近現代哲学の虚軸としてのスピノザ Baruch de Spinoza 1632-1677
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研究会の記録


○研究会報告

ザントカウレン教授特別講演会(スピノザ協会共催・シェリング協会講演)

 2012113日(日曜)、大阪大学で開催された今回の研究会は、ヤコービの専門家、ボーフム大学のザントカウレン教授を迎えて行われた講演会となった。

 司会は入江幸男氏(大阪大学)、通訳は吉田量彦氏(東京国際大学)による。

 「ヤコービの〈スピノザ〉と〈アンチスピノザ〉」と題し、原稿の読み上げによる(ボーフム大留学中の下田和宣氏による翻訳を配布)講演は、およそ次のようなものであった。

 ヤコービはこの時代においてもっともよくスピノザを理解しており、その知見を通してスピノザ哲学の積極的な意義を正当に見定めていた。すなわち、スピノザ哲学こそ真の哲学なのだと。その意味でヤコービのなかに〈スピノザ〉はいる。しかし、同時にヤコービはそうしたスピノザの限界を見定めており、〈スピノザ〉を批判する。つまり、ヤコービの中の〈アンチスピノザ〉である。それゆえ、ヤコービの哲学は「二重の哲学Doppelphilosophie」であり、その点をよく示しているのが「理由ないし根拠と原因(Grund und Ursache)」との区別である。スピノザは「理由すなわち原因(ratio sive causa)」というように、両者を同一化しており、これにより一貫した思考によって合理的な哲学を構築したが、同時に、これは両者の混同であって、そのために人格的なものの中核にある自由を見失っているのだ、と。ヤコービはむしろ、哲学として完全であるスピノザ哲学には生活世界における人間的実践が欠けている、むしろ形而上学的次元は後者の経験的次元からこそ生まれると主張する。

 ザントカウレン氏のこうした解釈の根底にあるのは、汎神論論争やそこでのヤコービの役割について考える前に、「スピノザ主義の歴史」そのものを実質的に開始したヤコービに内在的な研究が必要だとする確信による。ヤコービを「汎神論論争」という事件の主役として単に歴史的に評価するだけではなく、独自の、しかも本格的な哲学者として評価したいという熱意が氏にはある。しかし、一般のヤコービ観を覆そうとするものであるため、ヤコービのテキストへの沈潜と繊細な解釈を必要とする。それだけに、われわれにとっても改めて検討すべき点、疑問点を残しもする。実際、講演内容は氏の主著“Grund und Ursache”の要約にもなっているが、氏によって予め断られていた通り、時間の制約による単純化も行われており、ややわかりにくさもあったと思われる。論旨を正確にたどるためには、ヤコービのテキストに関する十分な理解と、彼女の著作の入念な検討が必要になるだろう。

 その点、代表質問者として立った栗原隆氏(新潟大学)は、その不備を補うために周到な質問を準備された(レジュメの配布あり)が、その第一のものは、ヤコービはやはり終始一貫してアンチスピノザであって、スピノザを積極的に評価しているとは言い難いのではないか、という点であった。これがザントカウレン氏によって首肯されれば、栗原氏の質問の系列がはっきりしたであろうが、ザントカウレン氏は、あくまでヤコービはスピノザを積極的に評価しようとしている、という姿勢を崩されなかったため、栗原氏の問題提起が十分に展開されなかった憾みがある。だが、その点についてのザントカウレン氏の熱意を込めた説明を引き出すことになり、彼女の論旨を明らかにするのに資した。ヤコービにおける「スピノザとアンチスピノザ」とは、宿命論と自由、合理的な知と信仰、唯一哲学と非哲学の対立であり、ヤコービは前者から後者への、いわゆるSalto mortaleを目指すのである。

