第9章 オーストラリアにおける「白人」の創造と大英帝国
―1870年代から1901年を中心に―

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要約

著者は、1870年代から1901年にかけてオーストラリアの「白人」という概念がどのように創られたかを、オーストラリア出生者協会(ANA)の活動を通して描こうとしている。まずオーストラリア内で使われる「ネイティブ」という言葉に注目する。そもそも先住民を指す言葉であったが、1840年頃にはすでにオーストラリア植民地生まれのヨーロッパ人を意味する言葉になったという。このようなヨーロッパ人の優位性の確立はANAの拡大が大きな一端を担っていたと主張する。ANAは当初会員の相互扶助を主な目的とする友愛協会として発足。会員の推薦があり、16歳以上の男性であることを条件にしたため、発足時の会員数はさほど多くなかったものの、成人に達する人口の増加や宗教や階級を問わない会則を定めたため、次第に会員数は増加していった。

 ANAは連邦結成運動推進に大きく関与しており、大英帝国への不忠を疑われるほどであった。オーストラリアは、英国的制度と自由を受け入れ、平等主義を唱えたが、英国とは有色人移民と制限する点と英国の階級社会を積極的に取り入れない点で、対立が生じたためである。この差異をあいまいにするために、「白人」としてのアイデンティティを共有することを前面に、国家形成を推し進めたのである。

これは人種関係の立場からも覗うことができる。アイルランド系移民は、ある程度の社会進出を成し遂げ、「白人男性としての労働者階級」に属すると認められたが、先住民アボリジナルはANAへの入会資格をもっていたにもかかわらず、白人の推薦を得ることができなかったため入会できなかった。また中国系移民も労働者としての立場を確立したにもかかわらず、オーストラリアでは支援対象にされることはなかった。つまり「労働者」=「白人男性」=「イギリス的自由・民主制・平等の享受」=「非白人系労働者の排斥」という構図が浮かび上がると著者は主張する。

最後にオーストラリア市民と英国市民の間に必要十分的性質は成り立たないことを述べつつも、オーストラリア連邦結成にはアイデンティティとしてのブリティッシュネスとホワイトネスは不可分であるとしている。

用語解説

感想

本章では「白人」というアイデンティティを持つことが、いかにオーストラリア連邦の形成に関与したかが明快に述べられており、当時の情景を描きやすいものにしている。しかし、先住民アボリジナル文化が、ANAの会議場の装飾に用いられ、連邦もオーストラリア的なものを象徴する素材として扱っているなどの記述は、オーストラリアにおける白人のオリジナリティの主張であるように思えたので、その後「保護する」という立場にたつ白人たちとの関係を、もう少し詳細に述べる必要があるのではないかと感じた。

コメント 先住民文化の流用の問題は、重要なポイントですね。


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