
西畦野遺跡周辺
能勢電鉄畦野駅から国道173号線を越えてさらに西へ歩いていくと、文珠橋という小さな橋があります。西畦野遺跡はこの文珠橋の北側を南端とした東西250m、南北300mの範囲に広がる弥生時代から中世の複合遺跡で、遺跡の東・南部に一庫大路次川が流れています。
畦野周辺には、奈良時代に国家の管理下に置かれた牧場があったということが、『日本後紀』大同三年(808)七月の条に「摂津国川辺郡畝野牧を廃す」と書かれていることからわかります。しかし、現在のところは牧場の正確な位置はわかっていません。

発掘調査のようす
西畦野遺跡は、市道54号線拡幅工事に伴い1986〜87年に発掘調査が行われました。この発掘調査では、鎌倉・室町時代の集石遺構・溝・小穴や古墳時代初頭・弥生時代後期の溝や小穴がみつかっており、遺物も鎌倉・室町時代の瓦器・土師器・須恵器・青磁・白磁や、古墳時代の土師器、弥生時代の土器が多数出土しています。しかし、畝野牧のあった奈良・平安時代の遺構・遺物は一つもみつかりませんでした。
ところで、これまで弥生時代の遺跡は市域南部(加茂・栄根遺跡等)を中心に発見されており、最北端の遺跡は鼓ヶ滝遺跡でした。今回の発掘調査によって、西畦野遺跡が市域では最北端の弥生時代の遺跡になりました。南部の栄根遺跡から但馬・丹波地方で造られた土器が出土していることから、当地方との交流が考えられ、北部の遺跡はこうした交流における窓口的な役割を果たしていたと考えられます。
今後の発掘調査により、交流のことや各時代の集落構造が明らかになっていくことと思います。牧場の正確な位置はわかりませんが、一庫大路次川の川原で一面に広がるのどかな田園風景を見ながら、草を食べたり走り回る牧馬の情景を想像するのも楽しいものです。
能勢電鉄畦野駅下車西へ徒歩30分