 しかし、ここから分かるのは、今回行われている類の研究プロジェクトの難しさである。ザントカウレン氏のヤコービ解釈は、それ自体として極めて繊細で興味深いものであった。今回は、国内の研究者による発表ではなく、ドイツから迎えた、ヤコービの専門家による報告という特殊なケースであったから、こうした報告のあり方自体は(とりわけヤコービに関しては国内での研究の蓄積が薄いこともあって)有意義なものであったと言えようが、しかしながら、それによってスピノザ主義を受容したヤコービとそれを取り巻く歴史的状況(栗原氏のレジュメの中には、その点を突いた質問も含まれていた)を捉えるのに資したかというと、それは別である。その点から言えば、今後のわれわれの研究のあり方、また、研究を総括する際に大きな教訓を与えてくれる機会になったように思われる。

 栗原氏の質問に続いて、休憩時間を省略し、予定時間を大幅に超過した活発な質疑が行われた。主な質問を順不同で列挙する。

 ヤコービのスピノザ解釈にとって決定的な意義を有する「理性」に関する質問、ヤコービの上のような図式とカントの第三アンチノミーとの関係に関する質問、更には、結局のところ、なぜヤコービは人格性にこだわらざるをえなかったのか、その必然性はどこにあるのかという質問。

 最後に、この研究会の報告からはやや逸脱するが、既に第一回の研究会からの継続的な問題提起に触れて稿を終える。その問題提起、すなわち、スピノザから真にトラウマ、傷跡を受けたのは誰であったか、である。既にその名が、しかもほんとど唯一の名としてライプニッツが挙げられてきたが、では、ヤコービはどうであったか。ザントカウレン氏の入魂のヤコービ解釈によれば、ヤコービの思想は、スピノザとの関係という点で言えば、われわれの研究会に登場したどの哲学者、思想家よりも遙かに複雑であり、しかもその表現は、いわゆる哲学、ロゴスの範囲に留まらない微妙さを持つ。それゆえ、彼のスピノザの態度、彼がスピノザから受けたトラウマを評価することは容易ではない。そこでわれわれの理解はおそらく二つに分かれるだろう。すなわち、ヤコービにとってスピノザは決定的な存在であって、ヤコービはそこから本質的な傷痕を付けられている。あるいは、ヤコービがスピノザにこだわったのは、ヤコービが直面した(と捉えた)危機の象徴としてであって、スピノザそのものとはやはり異なる、と。ザントカウレン氏の読解が指し示すのは前者ということになろう。しかし、いずれであっても(とりわけ後者であったとしても)、ヤコービは〈スピノザの傷痕〉を考えるのに、ライプニッツに次いで重要な思想家だとは言えるだろう。

 しかも、ザントカウレン氏の講演では敢えて触れられなかった思想史的連関からすれば、ヤコービのスピノザ読解の影響を受けた人々(そこにはゲーテ、ヘルダー、カント、シェリング、ヘーゲルらが含まれる)まで考えれば、スピノザ主義(スピノザその人の哲学とは区別されたものとしての)の歴史にとってヤコービは、他に類例のないほどの重要性を持った存在だったことは確かである。(平尾昌宏記す)


○研究会報告

20011716日 科研基盤研究(B)「近現代哲学の虚軸としてのスピノザ」第3回研究会(日本スピノザ協会共催(於大阪大学))ドイツ古典哲学におけるスピノザ問題研究会の印象

 今回の研究会で、三つの報告や、それを起点として各所へ向かった活発な討議の際のみならず、研究会後の懇親会などの場でも、改めて問題として示されたのは、ドイツ古典哲学とスピノザとの間には、飛び越えがたい溝がある、にもかかわらず、特にドイツ観念論の哲学者たちは、なぜスピノザから影響を受けることが〈できた〉か、であると思う。

 今回、その点を説明するものとして示された、ドイツ古典哲学とスピノザとの間にあって、両者を分離しつつ接近させたフィルターの如きものは、ヴォルフの場合にはライプニッツ、そしてヴォルフ自身の哲学であり、ヘーゲル、シェリングの場合にはヤコービである。今回のセレクション(ヴォルフ、シェリング、ヘーゲル)は、ヴォルフからシェリングとヘーゲルまでの時間的な間隔が空きすぎていてアンバランスな感があったかもしれないが、少なくともドイツにおけるスピノザ受容の大きな二つのファクターを取り出せた。

