野中古墳とは

土器と埴輪

須恵器片1
写真1:須恵器片1
野中古墳の墳頂部からは朝鮮半島からもたらされた陶質土器(とうしつどき)と、その流れをくみ日本で生産されるようになった初期の須恵器(すえき)も出土しています。野中古墳の被葬者が朝鮮半島南部の各地と密接な関係にあり、渡来文化の受容に積極的であったことを物語る資料といえます。(写真1)
把手付有蓋脚付壺
写真2:把手付有蓋脚付壺
特に注目されるのは、把手付有蓋脚付壺です。この蓋を伴い、壺に脚台を取り付けた土器は、土器の特徴から朝鮮半島南部のなかでも洛東江流域(現在の釜山から慶尚南道・金海、咸安にかけての地域)に求めることができます。韓国でも類品の少ない貴重な資料です。(写真2)
須恵器片2
写真3:須恵器片2
また、約6800片が出土した陶質土器や須恵器の破片には、竹管を押し付けた文様、三角形の文様、波状の文様、斜格子文など、様々な文様があります。こうしたバリエーションに富む文様は、日本列島独自の文様も含まれていますが、朝鮮半島各地に特有の文様があらわされています。(写真3)
埴輪列2
写真4:埴輪列
陶質土器や須恵器といった外来の土器だけではなく、在来の土器や埴輪も出土しています。とくに埴輪は野中古墳の墳丘のまわりに密にならべられていました。(写真4)