研究室だより(2000.4〜) 
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■濱島敦俊教授最終講義・お別れパーティー(2001.3.9)

 濱島教授退官記念の最終講義並びにお別れパーティーが、3月9日、盛大にとり行われた。当日は銀白色の小雪が舞い、退官に花を添えるかのようであった。
 最終講義では「16・7世紀の江南士大夫−‘民望’から‘郷紳’へ−」と題して、本年3月『大阪大学大学院文学研究科紀要』第41巻に寄稿された論文をもとに、江南の士大夫像の変遷を中心にして、十数年来の研究成果を披露された。
 会場には、公私にわたって交流のあった方々・受業生が大勢集い、お別れパーティーでは先生の授業・海外調査などの思い出話に花を咲かせた。
 このたび濱島教授が退官されてしまうのは、大変残念なことではあるが、これまでの熱意あふれるご指導に感謝を表するとともに、今後のより一層のご活躍をお祈りしたい。

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■劉石吉・陳支平両先生座談会(2001.2.21)

 本年度、客員研究員として来日中の劉石吉(台湾中央研究院)・ 陳支平(廈門大学)両先生の滞在期間も残り僅かとなった。そこで、東アジア史専攻の教官・大学院生を中心に、座談会が催された。
 まず、劉石吉先生は、「殖民城市与通商口岸−中国与亜州的経験−」と題し、伝統的な中国の都市から解き起こして、いわゆる“ウエスタン・インパクト”をめぐる従来の研究に対して問題提起をなされた。そして、中国農村と開港場との格差拡大(一種の二重経済論)に関して自説を展開された。
 ついで、陳支平先生は、「関于明清期農民性格特征的几个問題」と題して過去の農民反乱史研究を回顧し、今後の課題と展望を提示された。「中国農民」の範疇について多義性を指摘され、階級間の対立という図式そのものを相対化する必要性を強調された。
 発表後の質疑応答では、活発な議論が展開され、非常に有意義な時間を持つことができた。


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■龍谷大学図書館特別展 見学会(2000.11.7)

 野山も色づきはじめた秋の一日,森安教授・荒川助教授の呼びかけにより,龍谷大学図書館特別展の見学会が行われた。受講生,ゼミ生を中心に学部2回生からODまでの総勢20名が伝統ある龍谷大学の学舎に参集した。
 今回の特別展は「シルクロード・中央アジアを巡った探検家たち―大谷ミッションを中心として―」と題され,大谷探検隊将来の収集品や探検家が実際に使用した遺品などのほか,常設展示品を合わせて総展示品目数は60を越える。

 見学会ではまず森安教授が敦煌出土胡語仏典ならびに漢文仏典の奥書(コロフォン)を解説,その後,学生の質問に答えるかたちで,出土文書の形態に至るまでを丁寧に説明した。
 ついで荒川助教授はトゥルファン出土文書の解説とその周辺を巡る議論を紹介。講義中でも取り上げている「伏羲・女か(おんなへんに咼)図」は古代の冥界観に関わる興味深い遺物であった。
 また,本学大学院在学中の坂本和子女史はトゥルファン出土の絹織物の特徴,構造を熱く語った。歴史を再構成するのは文献史料だけではないことを実感させられる。
 見学会は2時間以上にわたり,実際の出土品を丹念に観察・鑑賞することはもちろん,最新の研究成果を踏まえた知識を多く得ることができた。疑問点については先生方に逐一質問する積極的な姿が見られるなど,実りの多い見学会になった。展示品の一つ一つをしかとまぶたに焼き付けられたに違いない。今後も積極的な姿勢を忘れず,見学会の記憶をおのおのの問題関心の糧にしていただきたい。


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■秋季ソフトボール大会(2000.11.6)

 春季大会では準優勝の東洋史学ナイン。研究室の威信をかけた熱き戦いの詳細については, 『続ソフトボール実録長篇』巻二,二〇〇〇年秋之條 をご覧ください。

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■馬西沙先生座談会(2000.11.2)

 11月2日,中国社会科学院世界宗教研究所教授の馬西沙先生が来学。この絶好の機会を捕らえて,東アジア史専攻の教官・大学院生を中心に座談会が設けられた。馬西沙先生は,明清時代の民間宗教・秘密結社を専門に研究されてきた。座談会では,先生の研究の歩みを中心とした過去の民間宗教・秘密結社行に関して,活発な議論が交わされた。なお,先生の主要著書としては,『中国民間宗教史』(韓秉方氏との共著)がある。