 後期ヴォルフのスピノザ論は、この時代には珍しく、直接スピノザのテキストに即したものではあったが、それは、ライプニッツに依拠しつつ既に形成されていた自身の哲学を通してスピノザ主義を根本から反駁するためであった。また、それが初の『エチカ』独訳(シュミット訳)に添えて出版されることで、人々に『エチカ』のテキストを提供するとともに、それが既に反駁済みのもの、過去のものであることを示す働きをしていた。つまり、ヴォルフのスピノザ批判自体が次代(メンデルスゾーンら)にフィルターを提供したことになる。

 ヘーゲルにとって「規定は否定」というのがスピノザ主義の〈核心〉である。これがあるため、ヘーゲルはスピノザにおける事物の連関が「外在的」であるとし、「否定態」を通してその内的連関として世界を捉える弁証法の観点に到達した。しかし、その〈核心〉なるものは、ヘーゲル研究者にとって自明であるが、スピノザ研究者にとっては実に不可解である。だが実は、ヘーゲルにとって「スピノザ哲学」とはヤコービから与えられたそれであり、彼はその中から更にスピノザの〈核心〉を取り出し、それを彼自身の哲学形成期(イエナ期)に独自の思索によって乗り越えようとした。ヘーゲルにとってヤコービのスピノザ論はやはりフィルターの働きをし、更に、現代のわれわれの目からすれば、ヘーゲルその人の哲学史的なプレゼンスもまた、〈スピノザ的なもの〉を覆い隠すヴェールとして機能する。

 そして、シェリングも同じくヤコービからスピノザを学んだ。ただ、ヘーゲルがいったん形成した観点を変えることがなかったのと対照的に、彼自身の思想の変転に沿って(そこにシェリングなりの統一性、一貫性があるにせよ)、多様なスピノザとの接触と離反を繰り返している。初期の自然哲学、同一哲学期には接近、『自由論』以降は離反、更に後期において再び接近するというように。そのため、彼にとってフィルターとなったものも多彩であった。ヤコービに加え、ライプニッツ、カント、フィヒテら。

 しかし、討議を通して明らかになったのは、これらフィルターによる〈濾過〉や〈翻訳〉のあり方の問題性である。それは、具体的には訳語(特にシュミット訳他)から、テキストの流通状況(『エチカ』の翻訳状況、流布状況はどうであったか。また、ヤコービでは『スピノザ書簡』に注目が集中するが、『ヒューム論』等も決定的に重要)、更には哲学史的な文脈に及ぶ。

 とりわけ最後の点に関しては、特に、今回は主題的に取り上げられなかったが、フィヒテの存在は重要であろうし、実際フィヒテについては討議の際にしばしば言及された。だが、スピノザ受容にとって、ライプニッツやヤコービと並んで大きかったのは、自身スピノザにほとんど言及しないカントではないか、との思いを私自身は深くした。後世に巨大な影響を残した者たちは、同時に、彼以前の状況を覆い隠してしまう。ヴォルフはライプニッツに残された〈スピノザの傷痕〉を隠蔽した。しかしカントは、ヤコービとともに、ライプニッツ、ヴォルフ、メンデルスゾーンと続くスピノザ受容の線を隠蔽し、自身も隠れながら(あるいはカントもまた〈スピノザの傷痕〉を受けたのか?)、彼自身がフィルターとなって、次世代のスピノザ受容を規定している。フィヒテの場合も、そうしたポスト・カントのスピノザ受容の一例と見なせるだろう。

 人文学における思想史研究は、そうして覆い隠されたものを掘り起こす地道な作業と、それらを撚り合わせて線を見いだす(作りだす?)勇気、もしくは大胆さによってこそ成り立つのではないだろうか。

 最後に、これも私の関心から来るバイアイ込みで言わせていただくと、ドイツ哲学におけるスピノザ受容の多様なフィルターの見本市となっているのがシェリングだったのではないだろうか。哲学的な変転を重ねたシェリングはいわば、カントやヘーゲルのようにうまく過去を隠蔽することに成功していない。そのため、その覆いの綻びから、複数の線から織りなされている思想史のテクスチャーを覗き見ることを可能にしているように思う。


