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演劇学論叢

研究室では、現在紀要『演劇学論叢』を刊行しています。

※1~24号は、著者の許諾が得られた著作物について、大阪大学学術情報庫で公開。

  

劇評誌『まくあい』

    
  • 『まくあい』創刊号 目次
    合わせかがみの二本立て(ダブルビル) 三原文
    90年の鴻上と野田 高原豊明
    ベジャールの神話的世界 −『ピラミッド』−澤井万七美
    「古典」発見の時代 山崎正和
    褒めてはいけない能 天野文雄
    當る未歳顔見世興行見物記 林公子
    治らないエスセティック・サイコシス 山下純照
    空振りに終わった『鉄拳』 前西和成
  • 『まくあい』2号 目次
    ブルック演出『あらし』を振り返って 山下純照/ギリシア悲劇の現代性 −太陽劇団の『アガメムノン』− 北野雅弘/「正調タカラヅカ」考 山本陽子現代見世物考 −二代目天功の凱旋公演− 三原文/復曲《鵜羽》の演出意図と実際 小林英一/歌舞伎の様式ということ 権藤芳一/同位性のアメリカ観 奥村英之/もうちょっとで『おいしい結婚』 上倉庸敬
  • 『まくあい』3号 目次
    ピーター・ブルックの演技教室 山崎正和
    演技のスタイルについて 木村健治
    MORE THAN KIN, BUT... −古代劇場でのギリシア劇− 北野雅弘
    チャイコフスキーの〈エフゲニ・オネーギン〉 横原千史
    一時間三十五分の《井筒》 天野文雄
    祝襲名 四代目林家染丸 東精一
    独断評釈 昨今関西歌舞伎(いいっぱなしちかごろかみがたかぶきのゆくえ) 林公子
    優しさに包まれた「ゴースト」物の映画 深見有紀子
    それは私の羽根飾(こゝろいき) −ドパルデューの『シラノ』− 三原文
  • 『まくあい』4号 目次
    獅子を飼う −利休と秀吉− 上倉庸敬
    マルセ太郎の「泥の河」 長山現
    秘密はないのに謎がある 中溝孝子
    物語へのまなざし 澤井万七美
    地域寄席の存在価値 中川桂
    文楽劇場七月公演所感 時松孝文
    ヴィム・ヴェンダースの俳諧 −『夢の涯てまでも』 山下純照
    うみ・そら・さんごのいいつたえ 緒方興紀
  • 『まくあい』5号 目次
    ブロードウェイ雑感 山崎正和『コレクター』 −こんな劇が見たかった− 河野良幸
    戯曲再発見の演技 −演出も意欲的だった幸四郎主演『リア王』− 山下純照
    文楽劇評のあり方について −一月公演の場合− 権藤芳一
    残せるか、シテ方「大蔵流」 −仙台藩の遺風を伝える薪能−
    小林英一四天王寺の経供養を見て −舞楽装束の色彩感覚− 涌井美夏
    二十一世紀歌舞伎組公演 −『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』− 西村文
    市川猿之助のオペラ演出−バイエルン国立歌劇場の来日公演を観て− 岡田暁生
    映画97歳の変身 平川大作       
  • 『まくあい』6号 目次
    ボトー・シュトラウス −『シュルスコール』、ミュンヘン− 近藤公一
    寒々とした壮麗 −愛知県芸術劇場の『オイディプス王』− 北野雅弘
    いただけない関西風味 中溝孝子
    美しき誤解の能 −友枝昭世《景清》− 天野文雄
    再論関西歌舞伎(またここにきょうおおざかのしばいばなし) 林公子
    「浄るりシアター」柿落し 中川桂
    『水の旅人・侍KIDS』 −大林映画として− 東田元
    異常心理との自己同一 前田茂
  • 『まくあい』7号 目次
    「外」の世界に触れた演劇 −読売演劇大賞雑感− 山崎正和
    アメリカの地方演劇 −ニューオリンズの場合− 三原文
    『トランス』 −プロセニアムを超えてそれでも彼が伝えたいのは...... 中司淳子
    「シテ」中心の古演出『昭君』 −復活されなかった部分− 小林英一
    文楽初春公演 澤井万七美
    「平成の和事」考 岩渕菜緒子
    『ゴジラ』40周年に思う 橋本典子
    『月はどっちに出ている』が浮遊するところ 平川大作
  • 『まくあい』8号 目次
    日本の風土に根付く西洋文化とは? −日本版《レ・ミゼラブル》の公演をめぐって− 渡辺裕
    『仮名手本ハムレット』という仕掛け 林公子
    メタシアターと演技 −NOISE公演『朝、冷たい水で』− 河野良幸
    ディアーフレンズ −キャラメルボックスからの手紙− 須川菜生