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■劉石吉・張建民先生講演会(2000.10.25,11.1)

 東アジア史専攻の大学院演習では,現在,来日中の二名の中国人研究者をお招きし,教官・大学院生を対象とする講演を行った。まず,10月25日には,劉石吉先生に講演していただいた。劉先生は,現在,台湾中央研究院中山人文社会科学研究所の研究員で,日台交流協会の招聘で,9月末に来日。来年の3月10日まで,本学に滞在の予定である。劉先生の専門は,明清〜近代にかけての江南デルタの社会経済史で,主要著書に『明清時代市鎮研究』がある。本講演も「中国城市史研究−−課題・方法・検討与展望」と題して,過去の研究史とその分析方法・今後の研究課題と展望等,多岐に渡るものとなった。
 11月1日は,張建民先生に講演していただいた。張先生は,現在,武漢大学歴史系教授で,徳島大学に滞在中である。張先生の専門は,明清時代の長江中流域を中心とした社会経済史で,主要著書に『明代長江流域農業水利研究』(彭雨新氏との共著)がある。本講演は,「明清時期的自然災害与農村社会−以江漢平原的洪ろう(サンズイ+労)災為例」と題して,湖南省の農業・水利を中心に,現在の環境問題までも視野に入れた,興味深いものであった.

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■修士論文構想発表会(00.10.28〜29)

 10月28・29日の両日にわたり、修士論文構想発表会が行われた。大学院大学化にともない当研究室でも院生が増加、木曜午前の合同演習だけでは十分に時間を取った発表が行えない事態となり、卒業論文の場合と同じく土日を費やして構想発表会を行うこととなった。
 両日合わせて八人が発表したが当然卒論よりもハイレベルなものが求められるため、自然と議論も白熱、一段と厳しさを増した質問・コメントが発表者に矢の如く降り注いだ。提出期限まであと僅かとなったが、八人が無事勝利を勝ち取ることを祈ろう。

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■表紙の勅封盗まれる

 数ヶ月前より当サイトの表紙を飾っている勅封(村の神様に対する朝廷のお墨付き)の実物が盗難にあっていたことが判明した。表紙に掲載しているものは、管理者の一人が友人の研究者から写真を譲り受けたものだが、撮影のしばらく後、虫干しの際に紛失が発覚したらしい。盗難の背景には、ベトナムにおいて近年急速に高まっている骨董ブームがあると思われる。
 研究室とは直接の関係は無いものの、戦争や政治的変動など様々な困難を乗り越えて人々が守り伝えてきた文化財が失われたことに悲しみを覚えざるを得ない。

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■第二回卒論相談会(00.10.7〜8)

 7日(土曜日)、8日(日曜日)の2日間、卒論執筆予定者にとっては最後の関門とも言える第二回目の卒論相談会が行われた。予定者20名のうち、発表の資格を得たものは15名。現役4回生11名全員が発表できたのは真に幸いである。
 相談会の内情は既に98年度の「研究室便り」にて紹介済みだが、本年も教官・院生の厳しい質問・アドバイスが豪雨の如く発表者に降り注いだ。例年と異なる点は、発表内容はともかく、発表手順や態度への問題が多々指摘されたことであろう。また「発表二日前にレジュメ原稿提出」という鉄の掟が有名無実となってしまい、レジュメを差し換える者が続出したのは、忌々しき事態である。現2・3回生は、先輩の轍を踏まえて来年以降の本番に臨んでいただきたい。

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■ファン・ハイ・リン先生来日(00.10.3)

 この度国際交流基金の招聘により、ハノイ国家大学人文社会大学のファン・ハイ・リン(Phan Hai Linh)先生が来年7月までの予定で、本学客員研究員として来日された。ベトナムではただ一人の日本中世史研究者であり、ご専門は荘園制を中心とする土地制度史だがベトナム陳朝期の田庄との比較をも視野に入れつつ研究を進められる予定である。
 ベトナムでの日本史研究はごく新しい分野であるが、先生はモスクワ・東京での六年余りの留学に裏打ちされ日本語力をもって、その先頭を走っておられる。先生の謦咳に接することで、新しい学問が誕生し成長していく雰囲気を感じ取るとともに、アジア諸国が日本を研究するということについても理解を深めて頂きたい。

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■岡田(M1)バッコック調査へ(00.7.19)