○研究会報告

5月19日(土)と20日(日)の両日、大阪大学豊中キャンパスにて、「現代思想のトラウマとしてのスピノザ」が開かれた。

一日目は、現代ユダヤ思想とスピノザとの関係を扱う二つの発表がなされた。まず佐藤貴史氏(北海学園大学)による「ローゼンツヴァイクの〈新しい思考〉とスピノザ」、そして、細見和之氏(大阪府立大学)による「スピノザの「自己保存」と『啓蒙の弁証法』」という二つの発表が行われた後、発表者二人のあいだでの相互コメント、および会場との質疑応答が行われた。司会は須藤訓任氏(大阪大学)である。

ローゼンツヴァイクについては、先に行われたドイツ観念論におけるスピノザの影響とも接続しており、一方ではドイツ観念論の研究者として特にシェリングとの関係に注目しつつ、他方でコーエンやシュトラウスらユダヤ人哲学者との入り組んだ関係を解きほぐしながら、その汎神論批判の意図を明らかにしようとする発表であった。その後の討議は後者に集中した感があるが、そのなかで示唆されていたように思うのは、ローゼンツヴァイクが言うところの「スピノザを真剣に受け取った」コーエンによるスピノザ批判の意義を見定める作業が必要であるということである。

 続く発表は、まずコナトゥスが主体の同一性を保持するもの(契約の原理)であるとし、それに対して、主体が変容することを説明するコイトゥス(承認の原理)を対置する。アドルノが言及するコナトゥスのイメージに依りつつ、バシェヴィス・シンガーの小説において主人公が女性との関係において(スピノザに反して)変容するということを考慮に入れることで、コナトゥス概念の批判を行うことが発表の趣旨である。これに対しては、コナトゥスはむしろ変容の原理であるといった指摘が討議において集中した。また、二十世紀初頭にスピノザが非常によく読まれた時期があることや、その位置づけについて、主に歴史的な関心からの指摘が多くなされた。

 二日目は、前日と同じ形式により、古荘真敬氏(東京大学)による「ハイデガーとスピノザ─近さと遠さ」および合田正人氏(明治大学)による「二つのエチカ?─レヴィナスのスピノザ解釈とその諸問題」という二つの発表がなされた。司会は上野修氏(大阪大学)である。

 前者は、ハイデガーとスピノザのあいだの親近性について、「必然的なもの」をめぐって見出されるとして、世界内存在という根本体制の先行性と事実性の強調、そして、世界投企をめぐって「投企において投げる者が、自分自身を投げられたものとして、すなわち存在”das Seynによって生起させられたものとして経験すること」という観点、などが指摘された後に、ハイデガーによるスピノザの拒否の理由として、すべてを「計算する」といった姿勢全般についての拒否が述べられた。

 後者は、レヴィナスと先行する思想家たちとの関係が述べられ、コイレをはじめとして数多くのスピノザに言及した人たちとの関係について述べられると同時に、「スピノザの裏切り」と言ったときのこの「裏切り」概念は、実はレヴィナス自身の思索のなかで重要な概念として練り上げられていくべきものである点に、先行するユダヤ思想家とは異なったレヴィナスとスピノザとの関係が見出されるという指摘が行われた。

二日目の討議については、多彩な内容を含むためここにすべてを挙げるわけにいかないが、特筆すべきは、鈴木泉氏(東京大学)によって指摘された次の点である。それは、この科研でのこれまでの研究会により明らかになったのは、スピノザから真にトラウマを受けたものは哲学史上にほとんどおらず、通俗的スピノザ主義との関係しか目に付かないということ、そして、まともにスピノザから衝撃を受けて格闘したものは、おそらくはライプニッツを除いて外にはいなかったのではないかということである。このような意見は、すでに一七世紀に関する研究会の段階からくすぶりつづけてきたものであるが、会の進展とともに次第に確信へと変わってきたように思う。

