博士論文「元雜劇研究」

論文の要旨と長所

本論文は元雜劇を研究対象とし、「散曲」も視野に入れ、具体的な作品に焦点をあて、これまでに明らかにされてきた元雜劇の特徴を確認しながら、
従来とは異なる角度から元雜劇全般の特徴を考察するものである。

第一部の「『竹葉舟』考」では、作品の分析を通して元雑劇の創作状況を考察した。『元刊雑劇三十種』と『元曲選』に収録する「竹葉舟」は、
元雑劇の一般的な体例から見るならば、第四折に二つの宮調が使われ、第二折と第三折に同じ韻目(尤侯韻)に属する套数を用いる、という重大な問題を抱える。
宮調の問題については、『元曲選』本は恐らく元刊本を参照しつつ改編して大幅に書き換えることをしなかった。元刊本は、原作の第三折と第四折を上演の都合から一折に縮めたと思われる。
一作品の中で韻目が重複することは、重複する折がもともと同じ作品に存在していなかったことを意味する。元刊本「竹葉舟」は恐らく継ぎ接ぎされたテキストだった。
さらに、作品の後半に見られる祝宴の席で上演された可能性をも総合して考えるに、「竹葉舟」は祝祭劇として上演されたために、
原作にはなかった折が挿入され、宮調と韻目の問題をおこしたのである。
つまり『元刊雑劇三十種』が収録する「竹葉舟」も決して原作ではなく、恐らく祝祭用に改編されたものであるとわかる。

次の「『蘇卿物語』考」では、「蘇卿物語」を描く散曲作品の解読を行った。元雜劇の中で「販茶船」雜劇は、「蘇卿物語」を敷衍したものであると一般的に認識されているが、
「蘇卿物語」は明・梅禹金の『青泥蓮花記』や『永楽大典』などに断片的な資料は存在するものの、それぞれ内容の差が大きい。
「販茶船」という雜劇も部分的にしか現存せず、芝居全体的な姿は不明である。しかも、同一物語に「ハッピーエンド」と「裏切り」の二つ相反するパターンが存在する。
そこで元・無名氏『類聚名賢樂府群玉』に収録された王日華と朱凱の散曲「風月所挙問汝陽記」を取りあげ、ほかの散曲作品の解読もまじえて、
物語に登場すると思われる人物の考察を行い、散曲における蘇卿物語の整理を試みた。

第二部の「『救風塵』と『揚州夢』」では、元雜劇が「物語類型」を如何に変形しパロディー化したかについて考察を加えた。
関漢卿の「救風塵」は、従来の類型的な設定―「書生の出世」、「妓女が誠を尽くす」「貪欲のやり手婆」「恋敵の登場」など―が一切用いられていない。
その上、主役の妓女が、自ら妓女の「裏面」を暴き、「男を騙すことは妓女の稼業、騙してどこがわるい」と、堂堂と居直ってみせる。ここに本劇のパロディー精神は典型的に示されている。
一方、「揚州夢」は、「妓女物語」でありながら妓女に着目せず、全編にわたって書生の韜晦が描かれる。
こうした主人公の性格の描写と、この作品がストーリー展開をあまりもたない歌中心の文彩派の作品であることを考え合わせれば、
「揚州夢」は「出世する見込みがない書生の処世」が描かれた。ある種の「主張」をもった作品であることがわかる。
この意味において、本劇は「書生が必ず出世する」類型の裏返しであり、「妓女物語」のパロディーであると言える。
「玉簫の物語―『両世姻縁』雜劇の特徴とその影響―」では、雜劇「両世姻縁」が文学性と独創性を獲得する過程を考察した。
唐代の筆記小説『雲溪友議』から南宋の類書『類説』『錦繍萬花谷』まで、玉簫の物語「玉簫化」は簡略化されつつ収録されていく。
その流れのなかで、「貴人の奇縁」から「普通の少女の愛」へと主題が変化を遂げる。
雜劇になると「寄真容(妓女が自分の絵姿を描き、恋人を送る)」の一折が加えられ、『両世姻縁』劇の独創性と文学性はこの「寄真容」の部分に集中する。
明代には、『両世姻縁』を単に「女徳」の「教化」を重んじる因縁譚に変えてしまった南戯『玉環記』が創作されており、
萬暦末になると、『両世姻縁』が持つ「趣」が失われ、上演を無視した「案頭の作」と思われる典型的な文人傳奇『鸚鵡洲』が生まれる。
これらと比較すると、『兩世姻縁』は「寄真容」の一折に優れ、一種の「情の文学」を確立したと言える。

第三部「妓女の恋愛劇について」では、「妓女物語」を取りあげて恋愛劇の分類に対する新しい考えを提示し、その上で、恋愛雜劇における旦本と末本の主題の違いを明らかにすることを試みた。
旦本の恋愛劇は、主人公のイメージといい、雜劇の物語の構成といい、劇の題名はかわっていても千篇一律で、どの芝居も本質的に区別はない。
一方の末本は、美女で誠を尽くす内面的な美も併せ持つ旦本の女性主人公と対照的に、男性主人公が常に遊冶郎として生きる姿が描かれている。
この男性主人公の姿には、立身出世を求める常識的な「処世」に対する作者のアンチテーゼを読み取ることも可能だろう。末本の主題は恋愛ではなく、こうした文人の「処世」にあった可能性がある。
附論「杜仁傑の文学論」では、詩・詞・散曲の創作全てに携わった文人、杜仁傑の文学論を考察した。
「歌と物語の世界―無名氏【商調・蝶恋花】―」では、詩・詞・曲が共通してもつ文体上の特徴を分析して、中国俗文学史に新たな視座を提供することを試みた。