    演じられなかった演技論 −東京グローブ座の『お気に召すまま』− 平川大作
    能は「物語」か −京・大阪の二公演から− 天野文雄
    観客に求めるもの観客が求めるもの 伊吹美保子
    『荒野の決闘』と『ワイアット・アープ』 吉冨賢介
  • 『まくあい』9号 目次
    ふるさときゃらばん・ミュージカルの問題点 大笹吉雄
    “家庭”への鎮魂歌 −アメリカ地方大学の演劇− 堤春恵
    『オレアナ』はセクハラ劇か? 山下純照
    「四季」初体験にて思う 原富貴子
    東京落語移入の動き −雀三郎と南光の落語会から− 中川桂
    今は春べの難波津夕映え −能『弱法師』における感覚世界− 宮本圭造
    「切りとられた」映画 古川範子
    変貌・「忠臣蔵」 澤井万七美
  • 『まくあい』10号 【特集・山崎戯曲】 目次
    [研究篇]  『凍蝶』 −「美しい」生きざまを超えて− 河野良幸
    『世阿彌』における”観客”試論 −観衆の不在− 堤春恵
    人は後世に何を残すのか −『野望と夏草』の現代性− 鳥居千栄子
    愛することの逆説 −『おう エロイーズ!』の読みひとつ− 上倉庸敬
    『船は帆船よ』の「不在」 柏木隆雄
    見えない船のつくり方 −『實朝出帆』− 平川大作
    『木像磔刑』から『獅子を飼う』へ −二人の主人公は可能か− 三原文
    『かなりやの家』をめぐって 大輪一博
    現代日本の詩劇『オイディプス昇天』
    木曽明子『ローマを見た』に見られるもの −二つの問題点− 木村健治
    [随想篇]  うらみをこめて振返れ 喜志哲雄『世阿彌』のころ 石澤秀二
    感謝 岩波剛
    [資料編]  著作集非収録戯曲『鬼』〔一幕〕  山崎戯曲上演記録 山下純照編
  • 『まくあい』11号 目次
    '95年のニューヨークの劇場から 霜康司
    ノエル・カワード『渦巻き』を見て 福村久美子
    山里に舞う神楽能 −佐々木隆の『鐘巻』− 山路興造
    狂言の東西 −第七回「東西狂言会」異聞− 天野文雄
    創られる存在 −子歳の顔見世興行から− 林公子
    「めでたさ」への思い −この初春の文楽に− 澤井万七美
    興奮と快楽のデジャヴ映画「デスペラード」 池田葉子
    映像のイノセンス −「リスボン物語」を見た− 木下耕介
  • 『まくあい』12号 目次
    パブから観劇 細井雄介
    機械仕掛けのチェーホフのための未完成の『ピアノ』 永田靖
    女声問題 −芝居屋坂道ストア『マイナス100℃の夏』− 平川大作
    劇場の空気、舞台との一体感 −関西大衆演劇見物記− 田代宗雄
    失速する天女 小林英一
    ざこば率いる勉強会 中川桂
    失われた眼を求めて −『ユリシーズの瞳』を見て− 米田牧子
    「演出」された写真 −シンディー・シャーマンの写真をめぐって− 神林恒道
  • 『まくあい』13号 目次
    スエーデン演劇旅行雑感 山崎正和
    湿度のある芝居 −『ともだちが来た』 井上智香子
    苦闘する「正しさ」 −世阿弥本《弱法師》の課題− 天野文雄
    盧生という個性 −味方健の能「邯鄲」− 宮本圭造
    新しい顔たち 澤井万七美
    激動の歴史を直視する映画 −『マイケル・コリンズ』を観て− 武部好伸
    『ファーゴ』、ジャンルの壁を越えた〔クライム・ストーリー〕 伯井玲子
    ドラマと映像 −ケネス・ブラナーの新作二本を見て− 石田久
  • 『まくあい』14号 目次
    チェーホフまたチェーホフ −国際チェーホフ会議報告 永田靖
    瞬間の連続 上別府勲昼間に見る悪夢 大林のり子
    文楽「義経千本桜」初段など 内山美樹子
    現代版「音曲にてはたらく能」 藤田隆則
    『天鼓』の魅力 −粟谷菊生氏の『天鼓』を見て− 岡垣里美
    答えをだした作品『もののけ姫』 家ノ上さくら
    現代への映像翻訳 −90年代の『ロミオ&ジュリエット』− 岩橋大輔
  • 『まくあい』15号 【特集・古典の上演】 目次
    [鼎談]  「古典の上演」をめぐって 山崎正和・天野文雄・永田靖
    [随想] 古典の上演 山内登美雄ブレヒト生誕100年 市川明
    「丸本歌舞伎の演出」断想 権藤芳一
    [劇評] NINAGAWAマクベスの赤 大林のり子
    「古典の上演」における時空の演出 −『リア王』を観て− 田中真輝
    古典の再生 −昨年下半期の落語と講談から− 中川 桂
    現代劇としての能 宮本圭造映画と古典 平川大作
  • 『まくあい』16号 目次
    『ザ・トート・ファミリー』再演と劇団文芸座のことなど 三原文