しかしこのような困難に対しては、いくつかの方法論的な対処が可能かもしれない。たとえば、ライプニッツとの目に見える関係を分析しながら、その裏にスピノザの影響を見て取るといった方法が有効であるかもしれないし、また、スピノザの考え方についてもう少し特定のテーマに絞ることで(例えば感情や自然、等々)、スピノザに言及することなくその思考の影響の痕跡を認めることが可能になるのかもしれない。しかし、このような具体的な方法論をめぐって意見が出るのも、哲学史・思想史を通じてスピノザのプレゼンスを辿るというこれまでの作業によって、始めて可能となってきたことはたしかである。

(文責:朝倉友海)


○研究会報告

スピノザ協会特別研究会(今回は科研「近現代哲学における虚軸としてのスピノザ」との共催となります)

テーマ:17世紀とスピノザの傷痕 

日時:11月27日(土) 13:00~18:00
場所:東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2

経過報告:渡辺博之

 渡辺発表では、マルブランシュのスピノザ批判の概要が、彼の各著作・書簡におけるスピノザ像の検討を通じて提示された。彼のスピノザ批判は、一方では被造物を「神性の一部分」と混同することへのアウグスティヌスによる批判の継承であり、他方で彼自身の哲学における「叡知的延長」と「物質的延長」の区別に基づいている。いずれも神による自由な「創造」の可能性をスピノザが否定したことへの反論としてなされている。

 三井発表では、「無からの創造」、「物質の永遠性」、「自由意志」のあり方(究極的には「弁神論」の問題)をめぐって、一方でベールが、そして他方でノエル・オーベール・ド・ヴェルセが行ったスピノザ批判は、一見スピノザの教説への批判という体裁をとってはいるが、実は、前者は保守的カルヴァン派の立場からの、後者はソッチーニ派の立場からの、批判の応酬であるという見解が提示された。

 大橋発表では、ドルバックを通じて18世紀フランス唯物論に多大な影響を与えたトーランドの「理神論的唯物論」が、スピノザの「運動」概念への批判を通じて形成されたことが、トーランドの経歴の紹介とあわせて、詳細に述べられた。スピノザが「延長」属性の間接無限様態とみなした「運動」を、トーランドは「物質」に本質的なものとして捉え直し、さらに「世界」それ自体の活動性の根本原理としたのである。

 各発表者一人当たり約1時間の口頭発表ののち各発表者への質疑応答、さらに全体討議がなされ、それぞれ活発な議論が交わされた。

以下は、発表、質疑応答、全体討議を振り返っての私見である。

渡辺発表に対しては、モアの「延長」概念との関連や、「叡知的延長」のマルブランシュ哲学の中での位置づけについて、質問がなされた。いずれも重要な論点であるが、十分な応答ができたとは言い難い。「延長」概念をめぐる相違点だけでなく、スピノザとマルブランシュの哲学上の最大の争点が何であったのかを見定める作業も、いま振り返ってみると十分とは言い難い。今後の課題である。

三井発表については、これが最も新鮮な驚きを受けた。ベールもオーベール・ド・ヴェルセも「スピノザ」について言及し批判し非難はするが、実は最も攻撃されているのはスピノザではなく、お互い同士であったというのだから。しかも、これは質疑応答中に示されたことであるが、彼らは相手の真の論敵が自分であることをお互いわかっていたとのことである。それでは彼らにとってスピノザとは何だったのか。極めて興味深い発表であった。

大橋発表については、デカルトではなくスピノザの「運動」概念に着目しているところに、トーランドの独自性を見ることができるだろう。またライプニッツの「力学」の構想に至る経過と比較することもできただろう。両者が書簡を通じて交流していたことを考えると、質疑応答中にライプニッツとトーランドの関係に触れることができなかったのは残念である。次回研究会がライプニッツを扱う回であったがゆえに、議論の継続性という点からすると、なおさらである。

