第16章 野蛮なヨーロッパ
−近代の歴史認識における十字軍像の変容−

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要約

現在、十字軍に関しての一般的な認識は、「西ヨーロッパの非道な侵略行為であり、アラブ・イスラーム世界にとっての大いなる悲劇である」というものである。しかし、この認識は十字軍当時の認識とは大きく異なっている。当時は「ヨーロッパの敗北、アラブ・イスラームの勝利」として、どちらの世界にも捉えられていた。では、なぜこのような認識の差異が生まれてしまったのか。 その認識のズレは18世紀ヨーロッパにおいてはじまった。啓蒙主義が隆盛し、近代の新しい文明と理性を強く自負していたために、中世の迷妄を象徴する反文明的行為として、十字軍を「狂気の蛮行」とみなした。そのため、啓蒙主義者らは非常に攻撃的な十字軍像を描きだし、そこではアラブ・イスラーム世界はただの被害者とされた。19世紀には十字軍を称賛する潮流もあらわれ、西アジアへの帝国主義的進出の先駆として論じられたりもした。

この十字軍についての批判と賞賛に共通して言えることは十字軍に苛烈な侵略者としての像を与えたということである。また、どちらの立場においても、十字軍は結果的に「ヨーロッパ文明」の発展に付与したと考えられていた。ここで重要なことは、どちらにせよ「ヨーロッパ文明」という自己中心的な視点にもとづいた考えが根付いていたことである。

アラブ・イスラーム世界においても、19世紀に「十字軍によって文明が東方から西洋に広がった」という西洋の考えが伝播した。それとともに、十字軍を「西洋の狂気の産物」とみなす論法などもアラブ・イスラーム世界に流入し、この世界においても、アラブ・イスラーム世界は「勝利者」から「ヨーロッパの狂気の犠牲者」へと認識は変わっていったのである。

用語解説

感想

歴史認識において、西洋では基本的に西洋を中心に考えている。それは至極当然のことなのかもしれないが、アラブ・イスラーム世界においても、西洋を中心に考えた思想が根付いている。

コメント えいやという感じで、なかなかおもしろい章だと思います。おもしろいものはおもしろい。それがわからずに、この種の論考の欠点だけごちゃごちゃ言う奴はあほです。(「あほや」というのは口癖です。たかじん{タージンではありません、相田翔子の好きなひとのほうです}と同じくらい、「あほ」と言っているかもしれません。)そういう人間には、誰も読まないような論文を書き続ける明るい未来が待っています。


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