第20章 死者たちの白人性
−オーストラリアにおける戦争の記憶と「国民」の境界−

前の章へTOP>第20章|次の章へ

メニュー

要約

著者は、第一次世界大戦以降のオーストラリアにおける戦争の記憶とナショナリズムの関わりを概観し、そして、そこに見え隠れする白人性について考察している。

 連邦成立以後も、依然オーストラリアの人々は「イギリス人」としての意識をつよく持っていた。しかし、第一次大戦の経験によって、「オーストラリア人」というナショナリズムが表象されるようになった。なかでも、ガリポリ上陸作戦を戦ったアンザック兵士は、オーストラリア人の理想像として、国家的に顕彰された。こうした「アンザック神話」は今日、フェミニズムや人種的観点から批判されているが、アンザックを核とするの第一次大戦の記憶は、ナショナリズムや人種主義と絡まりあいながら、少しずつ「国民」の境界を規定していった。

 大戦間期、オーストラリアはイギリスとのあいだに徐々に距離を置くようになる。ふたつの世界大戦の記憶はしだいにイギリス帝国の文脈を離れ、むしろオーストラリアという国家の境界のなかで、「国民」の連帯感を支える物語となっていった。その一例が、戦争記念館への無名戦士の埋葬であろう。

 では白人性という観点からは何が見えるだろうか。最近の研究によって、アンザック兵士のなかには先住民もいたことが分かってきている。しかし、大戦後に国民統合の物語として戦争の記憶が広がっていく反面、こうした「黒いアンザック」の存在は忘れ去られていく。先住民たちは「国民」の境界から構造的に排除されてしまったのである。

 こうした状況は、1960年代以降の先住民解放運動や多文化主義の展開によって変容する。「黒いアンザック」にも目が向けられ、白人性を露骨に強調するような追悼もしだいに後退していった。ポール・キーティング前首相による演説にも、現代における戦争の記憶がどう表象されているかが、よく見て取れる。そこでは、無名戦士たちは出自や宗教といった一切の特徴を喪失し、それゆえにこそ「国民」の象徴となっているのである。

この演説に対して、歴史家ジェフリー・ブレイニーは、無名戦士の歴史的背景が無視されており、多文化主義政策のシンボルとして操作されている、と批判した。ブレイニーの意図がどうであれ、たしかに無宗教者あるいは先住民といったマイノリティをもって全戦没者を代表させる行為こそ偏向を含んでいるとも言える。また、キーティングの演説にもある種の白人性が確認できる。つまり、演説自体には「白人」への言及が見られない一方で、その言説が受け取られる過程では「白人」としてのアンザック兵士のイメージが再生産されるのである。

オーストラリアにおける戦争の記憶は、白人性と結びつきながら、「国民」の境界を定義する手段となってきた。そして、人種主義への批判が共有されている社会においても、人種意識が人々の思考を束縛していることが、白人性の研究から明らかになるのである。

用語解説

感想

白人性の研究の根底には、研究者たちの自己懐疑の意識があるように思う。それはつまり、社会における「中心的存在」が自分自身を振り返ろうとする意識でもある。政治家、官僚、マスコミ、学者、経済界の権力者たちは、とかく自分および自分の所属する集団が社会のスタンダードであると錯覚しがちである。また、韓流ブームに熱狂する日本人たちは、自分たちが在日朝鮮人に対してどう接してきたかをあまり知ろうとはしない。ホワイトネス・スタディーはいわば、そうした「マジョリティであるが故の、マジョリティたち自身が持つ気付かない矛盾」に光を当てた研究といえるのではないだろうか。

コメント そういう側面が大きく、それゆえそれ自体がマジョリティによる文化的支配の再回収につながる危険性と隣り合わせです。それだからこそ、先住民女性の研究者などが中心になって活躍することは重要ですし、日本人が発言することも重要だと思います。


TOP 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21E