17世紀のスピノザの同時代人が、スピノザ哲学に直面して何らかの衝撃を受けたことはまちがいない。しかし彼らは、伝統的に非難と攻撃の対象にされてきた様々な哲学や神学的思想の枠のうちにスピノザ哲学を押し込める。そして「スピノザ」「スピノザ主義者」「スピノザ主義」としてレッテル化して、自らの実際の最大の論敵に張り付け、両者をひとまとめにして攻撃の対象とする。マルブランシュ、ベール、オーベール・ド・ヴェルセが行い、また自らも被ったことは、このような振る舞いの典型であったように思われる。18世紀初頭にトーランドが行ったことも、スピノザに対する批判としてだけでなく、ニュートンに対する反論としてもなされているのであり、スピノザ哲学は、最終的にはトーランド自身の「理神論的唯物論」を構築するための梃子として利用されているにすぎないとも言える。

結局のところ彼らは、スピノザの「異例性」に直面して最初は衝撃を受けるが、最終的には伝統的な哲学や神学的思想の枠の中に押し込めて事足れりとして済ませることのできる、あるいはそこからスピノザ哲学とは実は無関係なものを新たに作り出すことのできる、そのような知的な強靭さ(あるいは弱さ?)を備えていた。スピノザ哲学に接した経験が、彼らに何の「傷跡」も残していないように見えるのは、そのためだと思われる。

最後の全体討議において鈴木泉氏(東京大学)からなされた、スピノザ哲学のもつ「異例性」を初めてまともに受けとめ、真剣な対決の相手としたのはライプニッツだけである、という指摘には、基本的に同感であるが、例えばマルブランシュとメランの往復書簡に見られるのは、メランを介してマルブランシュがスピノザ哲学との対決を再び迫られたという事態である。これは、伝統的な哲学や神学的思想の枠の中に押し込めてそれで事足れりとするだけでは対処しきれない「異例性」をもつスピノザ哲学のトラウマ的、あるいは亡霊的な再来、回帰と言えるのではないだろうか。いま振り返ってみると、そのように思える。



ハン・ファン・ルーラー教授 特別講演会
(ロッテルダム・エラスムス大学哲学部)

(
)東京の部
「恩寵か徳か? カルヴァン派デカルト主義の観点から見るスピノザの『エチカ』」
“Grace or Virtue? Spinoza's Ethics in the Light of Calvinist Cartesianism”
日時:2012年2月29日() 14:30~17:30
場所:東京大学駒場キャンパス 
   18号館4階コラボレーションルーム3

(
)大阪の部
 「スアレスを装ってスコラ哲学の実体論とスピノザの神」
“Simulating Surez: Scholastic Substance Theory and Spinoza's God”
日時:2012年3月10日() 14:30~17:30
場所:大阪大学豊中キャンパス
    文法経済学部本館4階 464番教室


ウィープ・ファン・ブンゲ教授講演会

(ロッテルダム・エラスムス大学哲学部教授)
(1)大阪の部

日時:2011108日(土)14:30-17:30
場所:大阪大学豊中キャンパス 待兼山会館 会議室(2階)

標題:「スピノザとコレギアント」"Spinoza and the Collegiants"

(司会 上野 修 大阪大学)


(2)東京の部

日時:20111010日(月:祝日)14:3017:30
場所:東京大学本郷キャンパス 文学部法文2号館 教員談話室

標題:「スピノザとオランダ」"Spinoza and the Netherlands"

(司会 上野 修 大阪大学)


第3回研究会 ドイツ古典哲学におけるスピノザ問題

日時:2011年7月16日(土)13:00~18:00、会場:大阪大学豊中キャンパス待兼山会館2階会議室、 共催:スピノザ協会

プログラムと予稿



第2回研究会「ライプニッツとスピノザ、18世紀へ」

日時:2011年3月5日(土)・6日(日)、場所:大阪大学文学部、共催:日本ライプニッツ協会・スピノザ協会
シンポジウム:ライプニッツとスピノザ

プログラムと予稿


第1回研究会 「十七世紀とスピノザの傷痕」

日時:11月27日(土)13:00~18:00  東京大学駒場キャンパス

プログラム