Ghostly Gazetteer of Australia

ダーウィン

ダーウィンという言葉を聞いてまず思い浮かべるのが、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンだと思います。実は、オーストラリアには彼の名前にちなんで命名された都市があります。今日は、そのダーウィンを紹介したいと思います。

チャールズ・ダーウィン

基礎知識

ダーウィンはオーストラリア連邦ノーザンテリトリー準州の首府で、人口は約11万人(2003年)。オーストラリア大陸の北側に位置するため、最もアジアに近い都市である。そのため、多文化的な様相を呈しており、人口の4分の1をアボリジナルが占める。

1839年にイギリス海軍ビーグル号のジョン・ロート・ストークスにより発見され、チャールズ・ダーウィンの名をとって、ポート・ダーウィンと名づけられた。1869年、ポート・ダーウィンに入植地が建設され、当時の首相パーマストンにちなんで、パーマストン入植地と命名される。その後、1911年にノーザンテリトリーが連邦の統治下に入ると同時にパーマストンは正式にその名をダーウィンと変え、この地域の行政の中心となった。

ダーウィン

戦時中の日本との関係

日本ではあまり知られていないことだが、太平洋戦争中にオーストラリアは日本と交戦している。1942年2月19日にダーウィンは日本軍による空爆を受け、少なくとも243人が死亡した。

観光地としてのダーウィン

オーストラリア大陸でも北部に位置していることから、熱帯的な気候で豊かな自然に恵まれている。主な観光スポットとしては、カカドゥ国立公園・キャサリン渓谷・キンバリー・ブルームなどが有名である。

カカドゥ国立公園

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