野中古墳とは

野中古墳の被葬者像

野中古墳の被葬者とはどういった人物だったのでしょうか?
大量の武器・武具、農工具と石製品、朝鮮半島製の土器といった豊富な副葬品から、その人物像が浮かび上がってきます。鉄資源を有する朝鮮半島から鉄素材と鍛冶の技術を入手し、朝鮮半島各地と交渉した人物であることは確実です。甲冑の多量埋納から、現在、野中古墳の被葬者をめぐって大きく3つの学説があります。

第1にそもそも被葬者自体が存在していなかったという説です。これは副葬品の配列から、そこに人体埋葬をおこなう空間がないことを理由としています。また、同じく墓山古墳の陪冢である西墓山古墳では人体埋葬の痕跡が認められず、副葬用陪冢であったことが明らかになっています。この場合、被葬者は墓山古墳におさめられていることになります。
第2に軍事組織を管理していた人物とする説です。この場合、野中古墳の被葬者は甲冑を保管し、各地に分配するような役割を担っていたと考えられます。これは11領もの甲冑を保有し、大量の武器を保有していたことを根拠としています。

武人集合イラスト

第3に軍事組織の中でも政権の中枢人物を守護した親衛隊であったとする説です。親衛隊の隊長とともにそれぞれのメンバーの武器・武具を供え献じたと考えます。
このように野中古墳には、いくつもの被葬者像が浮かび上がってきます。しかし、甲冑を身にまとった武人が活躍する5世紀という時代を野中古墳は象徴しているといえるでしょう。