研究室紹介

沿革

大阪大学 中国文学研究室の歴史は比較的浅く、1992年に設置された比較文学講座が、文学部改組にともなって、1995年4月に比較文学専修と中国文学専修に分離されたことに始まります。

当初から深沢一幸言語文化部(現・言語文化研究所)教授(2013年退官)に併任としてご協力いただいていましたが、開設当時は福島吉彦教授がおひとりで専攻をきりもりされていました。

その後、96年10月に浅見洋二准教授(現・教授)が山口大学より着任し、99年3月に福島教授が定年退官、2000年10月に高橋文治教授が追手門学院大学より教授として着任して、現在は浅見教授、高橋教授のお二人が、研究室の運営に当たられています。

深沢一幸教授は、唐代の詩歌を中心とする中国文化論、
浅見洋二教授は、唐宋の詩論を中心とする文学論、
高橋文治教授は、元明の白話文学を中心とする文体論を、それぞれ研究テーマとし、古典学の立場から研究・教育の現場に臨まれています。

また近年、大学院生や修了生とともに、大阪大学中国文学研究室編として、『成化本「白兎記」の研究』(汲古書院)と『中国文学のチチェローネ ―中国古典歌曲の世界―』(汲古書院)を刊行しました。
これらの書物は、研究室内で行われている演習や研究会の成果です。

主な研究

成化本『白兎記』の研究

一九六七年に上海市郊外嘉定県の明代墳墓から成化年間(一四六五~八七)に刊行された十二冊の「説唱詞話」の版本が発見されました。「詞話」と呼ばれる文芸があったことは従来から知られていましたが、それが具体的にはどのような形式と内容をもつ演芸であったのか、実は必ずしも明らかではありませんでした。成化本の発見は文学史上の空白を埋める極めて重要な出来事だったのです。その十二冊の成化本の中に実は一冊だけ演劇の台本が含まれていましたが、それが『新編劉知遠還郷白兎記』(以下、成化本『白兎記』)です。

『白兎記』は、五代後漢の高祖劉知遠とその妻李三娘、息子咬臍の悲歓離合を描いた物語です。その原形は、すでに金代の諸宮調(一九〇七年にカラホトから発見された『劉知遠諸宮調』)や元代の平話(『新編五代史平話』「漢史平話(上)」)・雑劇(「李三娘麻地捧印」(佚))といった様々な通俗文学のジャンルで語られていました。この「劉知遠の物語」が南戯(宋代に始まったとされる中国南方の演劇)に改編され成立したのが、成化本『白兎記』なのです。

成化本『白兎記』の梗概は、およそ次のようになります。「不遇を託っていた劉知遠は、李太公の家の小作人となり、見込まれて李三娘と結婚する。ところがまもなく李太公夫婦は他界、劉知遠は義兄夫妻に家を追い出されてしまう。太原に赴いた劉知遠は、その地を治める岳節度使の入り婿となる。残された李三娘は奴婢となり、碾臼小屋の中で男子を産む。その子は劉知遠のもとに送り届けられ、養育される。十六年後、成長した息子は白兎の導きによって母李三娘と巡り会い、劉知遠は故郷に錦を飾り、一家は団円を果たす」。

成化本『白兎記』は、比較的古いテキストと言うだけでなく、南戯として現存する実は最古の版本でもあります。演劇史・文学史においてのみならず、その意味では書誌学や白話史といった各分野にも不可欠の資料です。ですが、校本はこれまでは中国本土で二種類しか刊行されておらず、しかもその校本は誤りを含まないわけではありませんでした。

本書は、解説編と本文編から成っています。本文編では、語彙の来歴をたどり、その他の俗文学テキストと比較検討することによって、詳細な注を施しただけでなく、従来あった校本の誤りもいくつか正しました。さらに、わかりやすい現代語訳も付けました。

また、解説編では、成化本『白兎記』の形式・内容・表現についての特徴や、南戯の歴史における意義及び文学史上の位置づけ等についての解説だけでなく、『白兎記』が語る「劉知遠の物語」そのものが、元来どのような文化的背景のもとで成立し展開していったのかという全体像にも言及する内容となっています。