 會クヮイヱ懐クヮイヱ
と類従せしめて居るは面白い。
 韻鏡看抜集は嘗て東京帝國大學附屬圖書館に有りて其の第二囘蔵本展覽會にも陳列せられた。寛永元年(二二八四)十一月の宗寛の筆だったが、其の十一年の寫本も同大學の國語研究室に有つた。私の看たは研究室の物だったが今日は倶に存せぬだらう。紙數三十枚足らずのもの、序例、調韻指微等を本文として頭註が有るが、之も大したもので無い。寫本の末には
寛永十一天甲戊三月廿一曰午刻書寫畢 下野國皆川庄木村にて云々來雲生年(三二八歳)哀哉哀哉
と有った。
 韻鏡切要鈔は寛永三年(二二八六)の住譽無絃の著、全部漢文にて張氏の序例を解したもので圖には觸れて居らぬ。「依切以求音即音而知字」を解して禪字を集韻に多寒切、説文に衣不重也通作單と有る、多寒反によりてタムと知るは依切而求音で、寒気が増多するのだから衣の重ねざる義を得るが即音而知字だとし、三十六字母につきては三十六は四九の數だ、四は増韻に从ロ从八と有る、今一氣の口より出でゝ展轉して七音に分(八は分つ)るのだから四を用ひ、さて四は陰數だから九の陽數を以て之に配したのだが九は説文に象2其屈曲究盡之形1と有りて屈曲の音聲をも究め盡す義を取ったとする類牽強でも有るが人の頤を解くに足る。さて看抜、切要の兩書は名乗反切には毫も觸れて居らぬ。もと/\序例を解するに止まったから其處まで手が延びなかったのだらう。秘典の後に出たとしては兩書に却て古意が存する。又卷尾に三十六字母二十三行を出して五十音を之に配當して居ること例の通だがア行を四囘まで出せるに必ずオを用ひた(ワ行は出さず)も注意すべきことだ。
 さて開奩は六卷より成りて自等庵宥朔の寛永四年(二二八七)の著。正保四年(二十一年後)にも出版せられたのは大に世に行はれたのだらう。卷一には各轉につきて局位の誤れる文字を正し、廣韻の反切によりて百五十五字を補ひ、七音総括圖としては
 七音 清濁 字音の行 五音 五行 五萬 五時 五臓 五色 五常
の十段を重ね、脣音の輕母字、助紐字を出して最後に
人名の反切には音和を取るを正と爲す云々五行の相生を取る事肝要なり。
と云って居るが韻學秘典の「謹考韻鑑歸字例」の書式を出す程の事では無い。然るに秘典は世に流布しなかった爲に開奩が罪魁とせられて、磨光韻鏡餘論にも
或は人名反切の贅辯を費すなど蕪穢見るに勝へず、其の説を詳にするに開奩實に之が祖たり。
と指斥せられて居る。
 卷二には十二反切、卷二には字子、卷四・五には張氏の序例の解について詳述し、卷六は専ら神〓の九弄辨を釋したが、この處で注意すべきは九弄圖の別本とも云ふべき慈覺大師將來の唐院本十紐圖を收めて居ることだ(九弄圖や十紐圖につきては拙著「玉篇の研究」に述べて置いた)。
 本書にも反切によりて其の字義までも得ると云って居る點は切要抄と同じい。けれども抄の如き適例の常に存せぬを知ったからか、上字にのみ義が有りて下字には義が無い者を立てゝ 臣−承眞切 京−居卿切 を其の例とし、上下倶に義を得られぬ時は字畫を分析して互に之を換反すれば義を得ぬは無いと云って居る。又三十六字母の三十六を四九の積とするも切要抄に同じきが
四は金の生數たり九は金の成數たり、金は五行の一にして位、西方に在りて秋の時となす。秋は衆籟争ひ吹き昆蟲聲を挑むも金氣の其の象に應ずるなり、故に金は音を主る。金の數を字母の定數とするも蓋し此の意か
と云った如く更に一歩を進めて居るには多大の苦心をした事だらう。而して開奩が跡づけた一路が爾後一百年の研究を導いたは更に新増易解大全に述べる。

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