 今年で8年目を迎えるバッコック調査(ベトナム ナムディン省)への参加と漢文・チューノム研究院(ハノイ)での史料収集のためバンコク経由で渡越した。ベトナム研究者のみならずアジア研究者にとってフィールドワークはもはや当然のこととなったが、歴史ある調査に参加することで多くのものを吸収して欲しいものである。

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■陳支平教授講演会(00.7.1)

 本年5月2日,中国厦門大学歴史系教授陳支平氏が,来日された。氏は,日本学術振興会平成12年度外国人招聘研究者(長期)・大阪大学客員研究員として,2001年3月1日まで滞在の予定である。氏の研究は,明清時代福建省の社会経済史を中心に幅広く,主要な業績としては,『清代賦役制度演変新探』(1988年、厦門大学出版社)がある。
 この度,この絶好の機会をとらえて,氏に,第一回目の講演を行っていただいた(本年度9月にも再度講演の予定)。今回は,「清初沿襲明末加派補論」と題して,所謂「剿餉・遠餉・練餉」等の明末の加派が,本当に清朝によって免ぜられ,農民の負担が軽減されたのかについて再考された。また,1949年以降の大陸中国における史学界の動向に関しても,大変興味深いお話をして下さった。
 なお,氏.は,7月29〜31日の明清合宿(於:湘南葉山)及び,9月14〜17日の第一回中国史学国際会議(於:早稲田大学国際会議場)でも発表される予定である。

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■栄新江先生,西域出土文書研究演習にご参加(00.5.27)

 中国唐代史・内陸アジア史・敦煌学の世界的権威,栄新江先生(北京大学教授)が日本滞在中であることは既報通りである。この日はご帰国の前日であったが,あわただしい時間を割いて,荒川助教授担当の西域出土文書研究演習に参加された。この日の検討対象は敦煌文献の中でも書簡形式の文書であり,内容・文脈の把握が特に困難なものであったが,栄先生は理解困難ないくつかの部分について明晰な解答を提示された。参加学生は,5月24日の阪大でのご講演に続いて,再び栄先生の謦咳に接することが出来たわけであり,この貴重な経験を今後の各自の研究に活かしてほしいものである。

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■栄新江先生講演会(00.5.24)

 このたび,国際東方学者会議出席のため来日された北京大学教授・栄新江先生に,大阪大学でのご講演をお願いすることが出来た。
 栄新江先生は中国唐代史・内陸アジア史・敦煌学の世界的権威であり,毎年10本近く発表されるご論文は,いずれも斯界を領導する最先端の研究である。
 今回の阪大でのご講演は,当研究室所属の学生が聴講した以外に,龍谷大学からも小田義久・北村高・村岡倫の3先生ならびに多数の学生諸氏のご臨席を仰ぐことが出来,栄新江先生の研究に対する関心の高さが窺われた(周知のごとく,
大谷探検隊将来文書を擁する龍谷大学は,日本の敦煌・トゥルファン学研究の拠点の一つである)。

 栄新江先生は「敦煌帰義軍曹氏統治者為粟特後裔説」と題して,従来十分な論拠なく全くの臆測として語られてきた沙州帰義軍節度使曹氏のソグド人出自説を採り上げ,多岐にわたる史料からその蓋然性を講じられた。
 これは先生ご自身も未だ論文化の途上にある研究とのことであり,質疑応答では反論も含めて活発な討論が行なわれた。
 聴講した本学学生も,栄新江先生の該博な知識と問題意識の水準に触れ,さらには世界最先端の研究が生み出される過程を目の当たりにしたことで,大いに刺激と感銘を受けたことと思われる。

 なお,栄新江先生の論著は今春4月時点で著書8冊・論文100余点,雑纂・書評各30余点にのぼる。その全てにわたる文献目録が,近刊の『内陸アジア言語の研究』第XV号に掲載される予定である。

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■第一回卒業論文中間報告(00.5.13〜14)

 本年度卒業論文に挑む四回生は20名以上。しかし年々厳しくなっていく就職活動のため,発表に参加できたのは11名にとどまった。

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■春季ソフトボール大会(00.5.1)

 恒例の文学部主催のソフトボール大会が,今年も猪名川河川敷グラウンドで開催された。東洋史ナインの奮戦ぶりについては,『続ソフトボール実録長篇』をご覧ください。

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■新入生歓迎コンパ(00.4.27)

 今年は2回生14名,博士前期課程2名(内部進学者を除く),研究生1名が東洋史の門を叩いた。

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大阪大学大学院・文学研究科・東洋史学研究室