第8章 アメリカにおける白人の形成
―先住民・アフリカ人・移民の交錯―

前の章へTOP>第8章|次の章へ

メニュー

要約

雑誌『タイム』は1993年9月の、「アメリカの新しい顔―移民が世界で最初の多文化社会を作る」と題した特集号で、移民の流入で社会が活気づき多様な人々が融合することで、新しいアメリカ人が生まれつつあることを謳いあげた。これにより生まれる異人種間混淆のバラ色の未来は、「白人」が作り上げ、死守してきた歴史と照らし合わせる必要がある。

 1607年以来、イギリスによって行われた北アメリカへの植民から独立戦争までの間に、イギリス系が中心のニューイングランド、アイルランド系やドイツ系など多様な出自のヨーロッパ人を抱える中部、奴隷人口の多い南部という図式ができ上がっていた。1790年の最初の議会で、アメリカへの帰化が認められるのは「自由身分の白人のみ」となり、5年間滞在すれば市民権が得られることになった。このことはアジア人の帰化を阻止する効力をも発揮した。また、アメリカ政府はインディアンを非文明的と考え、掃討するかもしくは文明化を要求した。

 18世紀末までに北・中部諸州では奴隷制度廃止が決まったが、南部では保持され、さらに綿花栽培の隆盛によって奴隷制度は拡大した。しかし、奴隷制度を廃止したほとんどの州において、19世紀半ばまで黒人に対する選挙権の剥奪やその他の制限が課され、黒人と白人市民の隔絶が見られる。

 このように独立・建国期にインディアンや黒人とは区別された「白人」が形成される。19世紀後半までの移民は北西欧出身者が多く、「旧移民」と呼ばれた彼らは生活や文化の水準の高さからアメリカ市民にふさわしいとされた。しかし1880年代から増えた南東欧出身の移民には、非熟練の労働者が多く、「新移民」と呼ばれて区別された。この「新移民」を白人と認めるか否かで相対立する見方が生まれ、白人の境界は不確定なままであった。この状況下で、アイルランド人や南東欧系移民は黒人やアジア人に対する暴力行為などで人種的優越性を主張し、1920年代までには「マイノリティ白人」としての勢力を築き上げていった。そして、1930年代には労働者階級のヨーロッパ系移民は中流白人という地位を獲得することになる。

 アメリカにおける「白人」形成の過程で特に固執されたことは、白人の混血化を防ぐことであった。1691年のヴァージニア植民地を皮切りに、全米各地で異人種間結婚を禁止する法律が制定されたが、その中の人種規定を見ると黒人・白人の法的定義は時代や州により大きく異なるものであった。これらの異人種間結婚禁止制度が廃止されるのは、第2次大戦期のことであり、異人種間混淆が賞賛されるようになるのは20世紀末になってからのことである。

用語解説

感想

この章ではアメリカにおける白人形成の過程について非常に簡潔に書かれていて、基礎知識をあまり持っていなくても大まかな流れをつかむことができた。ホワイトネス・スタディーズの入門書としては、最適な難易度であったと思う。個人的な感想だが、昨年度の演習で読んだThe Wages of Whitenessから比べるとかなり読みやすく感じる一方で、やや物足りないような気もした。

コメント The Wages of Whiteness はいい本ですが、2年生の演習のテキストとしては難しかったと少し反省しています。


TOP 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 2021 E