Ghostly Gazetteer of Australia

南の虹のルーシー

アデレードといえば当然「南の虹のルーシー」を思い浮かべることができます。原作は、Lucy−may of the Southern Rainbowでフジテレビ系の世界名作劇場の枠で1982年1月から12月までの1年間放映されていました。 「南の虹のルーシー」はルーシーがアデレードに入植していく「大草原の小さな家」に似た話ですが、原作はどんどんと明るい方向とは逆の方に進んでいくことになります。

あらすじ

 イギリスから90日の船旅ののち、南オーストラリアのアデレードに到着したポップル一家は、オーストラリアの広大な土地で農場経営をするという夢を描いていました。動物好きのルーシーにとっては、珍しい動物のいるオーストラリアは夢のような土地で、毎日がとても楽しいものでした。そんな中ある日事件が起こりました。近くに住むぺティウェル家の黒犬がルーシーの飼っていた羊を襲ったため、リトルという名前のディンゴの子(リトルはルーシーのペット)が、その黒犬をかみ殺してしまいます。これを逆恨みしたぺティウェルは、ポップル家の土地購入をことごとく邪魔をし、その結果、ポップル家はなかなか土地をなかなか手に入れることができませんでした。
 入植から3年が過ぎても、一向に生活がよくならないポップル一家は、飼っていた羊を売りに出すことを決めます。しかし、この出来事にひどくショックを受けたルーシーは街をさまよい歩き、アデレード橋を渡っているときに暴れ馬に轢かれてしまいました。この事故のあと、記憶を失ったルーシーは、プリンストン夫妻に助けられました。しばらくして記憶の戻ったルーシーは自分がプリンストン家の養女になれば、父親に土地をプレゼントできると考え、夫妻のもとを訪ねます。ルーシーのそんなやさしい気持ちに気づいた夫妻は、土地を売ってくれることになりました。移住から4年半経って、念願の土地を手に入れたポップル家は希望に向かって再出発することになりました。(了)

この物語が当時の状況を忠実に再現しているかどうかについては疑問の余地は残るものの、原作があることからある程度はその状況を移しているものと考えていいだろう。(現在一部をYouTubeで見ることができます。)

南の虹のルーシー

アデレード概史

アデレードは一般の移民のための計画された植民地の中心として建設された。移民達は宗教の迫害を恐れずに済み、市民としての自由が保障されていた。この点では、受刑者移民の土地としての歴史を持つシドニーやホバートなどの他のオーストラリアの都市とは異なっている。偶然にも"アデレード"という名前はドイツ語で"貴婦人"を意味する言葉に由来している。(Wikipediaより)

このような歴史をたどったアデレードが、「南の虹のルーシー」の舞台になったことは、自由移民のための植民地としてアデレードが発展していったことと無関係ではないだろう。

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