    光と影が彩る蜘蛛女のキス 名和由理
    蜷川の寺山『身毒丸』を観て 稲葉伸之介
    「原像」へ向う力 −能を能たらしめているもの− 天野文雄
    非日常の感覚 −文楽南座公演『忠臣蔵』− 團夕紀子
    京都の市民能《砧》 中谷友美
    九十年代より愛を込めて −ジェイムズ・ボンドに捧げるスパイ映画『オースティン・パワーズ』− 大塚美左恵
    すでに失われた子供たちについて −『スイート・ヒアアフター』− 木下耕介
  • 『まくあい』17号 目次
    表わし演じるものの行方 −マレーシア奥地の熱帯雨林にて− 山口修
    モスクワのイポンカ、あるいは真摯さの勝利 永田靖
    深津篤史の戯曲と演出 正木喜勝
    陰をのみこむ光のバレエ −キーロフ・バレエ団『眠れる森の美女』公演より− 伊藤友子
    「初心者のための能」を観る 伊吹美保子
    恋と女と結婚と −九九年初春大歌舞伎をみて− 家ノ上さくら
    「隅田川続俤」への期待 林公子恋の味わい −エリック・ロメールの映画より− 佐藤周子
  • 『まくあい』18号 目次
    子役の領分 −『小さなエイヨルフ』− 神山彰
    イメージの氾濫から記憶の反乱へ 大林のり子
    『夏の砂の上』、あるいは日常の脆さ 川島勇樹
    泰西絵葉書紀行 平川大作
    変容する古典劇 −現代における《山姥》受容− 天野文雄
    蝋燭能『維盛』 −受け継がれる思い− 小川佳世子
    高倉健の『鉄道員』 新谷洋介
    「個人的」な映像の進化 −『スター・ウォーズエピソード1 ファントム・メナス』を観て− 小田研史
  • 『まくあい』19号 目次
    ニューヨークの演劇散歩 永田彰三
    ク・ナウカの『王女メディア』 山下純照
    観客重視のパフォーマンス 池田優子
    大都会の誘惑、あるいはニューヨークのウクライナ人 永田靖
    文楽からの「素敵なプレゼント」 澤井万七美
    二つの野外歌舞伎 藤原知永子
    現代の観客と歌舞伎 −「芝居」から「演劇の一ジャンル」へ− 佐藤貴幸
    『黒猫白猫』のコントラスト 建名真人
  • 『まくあい』20号 【特集・二十一世紀演劇への道】 目次
    ■巻頭インタビュー  演劇の二十世紀を振り返って 山崎正和 (聞き手)平川大作
    ■座談会  座談1:能・狂言の二十世紀と二十一世紀 羽田昶 松岡心平 天野文雄
    ■座談2:二十世紀の歌舞伎を振り返る 権藤芳一 森西真弓 林公子
    ■座談3:二十一世紀の演劇に向けて 菊川徳之助 出口逸平大林のり子 永田靖
    ■ 『まくあい』(創刊号〜第19号)総目録
  • 『まくあい』21号 目次
    ■Prologue 最近の観能体験から 天野文雄
    ■Critique  上村吉弥の三つの舞台 荻田清
    高校演劇を見る 永田靖
    定型に込められる演技の力を見る −復曲能『長柄の橋』から− 藤田隆則
    ジーンズをはいたモーツァルトの挑戦 −ミヒャエル・クンツェの場合− 田中みどり
    北野武が描く愛の形 −『Dolls』を見て− 藤元陽
    作業場の『令嬢ジュリー』 −ベルリン・ドイツ劇場の戦略− 大林のり子
    ■Stage Reviews  「全体」と「個」から見た演劇 村山翔大
    姨捨の世界 −舞台に差し込む月光− 大道順子
    「変わらない」主人公を見て観客が「変わる」 金正男
  • 『まくあい』22号 目次
    ■Prologue ストライキ、あるいは夢の演劇 永田靖
    ■ Critique  能が能として成り立つとき −TTR能プロジェクトの「花形能舞台」公演のことなど− 天野文雄
    回想にとどまってはいけない「上方風流まつり」 中尾薫
    『エレファント・バニッシュ』による サイモン・マクバーニーからのメッセージ 正木喜勝
    映画『スパイ・ゾルゲ』のドラマトゥルギー 横田洋
    パーティーが終わった後で −『めぐりあう時間たち』の見事な翻案− 木下耕介
    ■ Stage Reviews  歌舞伎とリアリズム 松尾菜美顔見世興行における『達陀』上演の意味 藤元陽
    観客の声からの演目づくり −伝統と新しさの間での模索− 田中みどり

大阪大学人文学研究科芸術学専攻
演劇学研究室

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大阪府豊中市待兼山町1-5

TEL 06-6850-6111(代表)
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