縄文時代は、紀元前およそ1万年から約1万年間もの長い時代で、人びとは野生の動植物をとり生活していました。しかし、定住のための集落が営まれたり、食物を煮炊きするための土器や、狩猟具としての弓矢などが使われ始めています。
川西では、縄文時代でも終わり頃の後期・晩期の集落が加茂・下加茂・栄根遺跡など南部に集中して営まれていました。また、小花では後期の石棒が出土しています。

加茂遺跡出土の石冠
川西市南部には、加茂遣跡で後期・晩期、栄根.下加茂遺跡で晩期の土器が出土しており、それぞれ小さな集落が営まれていたと考えられます。なかでも加茂遺跡の後期の集落は、遺跡西部で土壙・ピット・土器棺が見つかっており、直径約50mの範囲に広がっていたことがわかっています。
晩期の集落は、各遺跡ともわずかな土器の出土のみで明らかでありませんが、いずれも弥生時代直前の晩期末のもので、稲作の始まる弥生時代との関係が注目されます。加茂遺跡では、晩期と考えられる石冠が出土しています。日常の道具とは考えにくい石冠の用途については、祭祀具説をはじめ諸説ありますが確定に至っておりません。